
はー、キレイな青空!(笑) これは外から見るよりもかなりシュールだ。
これまで日本津々浦々の廃墟に訪れてきたが、北海道の廃墟はいかんせん試されすぎていて、総じて日本の他の地域の廃墟よりも状態が悪いなというのがその印象だ。ここもその典型例と言えるだろう。

この「煙突が無事」というのも、廃墟のシュールさを一層増していると思う。
「当時の様子に思いを馳せる」というのは、廃墟をやる上での醍醐味とも言える行為だが、それもこの廃墟の前では虚しい言葉だった。
ここに来るまで何キロもの間は人家すら無く、現地で唯一見つかったものと言えばペリカン便の伝票1枚のみ(これはこれで時代を感じる物だが)。他に往時を偲ぶものは何一つ見つけることができなかった。

これが建物内で見つけたペリカン便の伝票だ(住所等は編集で一部塗りつぶしている)。平成15年(2003)11月に北海道北見市から岩見沢市へと宛てたもの。当のペリカン便は2010年7月にゆうパックに統合され、33年の歴史に幕を降ろしている※1。
わざわざ廃墟来訪者が伝票だけ捨てていく事は考えにくく、ここが廃墟化する前に関係者がここへ持ち込んだものだとすれば、予想される廃墟年齢は10年強と考えられる。
その後の調べで、以前はここ霧立に集落があり、昭和51年(1976)に過疎化により解村していたことが分かった※2。伝票の件から察するに、その時点でぱったりと人が居なくなったわけではなく、少なくともこの建物にはその後も関係者が訪れていたのだろう。しかし、見ての通り建物が完全に崩れてしまい放棄された、といったところか。
周囲に見えるまともな建物はこれ1つのみで、あとはただただ草地と森が広がるばかりであり、霧立村があった当時のものは他に一切見当たらない。全てが完全に土に還ろうとしている「人に造られた街の最期の姿」が、ここ霧立にはあった。
【廃墟Data】
探訪日:2015年5月下旬
状態:末期
所在地:
- (住所)北海道苫前郡苫前町霧立
- (物件の場所の緯度経度)44°13'27.1"N 141°52'50.0"E
- (アクセス)北海道士別市内にて、国道40号線から国道239号線へと入る。そのまま239号線を西へ55km進む(下川国道→観月国道→霧立国道、と名称は変わってゆく)と、左手の草むらの中に屋根の抜け落ちた灰色の建物が見えてくる。