(→「ビチナ宮殿(Pałac w Bycinie)その1」より)

市道側から見た宮殿。
写真左下の正面入口(上が丸いドーム状)の上部には、ポーランド王国の有力貴族Tęczyńscy家の紋章(赤い手斧)のレリーフが刻まれていたが、2010年代前半に崩落してしまったらしい。

宮殿南端の壁に打ち付けられた2枚の告示。その内容は「20XX年にビチナ宮殿の屋根を保護するためのX度目の改修が行なわれ、その費用はシレジア郡史跡修復基金より賄われました」という様な事が書いてある。左は2015年(1回目)、右は2016年(2回目)のもの。

そしてこちらが宮殿の屋根裏の様子。元からあったと思われるくすんだ色の木材の骨組を支えるように、真新しい木材が所々走っている。これが件の屋根の補修の跡と見て間違いない。
ちなみにこの宮殿のように外側の4方向(写真では3方向)に向けて2段階に勾配がつけられた寄棟造の屋根のことを「マンサード屋根」と言う。フランスを代表する建築家フランソワ・マンサール※1によって多用されたことで広く知られるようになった屋根の形式で、天井をより高くすることができるので、屋根裏部屋を設置するのに適している。写真でも屋根裏の空間が、一般的に屋根裏と言われて想像されるような空間よりも大分広々としているのが見て取れる。

事務所では軽食や飲料などの購入もできたらしい。写真の缶はカステラン(Kasztelan, 城の守人の意)という、ややマイナーなポーランドのビール銘柄。
木箱の札には「12個セット 6カップ(約22センチリットル(=220mL))6皿」と書いてあり、上からイタリア語・スペイン語・ポルトガル語の3言語対応だ。様々な背景を持つ人々が、工事には関わっていたらしい。

1階の前室にはマットが放置されていた。色々と建設用の機材も置いていたので、防犯上誰か一人はここに寝泊りしていたということだろうか……?
廃墟に宿泊というと「そんな恐ろしいことはできない!」という感想を抱く人が大半であろうが、まぁ慣れてしまえばどうということはない(ソースは筆者)。

1階奥の部屋。天井にはスプリンクラーと電灯が設置され、一応は人が過ごすことができるように現代的な改装がなされている。壁には南の島の美しい景色がA2用紙8枚くらいのパッチワークで貼り付けられており、机の上にはビールの空き瓶。ここは作業員の休憩所といったところか。

2階廊下の突き当たり。正面の窪みは「壁龕(へきがん)」または「ニッチ(niche)」と呼ばれる構造で、聖像などを安置する場所として使われる。写真のように上部が丸いドーム状になっているのが一般的である。
さて、ここまで建物全体を見てきたが、現地を実際に歩いてみて感じた宮殿の保全状況としては「なんとか持っている」という状態だ。所有責任者は主に金銭面の理由から管理を半ば放棄しており、史跡の保全(安全)基準を満たさなくなった本物件を、仕方なく国がだましだまし延命させているというのが実情と思われる。
実際、記事本文では紹介しなかったが、建物の1階部分や礼拝堂の中には工具や資材などが揃えられており、改修したいという意志はまだ完全には捨てていないように感じられた。現地にはごく最近作業をしたような跡もあったので、私がここに来たのが日曜日だったために、たまたま工事をしていなかっただけという可能性も低くは無い。日曜日は完全休業というのは、実に敬虔なキリスト教国らしい。
(ビチナ宮殿 その1~2 了)