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【戸石分校】一度だけ復活した山奥の廃校

【廃墟】安原小学校 戸石分校_戸石の村の風景

深い四国の山中、人家も無くなって久しく鬱蒼とした峠道をひたすら突き進んでいくと突然視界が開け、目の前にのどかな山村の風景が現れた。そのあまりのギャップと唐突さはまるでキツネに化かされたかのようで、私にかの伝説の隠れ里、小俣京丸※1を連想させた。

戸石分校の開校は、優に100年以上前の明治16年(1883)。安下小学校(現・高松市安原小学校)の分教場として※2発足。昭和58年(1983)には児童数1名となりいったん休校に追い込まれるものの、その後平成3年(1991) に1年生2名を迎えて再開校した。

少子化により学校の統廃合が進む近年こうした事象は大変珍しいが、平成13年(2001)に再び休校となった。その後は再開されることのないまま平成27年(2015)高松市立塩江小学校に統合され、130年余の長い歴史に幕を降ろした。

【廃墟】安原小学校 戸石分校_門柱
【廃墟】安原小学校 戸石分校_校舎内部
【廃墟】安原小学校 戸石分校_本校へご連絡下さい
【廃墟】安原小学校 戸石分校_タイヤブリッジ
【廃墟】安原小学校 戸石分校_少年の夢
【廃墟】安原小学校 戸石分校_タイムカプセル

そして最後の休校から10年。かつての少年少女達はこの地で再び相見あいまみえることができたのだろうか──

【廃墟Data】

探訪日:2016年5月初旬

状態:健在

所在地:

  • (住所)香川県高松市塩江町安原下第2号857番地
  • (物件の場所の緯度経度)34°09'22.0"N 134°01'28.4"E
  • (アクセス)国道193号線から県道167号線を綾川町柏原渓谷方面へと入り南下、6km程行くと町道戸石線との分岐があるので直進して戸石線へと入る。そこから約800m行くと右側に校舎の敷地が見える。

【脚注】

※1^

江戸時代に偶然発見されるまで推定400年もの間、誰にもその存在を知られることの無かった集落(現、静岡県浜松市)。里の人間全てが「藤原」の姓を名乗った。

柳田國男やその高弟折口信夫が興味を持ち、折口は実地調査も行った。南北朝時代の南朝の子孫が隠れ住んだ土地ではないかと言われている。

【静岡県 日本唯一の隠れ里「小俣京丸」】
http://日本都市伝説.com/?p=542

※2^

戸石分校の公式HP※3によると発足は"中徳尋常小学校の分教場として"とあるが、中徳尋常小学校が発足したのは明治19年であり戸石分校の発足時期と合わない。

中徳尋常小学校の発足は、その前身である安下小学校(明治16年開校)が中徳の地に移されたことに始まる(「中徳尋常小学校」と改称されたのはさらに翌年の明治20年)。安下小学校の発足と同時に4つの場所に分教場が作られたが、この明治19年の移設に伴い1校を除き全て廃止された。

この時残った分教場が後の戸石分校であるので、正確には「安下小学校の分教場」とすべきだと考えて本文ではそう表記した。

※3^

その後観光地となったり転用されたりしているわけでもない純粋な廃校で、公式HPがある(しかもわりとまともに機能している)というのも珍しい。

【戸石分校HP】
http://www.niji.or.jp/home/toishi/