(→「【プリンス平安】その3:式場~客室」より)

別棟の2階には古いエレクトーンが置いてあった。この原色カラーの麻雀牌みたいなボタンが懐かしい。
私もずっとピアノを習っていたが、私が幼稚園の頃には既にこのタイプのものは時代遅れとなっていたようだ。当時、音楽教室の隅にひっそりと置かれているこのメカメカしい装置(普段弾いてるやつと全然違う!)を見ては、ボタンをガチャガチャと操作してみたい欲求に駆られたものである。
それにしても多分こういうのって当時の高級機種で、これだって余裕で100万円以上したと思うけど……

エレクトーンの手前にはラジオとアナログレコードの複合機があった。これは出来合いの棚にそれらの機器が入っているわけではなく、この棚っぽいヤツ丸ごとが音響機器というとんでもないシロモノである(観音開きの両脇に見えているのはスピーカー)。これもエレクトーンに負けず劣らずムチャクチャ高そうだ……
家の備品がいちいちオシャレだったり、趣味にこれだけ金を回せるという事実から、この家族はかなり裕福だったと思われる。家がホテルの敷地内にあることからホテルとは無関係な人間とは考えにくいので、これらを総合して考えるとここには恐らくホテルの従業員というよりもオーナー一家が住んでいたのではないだろうか。

宿舎を出て、「プリンス平安」の櫓付近まで戻ってきた。池のほとりには用水路開墾30年を記念した石碑が建っている。
この池は北を流れている幌倉川からここまで水を引いてできたものだと解釈でき「其ノ享恵多大ナリキ」とあるが、現在使われている様子はあまりない。

ため池の向こう岸にも何かしらの遺構が見える。しかしこの日は小樽で廃墟関係の友人と会う約束があり、時間に余裕を見てこれ以上の探索は行なわなかった。
この廃墟は場所を特定したのが探索日から7~8年前のことであり、当時この廃墟を紹介しているどのサイトにも載っていた「プリンス平安」の櫓くらいしか探索直前には覚えていなかった(令和の今となっては「場所の特定」とかいうフレーズがもはや懐かしい)。
そのため正直建物の中身にはあまり期待していなかったのだが、蓋を開けてみれば剥製の数々にシャンデリア等々となかなか見応えのある廃墟だった。
また北海道に行く機会があれば、今度は赤平徳川城も含めてぜひゆっくり見てみたいと思う。
(プリンス平安 その1~4 了)