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ポントヌフ宮殿(Pałac w Pątnowie)

ポントヌフ宮殿(Pałac w Pątnowie) トップ画像

ポントヌフ宮殿とは、ポーランド南西部のレグニツァ(Legnica)近郊の町ポントヌフ(Pątnów※1)にある宮殿の廃墟である。ここはドイツとの国境にほど近く、ドイツ系の有力貴族ロートキルヒ家※2のエルンスト・ヴォルフガング・フォン・ロートキルヒ・ウント・トラッハ(Ernest Wolfgang von Rothkirch und Trach)のために18世紀末に建てられた※3

古代ギリシャ建築をモデルにした荘厳な外観──6つのイオニア式の円柱で支えられたポルチコ※4(≒屋根のある玄関)を持つ、重厚感に富んだファサード(≒建築物正面のデザイン)。宮殿前の庭園には美しい噴水を備え、宮殿付きの農場や家政婦のための住居などもあったと伝えられているが、現在それらの痕跡はどこにも残っていない。

宮殿の最後となったのは、第二次世界大戦中の1945年に起こった火災である。この時宮殿は屋根が燃え落ちて、2階部分も崩落するなど致命的な損傷を受けた。これは一説には、ソ連軍の侵攻を間近に見たロートキルヒ家最後の所有者ハンス・ジークフリート(Hans Siegfried von Rothkirch und Trach)が、宮殿をみすみすソ連軍に奪われまいとして自ら爆破した結果とも言われている※5。そしてその後現在まで宮殿は再建されること無く、そのまま廃墟になっている。

木々に隠れるようにして建っている宮殿
ポントヌフ宮殿(Pałac w Pątnowie) 新旧写真比較

(▲ そびえ立つ巨大な樹木が、過ぎ去ってしまった時の長さを感じさせる)

宮殿内部の様子はまるで古城を思わせる

(▲ 建物内部。その佇まいはまるで古城を思わせる)

草木に覆われる宮殿内部
宮殿内部は崩壊がひどく、現役当時の面影をまるで感じさせない

(▲ とても大戦前まで稼動していたとは思えない。自然の力とはかくも偉大なものなのか)

宮殿内部のトンネル状構造物。草木に阻まれてこれ以上進めない。
宮殿正面に戻ってきた。重厚間のあるファサード。
宮殿付近に群生するイラクサ

ちなみにこの廃墟、イラクサ科の一種であるセイヨウイラクサがおびただしい数群生している。

なぜそんな事をここで取り上げるかと言うと、イラクサ科の植物に共通する特徴として動物を「刺す」ことが挙げられるからだ。その葉や茎の表面に触れると、目に見えない程の極小の針からヒスタミンやアセチルコリン、セロトニンといった毒性の化学物質をこれでもかと注入され、皮膚に猛烈な痛みを伴う炎症を引き起こす※6。洋の東西を問わず「蕁麻疹じんましん」の語源にもなっている※7危険な草なのだ。

このセイヨウイラクサに実際に刺されてみた感想として、ジーパンなど丈夫な被服の上からであれば穿刺が浅いためか「皮膚が張る(痺れる)ような感じ」で済む。しかし肌に直接だと、それがたとえ注意してそっと触れたものだったとしても「刺すような痛み」が襲ってくる。そしてそれは用量依存的で、接触すればするほど痛みや腫れは増していく。症状は接触後3~4時間ほど続く。

また、それなりに背の高い植物であり、地形によっては移動中に目の高さまで大きな葉が迫ってくるので、これが目に入ったらと思うと本当に怖かった。手足を刺された腫れと痛みから考えると、本気で失明するんじゃないかと思う。

だが、このセイヨウイラクサはまだまだ大人しい方なのだ。オーストラリアには「ギンピー・ギンピー」という凶悪極まりないお友達がいる。こいつに触れた痛みはまさに激烈で、ヒトやウマ、イヌなどで死亡例があり、しかもその痛みは数間に渡って続く。「誤って葉をトイレットペーパー代わりに使った人が、その後拳銃自殺した」という逸話※8はあまりにも有名である。

しかも困ったことに、このイラクサ科の植物は「廃墟を好む」と経験的に言われている。原因としては、人間や動物由来の様々な廃棄物によって土壌に含まれるリンや窒素が増えるためではないかとされている。

実際、私がセイヨウイラクサに行く手を阻まれたのはこの廃墟に限った話ではなく、ヨーロッパで廃墟とあらば程度の差はあれ本当にどこにでも見かけるほどありふれていた。ヨーロッパの廃墟に行こうと考えている人は、長袖の厚手な服を用意するなど何らかの対策をしておいた方が良いだろう。

【廃墟Data】

探訪日:2018年7月中旬

状態:末期

所在地:

  • (住所)Pątnów, 59-225 付近(ポーランド)
  • (物件の場所の緯度経度)51°13'53.2"N 16°00'19.9"E
  • (アクセス・行き方)下記地図参照