(→「その1:外観~受付」より)
受付の奥の部屋は台所になっていた。
とても中を開ける勇気はない。
せっかく綺麗にしたのに、洗う前より汚くなってしまった。
これはまた古い型の洗濯機だ。大きいものではないため、客室用とは思えない。
きちんとした台所がある事といい、管理者は住み込みでここを切り盛りしていたのだろう。
操作パネル部分をもう少しアップで。右の円形の操作盤が特徴的だ。一体何を設定するものなのだろうか。
昭和53年の新聞を見つけた。部屋にかけてあるカレンダーよりも新しいものだ。
これらから推測される廃墟年齢は30年以上ということになるが、残された設備を見るとそんなものだろう。そのわりには建物の状態が良すぎる気もするが……
「ビクター純白カラー」の色使いが時代を感じさせる。
「淳子は純白」というキャッチコピーには反応することすらできない。私とは全く世代が違うのだろう。
カラーテレビ黎明期の1970年以前、白を白く表示するのは技術的に極めて難しかった。当時の日本ビクターはそれができるTVを開発し「純白カラー」と命名。その後カラーテレビが爆発的に普及し、1973年には普及率が白黒テレビを上回った。
この廃墟はその時代を生きてきたということだ。そして今ではもはやブラウン管TV自体をどこにも見かけなくなってしまった。
管理者居住区には大小2つの部屋があった。小さい方は床が腐っていて、踏み入れることはできなかった。
次回更新記事では客間の方を紹介する。
(→「その3:客室」へ続く)