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松尾鉱山 緑ヶ丘アパート(岩手県)

1. 概要・歴史 ──かつて、「雲上の楽園」と呼ばれた都市があった。 岩手県八幡平(はちまんたい)市、松尾鉱山。標高1000m近い山中に、巨大な鉱山が昔あった。国内の硫黄需要の8割をも独占したそれは「東洋一の硫黄鉱山」と呼ばれ、おおいに栄えた※1。 しかし今では、鉱山アパート群の廃墟が無人の荒野にただ立ち尽くすのみである。まるで過ぎ去った過去の栄華の墓標のように── ...

 12, 2021   12

旧住友奔別炭鉱 関連廃墟まとめ(北海道・地図付き)

概要・歴史 住友奔別(ぽんべつ)炭鉱とは、北海道三笠市にある石炭鉱山の廃墟である。「奔別」とはアイヌ語のPon(小さな)-Pet(川)を語源とし、現地には由来となった奔別川が今も流れている。 鉱山の始まりは明治33年(1900)で、当初は「奈良炭鉱」と呼ばれていた。その後、昭和3年(1928)に住友系の企業が鉱山を買収。以降、昭和46年(1971)の閉山までに計2650万トンもの石炭が採掘された※1。 ...

 12, 2021   6

足尾銅山 関連廃墟まとめ(栃木県)

足尾銅山の歴史・概要 足尾銅山とは、栃木県にある巨大銅山の廃墟である。江戸時代には幕府直轄の鉱山として栄え、かつては「日本一の鉱都※1」とも謳(うた)われた。しかし採掘が停止し山から人の姿が消えた後は、現地に立ち並ぶ廃墟だけがその当時の隆盛を今に伝えている。 記事冒頭の写真は、その足尾銅山の本丸ともいえる本山精錬所の廃墟群である※2。 ...

 20, 2021   14

小倉沢小中学校(埼玉県秩父市・解体間近)

1. 概要 小倉沢(おぐらさわ)小中学校は埼玉県秩父市にある小学校および中学校の廃墟。ノスタルジックな木造校舎の廃校として非常に有名であり、2000年代の廃墟ブーム以前からその名が知られていた。そのため伝統的に廃墟愛好家あこがれの場所のひとつに数えられる。 学校のある小倉沢集落は秩父鉱山※1の麓(ふもと)にできた町であるが、鉱山の採掘規模が縮小されたことから、現在ではこの場所そのものが廃村であ...

 10, 2021   4

軍艦島上陸作戦 -Operation HASHIMA-

(▲ GoogleMapより) 1. 軍艦島の概要 長崎県長崎市の沖合いに浮かぶ巨大廃墟「軍艦島」。正式名称を端島(はしま)(羽島とも)という。言わずと知れた、我が国が世界に誇る一大廃墟島である。 かつてここでは良質の強粘結炭(石炭の一種)が採れたため、島はおおいに賑わった。最盛期の昭和35年(1960)には人口密度が当時の東京の9倍(当時の世界一)にもなったという。 しかし世の中が石炭から石油の時代へと移り...

 25, 2020   8

【田老鉱山】その他鉱山関連施設・明星大学の設備等

(→「その1:【田老鉱山】緑に包まれた選鉱場」より) (▲ 忘れられた世界──草花に覆い尽くされた、かつての栄華の残滓) (▲ 明星大学セミナーハウスの別館1号館。今も使われている気配は全く無い) (▲ 橋梁研究室。部屋のカーテンが朽ち果てているのが外からでも伺える) (▲ 旧鉱山事務所...

 08, 2018   10

【田老鉱山】緑に包まれた選鉱場

1. 概要 田老(たろう)鉱山とは、岩手県宮古市にある鉱山の廃墟である。木々の生い茂る選鉱場がとても美しいことでよく知られている(上の写真)。神殿を思わせる荘大な人工物が植物によって侵食されていくその光景はまさに圧巻で、ここは文句無く日本の廃鉱山の代表格と言えよう。 1-2. 田老鉱山の歴史(開鉱~閉山まで) 田老鉱山の開鉱は大正8年(1919)、ラ...

 30, 2018   8

【紀州鉱山・探索】その3:東洋のパルテノン神殿

(→「その2:選鉱場最上部へ」より) その荘厳な佇まいは、遥か南欧のパルテノン神殿を思わせる。 山の中腹あたりにトンネルがあったが、中は土で埋められていた。 選鉱場と各鉱区を繋いでいた紀州鉱山鉄道(外部サイト)のトンネルはまた別の場所(インクラインの麓)にあるので、このトンネルはそれではない。坑道保守用のトンネルか何かだろうか? この壮大...

 28, 2017   2

【紀州鉱山・探索】その2:選鉱場最上部へ

(→「その1:朝靄に眠る古き選鉱場」より) 山頂の方を見上げる。選鉱場にはまだまだ上がありそうだ。 インクライン(勾配鉄道)をひたすら登っていく。 レール中央には等間隔にガイド用のローラーのようなものが設置されているのが見える。街中を走る普通の鉄道には無い、インクライン独特の設備だろう。 インクラインから選鉱場跡を見る。 コンクリート柱群のほぼ頂上まで...

 27, 2017   0

【紀州鉱山・探索】その1:朝靄に眠る古き選鉱場

(▲ 紀和町板屋地区の山中に眠る選鉱場跡) 1. 概要 紀州鉱山(紀和鉱山)は古くは奈良時代から採掘が行われていた鉱山であり、主に銅を産出したほか金・銀の鉱脈もあった。奈良東大寺の大仏を建立する際にも、ここで採れた大量の銅が使われたと伝わっている。 写真の選鉱場が建てられたのは戦前の1939年(昭和14年)、その5年ほど前から当鉱区の再開発を行なっていた石原産業株式会社によるものである。1965年(昭...

 26, 2017   2

【下川鉱山】幻の「40高中」が眠る、忘却の土地

(▲ 下川町の中心街から鉱山地区へと伸びる道道354号線) 1. 鉱山の歴史 下川鉱山は三菱鉱業所有の銅山であり、黄銅鉱のほか鉄や亜鉛などの鉱石を産出した。 この地では昭和8年(1933)頃には鉱石を含む地層が見つかっていたが、本格的な採掘が行われたのは昭和16年(1941)に入ってからである。折りしも太平洋戦争が勃発した時期であり、大日本帝国の重要な軍需産業として下川鉱山は少しずつその規模を拡大していった。 ...

 30, 2017   2