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「想いの残響」 -女子美術大学付属幼稚園-

色あせてしまった、園児たちの壁の落書き。 床一面の緑の絨毯。 卒園以来、過ぎ去ってしまった残酷な時間。 二度とは戻らないあの日に思いを馳せ、私たちはまた想いを刻む―― (▲ 木漏れ日の美しい通路。右手に見えるのは「もみじ」組の入口。) ...

 16, 2021   13

小倉沢小中学校(埼玉県秩父市・解体間近)

1. 概要 小倉沢(おぐらさわ)小中学校は埼玉県秩父市にある小学校および中学校の廃墟。ノスタルジックな木造校舎の廃校として非常に有名であり、2000年代の廃墟ブーム以前からその名が知られていた。そのため伝統的に廃墟愛好家あこがれの場所のひとつに数えられる。 学校のある小倉沢集落は秩父鉱山※1の麓(ふもと)にできた町であるが、鉱山の採掘規模が縮小されたことから、現在ではこの場所そのものが廃村であ...

 10, 2021   4

真鶴町立岩小学校 ~廃校の桜~

1. 概要 箱根山の麓、伊豆半島の付け根にあたる真鶴(まなづる)半島にある小学校跡。学校の名前にもなっている「岩」という地名は、読んで字のごとく岩石が多い土地であることに由来している。 そしてその岩石であるが、当地でのみ産出する稀少な石材「本小松石」は、香川県の庵治(あじ)石と並び、墓石の最高級品とされる※1。岩小学校の校歌にも「岩 岩 岩の子われら」と詠われるなど、現地住民の石に対する特別...

 15, 2020   0

旧上岡小学校 ~廃校の桜~

1. 概要 旧上岡(うわおか)小学校の創立は明治12年(1879)、設立当初の生徒数は51名であった。現存する建物のうち最も古いものは、明治44年(1911)に建てられた写真の校舎である※1。 昭和35年(1960)には生徒数278名と最盛期を迎えるが、その後は減少を続け、平成13年(2001)に閉校。閉校時の生徒数は36名であった。 閉校以後は、明治の面影を今に伝える貴重な木造校舎として注目されるようになる。NHKの「夢...

 29, 2020   0

犬居小学校領家分校 ~廃校の桜~

1. 概要 遠州秋葉(えんしゅうあきは)山といえば東海随一の霊山と名高く、古くから山岳信仰や天狗信仰の場とされてきた。山頂付近には日本全国に400以上ある秋葉神社の総本山が置かれ、火難除けの神様として広く世に知られている※1。 この霊験あらたかな山の麓、春野町に古い木造の分校跡が今も残っている。創立は定かでないが明治初期と考えられ、元々は分校ではなく「領家学校」という名の独立した学校で...

 22, 2020   0

野迫川村立池津川小学校 ~廃校の桜~

1. 概要 高野山「奥之院」のさらに山奥に位置する秘境、奥高野。ここに野迫川(のせがわ)という村がある。この村のさらに外れ、池津川と呼ばれる地区は世帯数16世帯、総人口数はわずか25人※1という人口減少が特に激しい僻地である。ここに、古い木造の小学校が建っている。 ここであえて「廃校」と言わなかったのは、あくまでもまだ休校扱いだからだ。休校年は昭和54年(1979)。休校間際の昭和51年度(1976)の時...

 17, 2020   0

旧粟代小学校 ~廃校の桜~

1. 概要 粟代(あわしろ)小学校の開校は明治6年(1873)10月10日。同じ年・同じ月には征韓論政変※1が起きており、西郷隆盛や板垣退助、岩倉具視といったいわゆる「歴史上の人物」が活躍していた時期である。 外観は明治期の学校建築の特徴※2を色濃く残しており、同じ明治期に建てられた小学校として有名な茨城県の旧上岡(うわおか)小学校と比べても屋根に本瓦が使用されるなど、より古い時代の趣を今に伝えている...

 15, 2020   2

旧志津小学校青菅分校 ~廃校の桜~

1. 概要 千葉県佐倉市の新興住宅地であるユーカリが丘にひっそりと眠る、木造の分校跡。写真の校舎は、昭和30年(1955)に志津小学校の第二分校として建てられたものである。当時はまだ「青菅分教場」と言えば、ここより西方にある第一分校を指していた。 それから6年後の昭和36年(1961)、第一分校が独立して上志津小学校となる際に本第二分校は現名称へと改められた。そして昭和52年(1977)3月をもって、青菅分...

 11, 2020   0

浜松市立熊切幼稚園・熊切小学校 ~廃校の桜~

1. 概要 赤石の連山を北に望む、のどかな山あいの町にある小さな幼稚園。園児数の減少が続くなか平成24年(2012)3月末で一旦休園となり、同年4月から元園児たちは山向こうにある気田幼稚園(※外部サイト)までスクールバスで通うことになった。 この移転にあたっては、熊切の園児たちが移転先でもすぐに馴染めるように、事前に交流会や合同のサッカー教室が開かれるなどかなり配慮がなされたようである。 幼稚園は...

 01, 2020   6

【広見小学校】廃校までのアクセスと校舎周辺の様子

(→「【広見小学校】スノーボーダーが遭難・救助された廃校」より) 本物件は辿り着くまでにかなり苦労するので、以下に少し補足をしておく。 国道488号線に入ってすぐこの看板が見えるので行く末を不安に思うかもしれないが、2017年現在、廃校の手前まで行くことはできる。 前回記事の【廃墟Data】でも触れたが、反対側の匹見町方面から廃校へ行くのはやめておいた方がいい。 基本的にはこんなような細い...

 15, 2017   2

【広見小学校】スノーボーダーが遭難・救助された廃校

1. 沿革 広見小学校は1884年(明治17年)に島根県の広見集落に開校した。最盛期の1959年(昭和34年)には児童数31名に達したものの、三八豪雪※1をきっかけに一気に過疎化が進んだ。わずか11年後の1970年(昭和45年)には、児童数はたったの2名となる。 そしてこの年に広見集落そのものが匹見(ひきみ)町へ移転されることが正式に決まり、廃村。それと同時に広見小学校も匹見(ひきみ)小学校へ統合され、廃校となっ...

 14, 2017   0

【板谷小学校】校庭に住居の建つ廃校(長崎県児湯郡)

(▲ 板谷小学校前に咲く見事な桜とGN125H) 西米良村立板谷小学校の創立は1879年(明治12年)、下板谷地区の民家を村所小学校の分校として使用したのが始まりである。同15年5月、校舎が大王鶴に移転され、同21年3月に板谷小学校として独立する。その後幾度かの移転や改修を経て、1966年(昭和41年)4月に現在の場所に落ち着いた。 そして1979年(昭和54年)に創立百周年を迎える。その後は宿泊所として利用されるな...

 01, 2017   0