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【ポーランドの廃墟】ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie)

ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie) 天井のフレスコ画

ポーランド南西部の地方都市グリヴィツェ近郊にある町ビチナ(Bycina※1)に今も建つ17世紀の宮殿の廃墟。貴族パッキンスキー※2(Paczyński)家によって建てられた3階建ての後期バロック様式の建築で、建物内には美しい礼拝堂を備えていた。

この見事なフレスコ画が描かれた写真の礼拝堂は、1730年頃に宮殿内に増築されたものである。第二次大戦中の赤軍による損壊やその後の火災のため戦後に一旦放棄されるものの、1946年には修復が行なわれ、1993年に町に新しい教会※3が建てられるまでの実に250年以上もの間、現役で使われてきた。※4

宮殿本体も1700年の竣工以降たびたび火災に見舞われた(1767年、1784年、1867年)。1867年に被災した際にはホーエンローエ・エーリンゲン(Hohenlohe-Ohringen)王子の命により修復工事が行なわれた。この時の改修で屋根は葺き替えられ、塔は撤去され、回廊はレンガ造りとなった。※5

その後、第二次世界大戦ではソ連によるポーランドの「解放」が行なわれ、その結果この宮殿はポーランド人民共和国の国営農場で働く労働者のための住居として接収・転用された。その後ソ連崩壊と共に共和国も消滅すると、宮殿は民間に払い下げられた。※6 2001年頃には個人投資家により建物の改装が試みられるもすぐに断念され、2009年以降不動産は売りに出されている※7

現地の状況から、宮殿はその後現在まで放置されているわけではなく、2015年と16年にそれぞれ公的資金が投入(?)され屋根の修繕が行われたようだ。詳しくは次回更新記事を参照。

ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie) 中庭から見た建物外観

(▲ 宮殿は上空から見てL字型の構造を取っている)

ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie) 勝手口

(▲ 勝手口といえど扉はとても意匠が凝らされたもの)

交差ヴォールト構造をした1階の部屋

(▲ 天井は「交差ヴォールト」と呼ばれる独特の造形をしている。これは見た目が美しいだけでなく、天井下の空間を広く取れる力学的に優れた構造である。同じ設計は中世ヨーロッパの宗教建築や宮殿等に散見される)

2階へ続く階段。ここにも交差ヴォールト構造が見える。

(▲ 1階から2階へと続く階段。ここにも交差ヴォールト構造が見える)

階段の踊り場

(▲ 階段の踊り場)

レンガ造りの回廊から中庭を望む

(▲ 中庭を望む煉瓦造りの美しい回廊)

2階の部屋
崩壊したレンガの建物

(▲ 廃墟内の雰囲気はまるでRPGに出てくる「ダンジョン」そのものだ)

2階の大部屋
屋根裏へと続く階段の踊り場

(▲ 屋根裏へと続く階段の踊り場だけ窓が丸く、オシャレ)

礼拝堂への回廊

(▲ この廊下を抜ければ礼拝堂が見えてくる)

ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie) 礼拝堂

(▲ 宗教的建築美と廃墟美の見事な融合)

礼拝堂の欄干

欄干の左右にはAとΩの文字が見える。これはヨハネの黙示録に記された「私はアルファであり、オメガである」という神が発した言葉に由来する。「神は永遠である」と解されるこのシンボルはキリスト教の視覚的象徴としてよく用いられるもので、ローマのカタコンベにも刻まれている。

中央の目は「プロビデンスの目」と呼ばれる図形で、神の全能の目を象徴している。この目はこの写真でもそうであるように、三位一体(神の唯一性)を表す「三角形」や聖なるものを表す「後光」とセットで描かれることが多い。同じ図形がアメリカの1ドル札にも描かれている事はあまりにも有名である。

目の左右に描かれた2つのカマボコ型の図形は「モーセの十戒」を表している。すなわちモーセがシナイ山で神より賜ったとされる2つの石版であり、そこには神が人と交わした10の契約(戒律)が記されている。宗派によってその内容には微妙な差異があり、写真のように1から3(神と人との関係)と4から10(人と人との関係)の2つに分けるのはカトリック教会の特徴である。

礼拝堂のフレスコ画 その1

(▲ 欄干上部のフレスコ画。中央下の書物にはラテン語で "Deus colendus est"(神は尊敬されなければならない)と書かれている)

礼拝堂のフレスコ画 その2

天使たちが口々に神の威光を歌い上げ、その歌声は世界を覆い尽くす────

上の写真にはミサ曲のひとつであるグローリア(Gloria)の一節 "(Quoniam) tu solus sanctus, tu solus dominus"(主のみ聖なり、主のみ王なり)や、聖歌テ・デウム(Te Deum)の一節 "Pleni sunt caeli et terra majestatis gloriae tuae"(天と地は主の栄光に満ち溢れている)などが見える。

確実な事は言えないが、どうやら本に刻まれた文章は聖書由来、帯に書かれた文章はミサ曲や聖歌由来のもののようだ。

礼拝堂のフレスコ画 その3
ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie) フレスコ画 聖母マリアとナザレのヨセフ

この写真の中央付近、初老の男性が "Inveni quem diligit anima mea"(我が魂の愛するものを見つけた)という旧約聖書の中の雅歌の一節を示し、女性に純白の花を贈っている。この女性は天井画に描かれた多くの人々のうちただ一人だけ後光を纏っており、絵画中の最重要人物ということになる。

それに加えて部屋の造りから見た天井画のこの部分の位置(部屋の最奥、入口や中二階から見て真正面)、絵画的な構図、物語性、そして何よりもここを見た時に伝わってくる製作者の気迫から、画家が最も見せたかったのがこの部分であることはまず疑いようがない。

問題はこの女性が誰か? という事であるが、恐らく聖母マリアであると思われる。その根拠は、それだけの重要人物であるということの他に、青い布を纏っていること(青色は聖母マリアの象徴)、男性から送られている花が六枚の花弁を持つ白い花(白百合)であること(処女の象徴)の2点である※8。とすれば、花を贈っている初老の男性はナザレのヨセフ(マリアの婚約者であり、イエス・キリストの養父)であろう。ああ、なんと美しい絵画だろうか!

さて、ここまで礼拝堂を見てきたが、十戒を表す2つの石版の特徴からここの宗派がカトリックであったことはまず間違いない。さらにイエズス会(カトリックの一派)のモットーである"Ad Majorem Dei Gloriam"(神のより大いなる栄光のために)という文言が天上画のかなり目立つ所にあったので、イエズス会である可能性もあるが、会の紋章が現地で発見できなかったためその確証はない。

宮殿の中にここまで手の込んだ礼拝堂を造ってしまうほどなので、これを建てたパッキンスキー家の当主はかなり熱心なカトリック信者だったと思われる。ポーランドは建国者であるミェシュコ1世(Mieszko I)が西暦966年にカトリックの洗礼を受けて以降敬虔なカトリック国で、今も国民全体の9割がカトリック信者だ。若者の宗教離れが世界的に叫ばれて久しく、イギリスやフランスでは無宗教の割合が6~7割に達している中、ポーランドでは「自分はキリスト教徒だ」と答える若者の割合が83%※9と異様なほどの高率に達しており、現在ヨーロッパで最も信心深いキリスト教国となっている。

(→「ビチナ宮殿 その2:建物の現状及びその他の建築学的特徴」に続く)

【廃墟Data】

探訪日:2018年7月中旬

状態:売却用の管理物件

所在地:

  • (住所)Rolnicza 29, 44-120 Bycina, ポーランド
  • (物件の場所の緯度経度)50°23'40.7"N 18°32'08.3"E
    ※ Wikipediaに記載されている数値は正確ではないので注意
  • (アクセス・行き方)ヴロツワフ(Wrocław)からアウトストラーダ(高速道路)4号線(A4)をカトヴィツェ(Katowice)方面に乗り、130km強進む(※ A4はアウトバーンからヴロツワフまでは無料だが、ここからは有料になるので注意!)。E287番出口の料金所を出てすぐ右折し、40号線をピスコビツェ(Pyskowice)方面に進む。6kmほどでビチナ(Bycina)の町に入るので、右手に地元のスーパーマーケット「Sklep Wielobranżowy Odido Usługi Transportowe」が見えるT字路を左折する。そのまま600mほど道なりに進むと、左手に宮殿の廃墟が見えてくる。