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一ヶ月間一日一更新を終えて

(▲ 廃墟「桑ハウス」の敷地に棲む三毛猫) 一ヶ月間、当ブログをご愛読いただきありがとうございました。 アクセス数はそれまでの倍以上に増えましたし、皆様の投票のお陰で廃墟写真ブログの三位以内に入ることもできました(OUT順では一位!)。皆様の愛をひしひしと感じております。 それまでは物件数が少なく廃墟ブログとしては内容が寂しいため、一ヶ月間一日一更新を続けてきましたが、普段からかなり忙しいことと...

 19, 2012   0

松井田火葬場

人が、その一生を終える場所。 廃墟と化してもなお、厳粛な空気を漂わせる火葬場。 いったいどれだけの人が、ここで最期の時を迎えたのだろうか。 事務机の上には、数珠が残されていた。 火葬場ならではの書類。こうして実物を目にすることは、我々一般人にはそうない。 火葬記録簿が残されていた。住所を見る限り、地元の人達を専門に扱っていたようだ。多くは高齢者だが...

 15, 2012   5

星と陽の光の中の奥多摩ロープウェイ

【微速度撮影】奥多摩ロープウェイからの日の出(ニコニコ動画) 廃墟「奥多摩ロープウェイ かわの駅」より見える奥多摩湖の日の出の様子をタイムラプス撮影してみた。動画そのものには廃墟要素が皆無なのが申し訳ないが…… ちなみにこの動画の撮影の前には、かわの駅の屋上から星景動画の撮影にもチャレンジしていた。 【微速度撮影】奥多摩ロープウェイからのオリオン座(ニコニコ動画) 夜明けの空の蒼色に溶けていく星...

 11, 2012   2

男塾(東京政経塾犬吠崎分校)

「銚子に廃墟があるらしい」と、現地をよく知る友人から情報提供があった。そして今日はその友人を案内役に、バイクで二人乗りして銚子市までやってきた。 友人と共に、犬吠埼の北側の浜へと降り立つ。 季節はまだ5月だが、波打ち際では健全な若者たちが夏を待てずに海遊びを楽しんでいた。 そして不健全な我々の目的は当然、海ではなく廃墟である。実はもう、目的の廃墟は見えている。 うわ...

 08, 2012   4

府中関東村

(▲ 府中関東村 南側ゲート) 府中関東村とは、戦後にアメリカに接収された調布飛行場の関連施設があった場所(つまり元米軍施設)である。別名「調布関東村」とも呼ばれる。ここには880戸の住宅が建てられ、約4500名の米軍人とその家族が暮らしていた。「村」の名の通り、学校や消防署、診療所などの施設も備えたひとつの町であった。 昭和49年(1974)にアメリカから日本に返還され、現在までに旧施設の大部分は解体されて...

 07, 2012   0

細尾第一発電所

細尾第一発電所とは、栃木県日光市にある明治時代の水力発電所の廃墟である。ここは足尾銅山の関連遺構のひとつであり、鉱山の急速な発展に伴いひっ迫していた電力供給を満たすべく明治39年(1906)に建設された。 しかしせっかく遠出したのに、今日はあいにくの空模様だ。廃墟写真と言ってもこの頃は単なる記録撮影が目的で、バイクにみっともないビニール袋が下がっていたりするのが何とも…… 入口からそっと中に入...

 05, 2012   0

浅間園展望台(旧・浅間火山博物館)

浅間園展望台とは、群馬県の活火山「浅間山」のすそ野にかつてあった観光施設の廃墟である。 探索時期は2008年とかなり古いが、浅間園も最近は全面板張り&監視カメラ付きで探索が事実上不可能になってしまったらしく、追悼記事として内部探索の記録をここに載せる。 まだ残雪の厳しい3月、我々は全国でも珍しい展望台・博物館の廃墟を目指していた。 暖かくなってきたとはいえ、ひざ下まで埋まる雪に、思う...

 03, 2012   3