Menu

ビチナ宮殿 その2:建物の現状及びその他の建築学的特徴

(→「【ポーランドの廃墟】ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie)」より)

ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie) 市道側からみた外観

市道側から見た宮殿。

写真左下の正面入口(上が丸いドーム状)の上部には、ポーランド王国の有力貴族Tęczyńscy家の紋章(赤い手斧)のレリーフが刻まれていたが、2010年代前半に崩落してしまったらしい。

ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie) 南端外観

(▲ 宮殿の南端部分)

「建設現場への立ち入り禁止」とポーランド語で書かれた黄色い看板

鉄柵には「建設現場への立ち入り禁止」と書かれている。

建設現場? と思ったが、次の看板を見て何となく謎が解けた。

2015年と2016年の2度に渡り屋根の修復が国により行なわれたことをポーランド語で告示している看板

宮殿南端の壁に打ち付けられた2枚の告示。その内容は「20XX年にビチナ宮殿の屋根を保護するためのX度目の改修が行なわれ、その費用はシレジア郡史跡修復基金より賄われました」という様な事が書いてある。左は2015年(1回目)、右は2016年(2回目)のもの。

屋根裏部屋(マンサード屋根)

そしてこちらが宮殿の屋根裏の様子。元からあったと思われるくすんだ色の木材の骨組を支えるように、真新しい木材が所々走っている。これが件の屋根の補修の跡と見て間違いない。

ちなみにこの宮殿のように外側の4方向(写真では3方向)に向けて2段階に勾配がつけられた寄棟造の屋根のことを「マンサード屋根」と言う。フランスを代表する建築家フランソワ・マンサール※1によって多用されたことで広く知られるようになった屋根の形式で、天井をより高くすることができるので、屋根裏部屋を設置するのに適している。写真でも屋根裏の空間が、一般的に屋根裏と言われて想像されるような空間よりも大分広々としているのが見て取れる。

放置された木材用の含浸処理剤の缶が2つ

屋根裏部屋の傍らには、木材用の含浸処理剤(防腐・防虫・耐火性等を付与する薬剤)が放置されていた。屋根の改修時に使用されたものだろう。

真新しい木材で補修された3階ホール

3階の大部屋。こちらにも真新しい木材で補強がなされている。

製図台のある部屋

製図台のある部屋。これを見た時「まさか現場で製図したのか?」と疑問に思ったが……

経費報告書(ポーランド語)

この用紙を見つけて、どうやら本当にそのようだと判断した。これは改修作業に掛かった経費の報告書のようだ。紙面右側には現場監督や会計士の署名欄がある。

部屋に残された図面の一部

走り書きだが図面の一部も残されていた。やはりこの部屋を事務所として利用して、屋根の補修用の図面もここで引いていたという事だろう。

ビールの小売

事務所では軽食や飲料などの購入もできたらしい。写真の缶はカステラン(Kasztelan, 城の守人の意)という、ややマイナーなポーランドのビール銘柄。

木箱の札には「12個セット 6カップ(約22センチリットル(=220mL))6皿」と書いてあり、上からイタリア語・スペイン語・ポルトガル語の3言語対応だ。様々な背景を持つ人々が、工事には関わっていたらしい。

1階へと続く階段

(▲ 2階の事務所から1階へと続く階段)

勝手口

(▲ 階段を降り切った所。ここは前回記事の「勝手口」の内側に当たる)

放置されたマットレス

1階の前室にはマットが放置されていた。色々と建設用の機材も置いていたので、防犯上誰か一人はここに寝泊りしていたということだろうか……?

廃墟に宿泊というと「そんな恐ろしいことはできない!」という感想を抱く人が大半であろうが、まぁ慣れてしまえばどうということはない(ソースは筆者)。

控え室に使っていたと思われる部屋

1階奥の部屋。天井にはスプリンクラーと電灯が設置され、一応は人が過ごすことができるように現代的な改装がなされている。壁には南の島の美しい景色がA2用紙8枚くらいのパッチワークで貼り付けられており、机の上にはビールの空き瓶。ここは作業員の休憩所といったところか。

壁龕(ニッチ)

2階廊下の突き当たり。正面の窪みは「壁龕(へきがん)」または「ニッチ(niche)」と呼ばれる構造で、聖像などを安置する場所として使われる。写真のように上部が丸いドーム状になっているのが一般的である。

埋められたドア

部屋をつなぐ扉が一旦現代的なドアに造り替えられた後、さらにそれも埋められてしまった跡。この宮殿が辿ってきた長い長い歴史を感じさせる。

発掘された十字状の構造物

1階北側の部屋にはレンガ製の十字の構造物が発掘されたような跡があった。構造上建物の基礎であるとは考えにくく、宮殿が建てられる前にここに建っていたものか、宗教的な理由で埋められたものだろう。

さて、ここまで建物全体を見てきたが、現地を実際に歩いてみて感じた宮殿の保全状況としては「なんとか持っている」という状態だ。所有責任者は主に金銭面の理由から管理を半ば放棄しており、史跡の保全(安全)基準を満たさなくなった本物件を、仕方なく国がだましだまし延命させているというのが実情と思われる。

実際、記事本文では紹介しなかったが、建物の1階部分や礼拝堂の中には工具や資材などが揃えられており、改修したいという意志はまだ完全には捨てていないように感じられた。現地にはごく最近作業をしたような跡もあったので、私がここに来たのが日曜日だったために、たまたま工事をしていなかっただけという可能性も低くは無い。日曜日は完全休業というのは、実に敬虔なキリスト教国らしい。