Menu

国民宿舎むろと

国民宿舎むろと 外観 空撮

1. 概要

国民宿舎むろととは、四国東南端の室戸岬にある国民宿舎の廃墟である。国民宿舎とは税金を投入して建てられた公営の宿※1のことだ。行政サービスの一環であるため宿泊費が安いことが最大のメリットであり、他にも民間ではありえない好立地にあるなどの利点がある。本宿舎も国定公園※2の中、それも絶景ポイントに位置している。

開業は昭和46年(1971)7月、総工費1億2500万円をかけて建設された※3。平成17年(2005)10月末をもって運営を休止。その後室戸市が売却先を探すも、引き取り手は現れないまま現在に至る。実質的な廃業状態である。

国民宿舎の制度ができたのは昭和31年(1956)のことであり、施設の老朽化が今最大の問題となっている。設備の更新も民間への譲渡もままならないまま廃止される国民宿舎は後を絶たず、本物件もその流れの中で生まれた廃墟と言えよう。

2. 実際に足を運んでみた

国民宿舎むろとの看板 「理」は「くじら料理」の理と思われる

途中に「国民宿舎むろと」と書かれていただろう看板の残骸が落ちているのを見かけた。この時はまだ「くじらの絵が描いてあるカワイイ」くらいにしか思っていなかったが、ここにクジラがいるのには実はちゃんと意味がある(後述)。

国民宿舎むろと フロント

3階フロント。このホテルはスカイレストニュー室戸と同じく斜面に建てられているため、屋上に駐車場があり入口も屋上、そこから建物内に入ると最上階(3階)にフロントという非常に変わった造りをしている。

この前衛的すぎる構造から、当時国が建設の許可を渋ったとも言われる。

キーボックスに取り残された鍵
フロント奥の壁に飾られていた「世界の鯨」一覧

フロントの壁には世界の鯨のポスターが飾ってあった。

私はこれを見てもなお「海も近いし、オーナーの趣味かな?」などと頓珍漢なことを思っていた。なぜここにクジラの絵があるのか、ぜひ皆さんも一度考えてみてほしい。

国民宿舎むろと ロビー

フロントの奥にはロビーがある。この階は展望台を意識した円形の造りになっており、眺めも良い。

国民宿舎むろと ラウンジ

さらにその奥はラウンジ。残されている備品から察するに、コーヒーやお酒、軽食などを提供していたようだ。

フロントの横で売られていた豆本

うわ懐かしい……昔は土産屋とか文房具屋でよく見かけたよねこれ。

残されていたIT系雑誌

お、おっおおおおお前もう令和だぞまだ生きて……ってああ、これは当時の雑誌か……びっくりした。この面々をリアルで久々に見たショックで気が動転してしまった。「ヒッキー」とかもはや完全に死語だろう。

Flashも正式にサポート終了が発表されて久しい。かつては一世を風靡したFlash動画だが、あと数年もすれば「フラ……ッシュ……?」扱いになってしまうと思うと少し寂しい気もする。

食堂の前のガラスタイルと椅子

2階食堂前。

第三十六合栄丸の大漁旗 室戸市沖実

食堂正面の壁には漁船の大漁旗が飾られている。分かりづらいが、文字通りこれも例の「くじら」へのフラグである(ちなみに筆者はまだ真実に気がついていない)。

国民宿舎むろと 食堂のメニュー

食堂のメニューもやたらと鯨推しだ。

そしてここに来てようやく私は「もしかしてこの辺クジラ捕れるの?」と思うに至った。

調べてみると、土佐はカツオ以外にもクジラ漁が盛んだったらしい。だからこれまで至る所で鯨の絵を見かけたのだ。もっとも、最近は外国勢が何かとうるさいのでホエールウォッチングに転向しているようだが……

国民宿舎むろと 食堂

2階食堂の様子。

食堂のカーテンに繁茂した蔦

ブラインドに伝う緑はまるで芸術作品──ひと組の屏風絵のよう。

食堂のカーテンに繁茂した蔦 アップ
国民宿舎むろと 客室棟の廊下

客室棟の廊下。

国民宿舎むろと 213号室「やまもも」

各部屋に植物の名前が割り当てられているのは珍しくないが、このように写真まで飾られているのは他では見たことがない。

国民宿舎むろと 客室内部の様子

客室の中はどこもこんな感じ。古き良き和室といった佇まいだ。

国民宿舎むろと 大部屋

2階大部屋、奥から「むろと」「桂浜」「足摺あしずり」の様子。ひとつの大部屋が襖によってそれぞれの部屋に仕切られている。

「漁火」 第5号 第6号 第2号

この部屋(足摺)には大量の「漁火」バックナンバーが残されている。個人的にこの廃墟の一番の見所はこれだと思う。

「漁火」 バイク乗りの二児の父からのメッセージ

これは宿泊者が自由に書き込める「思い出ノート」に職員の方がコメントを添えて一冊の本に仕上げたものだ。

現役当時の様子を想像するのは廃墟の大きな楽しみの一つである。とは言え、実際にここでどういう人たちがどんな思いで過ごしたのかといった事までは中々思い及べないものだ。

だからこそ現地で当時の写真を見つけた時などはグッと来るものだが、それ以上の明確な答えがこのように廃墟の側から提示されるケースは本当に珍しい。

「漁火」 プレリュードに乗って来た人からのメッセージ

まるでタイムカプセルのように、当時ここを訪れた人たちの思いや人生模様が綴られている。それに対する編者の返答も軽妙で読み応えがあり、ついつい時間を忘れてしまう。

ここの宿泊客の意見を総合すると、施設の古さに関しては「むしろ落ち着いていて良い」と概ね好評だったようだ。これは少し意外だった。職員の方も温かく、食事も美味しいという感想が多い。

しかし唯一、お風呂についてだけは苦言が散見された。特にその狭さと展望の無さが残念だという。

国民宿舎むろと 男子浴場

これが噂の大浴場である。やはり、大部屋も含めて32部屋もある宿泊施設のものにしては明らかに小さい。湯船など大人4人も入ればもう満杯であろう。

また、言われるように展望は全くの皆無だ。たとえ大きな窓を設けたところでここは1階なので、木々に阻まれ展望は望めないだろう。

だが実は、こんなのはまだまだ序の口なのだ…………

国民宿舎むろと 女子浴場

それは女子大浴場のこの狭さ! 露骨なまでの男尊女卑w もう笑ってしまうレベルである。

これは何もこの施設が特別にイジワルをしている訳ではない。他の記事でも何度か触れているが、これは古い時代の旅館やホテルの廃墟には頻繁に見られる構造なのだ(以下がその実例)。

今はそういう事が無くなったばかりか、女性だけに岩盤浴があったりとむしろ優遇される傾向にあるので、時代は本当に変わったと思う。

「漁火」 1994年8月16日みゆきさんからのメッセージ

国定公園の中ということもあり、特に設備面に関してはなかなか要望に応えられない(勝手に変更を加えられない)のが心苦しいと職員の方も思っていたそうだ。なのでせめてこうして湯船に柚子を浮かべるなど、宿泊者に気持ちよく過ごしてもらうためのできる限りの工夫をしていたようだ。

猫の絵柄や、自分の名前をローマ字表記するところなどにこの時代特有の匂いを感じる。これは私よりも少しだけ上の世代だな。

「漁火」 外国人からのメッセージ

漁火を読んだ印象では、宿泊客はツーリング中のライダーや家族連れ、老夫婦などが多かったようだが、このように外国人の利用もあったらしい(と言ってもこの人は日本にお住まいの方のようだが)。

しかしこれを読んであげられるスタッフまじで誰もおらんかったんか……?

「漁火」 編集後記 平成7年11月と平成14年10月の比較写真

号別の編集後記の比較。わずか7年の内に従業員が3分の2に減っているのが物悲しい。しかも元々のメンバーはわずか3人しか残っていない。これが閉業3年前の状態である。

もちろん「漁火」は元のノートの抜粋ではあるものの、この国民宿舎が実際多くの人に愛されていたという事実の一側面があるのはありありと感じ取れた。

事業の継続を望む声も多かったようだが、時代の大きな流れには逆らえなかったようだ。

この廃墟の空撮動画はこちら↓

【廃墟Data】

探訪日:2019年5月上旬

状態:健在

所在地:

  • (住所)高知県室戸市室戸岬町6892-41
  • (物件の場所の緯度経度)33°15'50.5"N 134°10'33.2"E
  • (アクセス・行き方)徳島自動車道の徳島ICを降りると国道11号の南方向の車線に接続するので、それをとにかくただひたすら南下する(直進していると名称はすぐに国道55号線へと変わる)。そのまま130kmほど進むと室戸岬へと到着するので、岬を折り返して土佐湾側へと入ったらすぐ400mほどで、右方向にむろとスカイラインへと入る入口が見えるので右折して入る。スカイラインのつづら折りの坂道を登っていくと、左手に「室戸岬 夕日ヶ丘キャンプ場」と書かれた案内があるのでそこを左折する。その道の突き当りが駐車場になっていて、そこから徒歩で来た道を引き返すと100mほどで国民宿舎むろとへと続く分岐が見えてくる(標識あり)。高知県側から向かう場合も、高速道路を降りてから国道55号をひたすら南下する点は同じである。