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【紀州鉱山(紀和鉱山)】その1:朝靄に眠る古き選鉱場

朝靄に眠る紀州鉱山選鉱場

(▲ 紀和町板屋地区の山中に眠る選鉱場跡)

紀州鉱山は古くは奈良時代から採掘が行われていた鉱山であり、主に銅を産出したほか金・銀の鉱脈もあった。奈良東大寺の大仏を建立する際にも、ここで採れた大量の銅が使われたと伝わっている。

写真の選鉱場が建てられたのは戦前の1939年(昭和14年)、その5年ほど前から当鉱区の再開発を行なっていた石原産業株式会社によるものである。1965年(昭和40年)前後には銅産出量が年間3000トンを超え最盛期を迎えるが、その後円高の進行により採算が急速に悪化していったのは日本の他の鉱山と同様である。

紀州鉱山の閉山は1978年(昭和53年)、その後1982年(昭和57年)には選鉱場が解体された。2017年(平成29年)現在は、解体後のコンクリートの基礎とインクラインの軌道のみが残っている。

紀州鉱山(紀和鉱山)_インクライン軌道

朝靄の掛かる薄暗い早朝、選鉱場脇のインクライン(勾配鉄道)軌道跡をひたすら登っていく。

紀州鉱山(紀和鉱山)_インクライン軌道を登る
紀州鉱山(紀和鉱山)_インクライン最初の分岐

レールの最初の分岐。

紀州鉱山(紀和鉱山)_インクライン分岐先

当時はこの先に選鉱場施設が接続していた。

紀州鉱山(紀和鉱山)_コンクリート柱群を望む

ようやくコンクリート柱群の最下段あたりまで登ってきた。

紀州鉱山(紀和鉱山)_コンクリートと緑01

紀州鉱山(紀和鉱山)_崩落

そろそろ辺りが明るくなり、霧も晴れてきた。

紀州鉱山(紀和鉱山)_コンクリートと緑02

紀州鉱山(紀和鉱山)_コンクリートの神殿

(→「その2:選鉱場最上部へ」に続く)

【廃墟Data】

探訪日:2015年5月上旬

状態:末期(コンクリート基礎とインクラインのみが残る)

所在地:

  • (住所)三重県熊野市紀和町板屋135-1 付近
  • (物件の場所の緯度経度)33°52'26.8"N 135°54'42.4"E
  • (アクセス)紀勢自動車道の終点「尾鷲北」IC(2017年現在)まで行く。そして高速道路を出て2つ目の交差点「板場」を右折し、国道42号線(熊野街道)に入る。そのまま道なりに5km進むと自動車専用道路(熊野尾鷲道路)への案内板(緑看板)が見えてくるので、「尾鷲南IC入口」交差点を右折して熊野尾鷲道路へ入る。終点まで行き左折、国道42号線を5km程南下して「立石南」交差点を右折して国道311号線に入る。20km強山道を進むと右手に「紀和町鉱山資料館」の看板が見えてくるので、その奥の交差点を左折するとすぐ右手の山の中腹に紀伊鉱山の遺構がある。