
バブルに翻弄された、伝統ある冬の町
青森県大鰐町は開湯800年の歴史を持つ温泉町である。江戸時代には弘前藩の湯治場として賑わい、当地の歴代藩主も代々訪れるほどの人気ぶりであった※1。
また、大正11年(1922)には青森に初めてスキーを紹介した陸軍将校、油川貞策によりスキー場が建設される※2。以後ここは全日本スキー連盟発祥の地となり、全国規模の大会が何度も開催されるなどスキーヤーの間では名門スキー場として広く知られる存在となった。
この由緒正しき小さな山あいの町に新時代の旋風が巻き起こったのは、昭和62年(1987)10月のことである。いわゆる「リゾート法」が同年6月に施行されたのを契機に、大鰐町の大規模リゾート化を推し進めるべく、第三セクター「大鰐地域総合開発」が設立されたのだ(以下「三セク」と呼称)。
本三セクはスキー場を増築して冬場の集客向上を図ったほか、新たに夏場の観光客を取り込むべく、巨大クアハウス「スパガーデン 湯~とぴあ」構想を計画する。そして平成元年(1989)12月に総工費25億円をかけ、1万平方メートルもの山林を切り開き本施設を建設した※3。
その後さらに、平成3年(1992)には大型ウォータースライダー「スプラッシュキャニオン」を16億円かけて増築している。そして当初はその目論みどおり、クアハウスだけで年間30万人もの観光客を呼び寄せることに成功する。スキー場の入場者数もこれまでの5割増しになるなど、相乗効果も大きかった※4。
しかし天下のリゾート法のもと、競合施設が全国に次々と作られた。そして追い打ちをかけるように訪れたバブル崩壊の足音と共に、その集客力は急速に失われていく。それでも運営元の三セクは「設備を拡充すれば客は戻る」と根拠に乏しい無謀な借金と増資を重ね毎年赤字を計上、平成5年(1993)4月には金融機関への返済が滞り始める。
そしてついに平成8年(1996)9月末※5、湯~とぴあは設備の修繕を建前として一時休館、そのまま再開されることは二度と無かった※6。莫大な資金を投入し、鳴り物入りで立ち上げた大鰐町の巨大スパリゾートであるが、その寿命はわずか7年足らずという短いものであった。
身の丈を超える借金、そして財政は破綻寸前に
私企業ではなく三セクの経営破綻──この負債を弁済するのは当然、バックに付き債務保証をしている大鰐町である。この瞬間から税収7億円余の小さな町は実に100億円以上もの莫大な借金を抱えることになり、住民には戦慄が走った。
たまらず町は金融機関と交渉をはじめ、翌年(1997)12月に和解。子々孫々にわたり町に深い傷跡を残すような温泉・スキー施設等の売却を含めた一括返済(三セクの倒産に伴う損失補償契約の履行)ではなく、形式上は三セクを残し毎年3億円ずつ返していくことで合意した。
それ以後、大鰐町は縮小したスキー場や旅館の経営などで地道に借金を返済していた。しかし平成21年(2009)に青森県内で初となる早期健全化団体(財政破綻寸前の状態)に転落し、いつしか「第二の夕張」の呼び声も高くなってしまう。

再建への道程
このどん底の状況を救ったのは、こうした三セクの相次ぐ破綻に少しは責任を感じたらしい政府(※主犯)が施行した改正法である。すなわち、三セクの財政健全化を目的として行った「第三セクター等改革推進債」に係る地方財政法の一部改正だ。
大鰐町はこれに目をつけ、平成23年(2011)11月に地元金融機関の協力のもと66億円強の推進債を発行。それを元に債務の借り換え(要は金利の安い所への借金のくら替え)を行なった。その結果これまでの5~8%の金利がわずか1%にまで圧縮され、全体では十数億円もの負担減に繋がった。
また、この借り換えに伴い、町を早期健全化団体へと転落させた原因である大鰐地域総合開発と大鰐町開発公社の整理にめどが立った。そして平成24年(2012)12月に両団体は自己破産を申請し倒産。損失補償契約で町を縛り付け、蝕み続けた負の遺産にはこれで一応のケリがつけられる形となった。
その後も町には追い風が吹き財政状況は改善を続け、債務の繰り上げ償還までもが可能となる。そして計画より7年も前倒しとなる平成27年(2015)に、大鰐町の財政健全化は完了した。
こうして破綻寸前の状態からは何とか脱却した大鰐町であったが、依然として大きな借金は残ったままだ。これを返していかなければならないのはつまるところ大鰐の町民であり、彼らの血税である。
まさしくその大きな爪痕に他ならない「スパガーデン 湯~とぴあ」の巨大廃墟群──町民にとっては視界に入るのも苦痛であろう。しかし解体するにも莫大な費用がかかるため、残る債務の返済を優先すべき今の状況でそれは望むべくも無い。
※ 2019年度に、大鰐町は具体的な解体費を試算し始めたとのこと※7。解体に向けて一歩近づいたと言って良いだろう。
(→ 本物件各論「その1:ウォータースライダー建屋内・他」へ続く)
【廃墟Data】
廃墟化時期:1996年10月1日~
探訪日:2015年10月上旬
状態:健在 ただし一部が水没 ガラスドーム内部は天井から重いガラスが恒常的に落下し続けており非常に危険
難易度:★★★★★(最高) ※現在は扉のほぼ全てが固く封鎖されている
駐車場:同施設の駐車場跡を利用(→地図)
所在地:
- (住所)青森県南津軽郡大鰐町大鰐上牡丹森78
- (物件の場所の緯度経度)40°30'42.0"N 140°34'23.1"E
- (アクセス)東北自動車道「大鰐弘前IC」より、国道7号線経由で約13分(6.8km)。
国道7号線を大鰐町方面に進み、東消防署南分署前交差点で県道201号線に入る。その後トンネルを抜けてすぐの交差点を左折し500mほど行くと、右手に現役のホテル「星野リゾート 界 津軽」が見えてくる。そのホテルに隣接(接続)する形で本物件が立っている。