1. 沿革
広見小学校は1884年(明治17年)に島根県の広見集落に開校した。最盛期の1959年(昭和34年)には児童数31名に達したものの、三八豪雪※1をきっかけに一気に過疎化が進んだ。わずか11年後の1970年(昭和45年)には、児童数はたったの2名となる。
そしてこの年に広見集落そのものが匹見町へ移転されることが正式に決まり、廃村。それと同時に広見小学校も匹見小学校へ統合され、廃校となった※2。
2. 遭難事件の舞台として
それだけであれば、ここは単に三八豪雪によって見捨てられた土地というありふれた場所であった。しかしここ広見には雪に関する逸話がもう1つある。それが2008年(平成20年)に起こった「恐羅漢山スノーボーダー遭難事件」である。

(▲ 遭難したスノーボーダーが焚き火で暖を取った跡が今だ生々しく残る教室)
事件は2月3日の昼過ぎ、恐羅漢山でスノーボードを楽しんでいた30~40代の男性7名のグループが、立ち入り禁止区域を越えて滑り始めたことに始まる。コンパスはおろか地図すら持っていなかった彼らは当然のように道に迷い、次第に天候が悪化。日も沈み森の中をさまよっている内に、この廃校へとたどり着いた。
【廃墟Data】
探訪日:2017年5月上旬
状態:末期
所在地:
- (住所)島根県益田市匹見町匹見広見
- (物件の場所の緯度経度)34°33'33.8"N 132°04'45.9"E
- (アクセス)中国自動車道の吉和ICを降り「吉和インター入り口」交差点を右折、国道186号線に入る。3km弱進むと国道488号線と分岐するT字路に差し掛かるので、そこを右折して国道488号線に入る。この488号線は国道とは名ばかりの離合困難な山道であり、それが延々と18km程続く。2017年現在、小学校の500mほど手前で通行止めになっているので、そこから先は徒歩になる(2011年4月末~規制開始、終了時期は未定)。小学校校舎は通行止め箇所から国道を5分ほど歩いていくと、右手斜面の下に見えてくる。また通行止めの関係上、反対側の匹見町方面からここへアクセスしようとすると、裏匹見峡付近で車を降りて山道を1時間以上歩くことになる(道がゲートで塞がれており、バイクならともかく車がそこをすり抜けるのは不可能)。