(→「その1:外観・店舗用区画」より)

こうして当たり前のように大釜が干されている辺り、この廃墟の持つ悠久の歴史を感じさせる。蓋と口とをちょっとずらしておいて、ちゃんと釜の中まで乾燥されるようにしている所に、物凄く「生活感」を感じないだろうか? これがそのままの状態で平成の今まで保たれている奇跡には、感動を覚えずにいられない。

ワンカップ大関の器の再利用にも「生活感」が滲み出ていて思わずニッコリ。そうそう、こういうのをただゴミとして捨てるには何か忍びないっていうその気持ち……分かる、分かるよ。ここに居たのは機械ではなく、同じ心を持った「人間」であることがありありと見て取れて嬉しい。

しかし「煙突がある家」って改めて見ると凄いよな……。今ではそんな家、西洋かぶれの金持ちの家くらいだけど、薪が主要な燃料だった時代はそれが普通だったんだよな……。暖房用に煙突を備えた廃墟は北海道では珍しくないけれど、それ以外の用途で煙突がある廃墟ってあまり記憶にない。ここは本当に、相当古い時代の廃墟なのだろう。
それに加えてこのむき出しのブレーカーw 今だったら絶対に許されないだろこんなのwww

こりゃまた絵に描いたようなレトロな電燈だこと……。というかここヒロシマでこの形の電燈とか、もはや「灯火管制」しか思い浮かばないんですが。この廃墟の予想される年齢の高さを考えると、ヘタしたら本当に灯火管制用の布をこの電灯に被せていたかもしれない。手元の資料を見ると当時の電灯はそのまんまこの型である。

これを見た瞬間こそ「こんな廃墟で何これ恐い、お経?」と思ったものだが、よく読んでみれば梅だの秋だの言っている事と、どの文章も文字数が7の倍数である事から、これはまず間違いなく漢詩であろうとすぐにピンと来た。義務教育を終えた人ならば「七言絶句」という言葉くらいは聞いた事があるはずだ。当時は漢文の勉強なんてテスト以外で1ミリも役に立たないと思っていたが、まさかこんな所で再び顔を出してくるとは恐れ入ったよ……「教養」って意味あったんだな……
後日さらにこれらを掘り下げてみると、写真の詩はどちらも唐代に活躍した詩人のものであり、書道(特に草書体)を学ぶ際のお手本として半ばテンプレ化しているものらしいことが分かった。
右の詩は章孝標 作、「梅花帯雪飛琴上 柳色和煙入酒中」(梅の花は雪を帯びて琴上を舞い、柳の色は煙のように酒盃の中へ映り込んでいる)。
左の詩は許渾 作、「中秋雲浄出滄海 半夜露寒當碧天」(中秋の名月は雲の晴れた青海原の上へと出でて、露の降りる寒い夜半、虚空に輝いている)。
どちらの詩も素晴らしいが、右の方の詩は特にフォトジェニックであり私の好みである。決して多くを語らず、あとは人間の想像力に任せるという様な所も良い。惜しむらくは言葉のリズムや韻が分からないので、上っ面の意味でしか評価ができない点であろう。マーク・ピーターセンの名著「日本人の英語」でも、松尾芭蕉の俳句の英訳を例にとって彼が同じようなことを言っていた記憶がある。

こういう「天井からぶら下がっているもの達」は、かつてそこに居た人々の記憶の欠片を垣間見れるようで、私は好きだ。その辺にただ転がっているものとは違い、「誰か」が「ある意図」の元でそこに設置したという事が極めて明確だからだ。そういったものを想像するのも廃墟の醍醐味であると、私は思う。
家人のセンスや残された年代物から予想される建物の年齢は少なくとも戦前~戦中生まれ、そして戦後の高度経済成長期を全力で駆け抜けて、平成をあまり経験しないうちに天に召されるという、まるで戦争を経験したお爺ちゃんみたいな物件であった。残された遺物のひとつひとつが面白く、写真映えこそしないものの、探索していて全く飽きの来ない良い廃墟だった。
(旧・原田食料品店 その1~2 了)