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キューピーの館(心霊スポット)

キューピーの館(心霊スポット) 目を見開いたキューピー人形

1. 概要

キューピーの館は岡山県岡山市にある宗教施設(おそらく寺の関連施設)の廃墟。その名の通り無数の人形が吊り下げられた状態のまま朽ち果てており、見た目が恐ろしく不気味である。

人形には人名や日付が刻まれているものも多数あり、これが廃墟の怖さに拍車をかけている。一説には死んでしまった胎児や赤ん坊(水子みずこを供養したものではないかと言われるが、これにはやや疑問も残る(後述)。

その強烈なビジュアルから、岡山の心霊スポットでも毎回上位に挙げられるほどの物件である。そういった事からも、それこそ「人形がひとりでに動く」とか「子供の泣き声がどこからともなく聞こえる」とか言われていてもおかしくはないのだが、不思議とそういった類の心霊的な噂はあまり聞かれないようだ。

2. 実際に足を運んでみた

キューピーの館から少し山側に行ったところにある鳥居

キューピーの館から山側にすぐ、この鳥居がある。これもキューピーの館に関係がある施設と思われるので、まずはこれから見ていこう。

三光大明神と書かれた扁額

どうやらこの先の寺は最上稲荷さいじょういなり(妙教寺)の三光天王さんこうてんのうまつられていたようだ。

「鳥居があるし神社じゃないの?」と思われるかもしれないが、最上稲荷は仏教の流れを汲む神仏習合の寺である。だからこの寺には鳥居もあれば、奥にある拝殿も神道形式のはずなのだ。

もっとも参道があの状態では、この奥にまだ建物が残されているかどうかすら確かめようがないが……

鳥居の傍に落ちている看板にはこう書かれている。「お知らせ 當山上に祭礼せる三光天王は参道山崩れにあい修復困難な為、縁故の深い一乗寺(現在の稲荷山奥之院)の境内に移転、宝塔を建立し祭礼しました。御信徒の方は奥之院の方に、ご参詣下さい。 大谷地区 御信徒各位」

しかしこの文面を見る限り、建物が土砂崩れに巻き込まれてさえいなければまだ残っていそうではある。ただ11月末でもこの状態なので、本気で行くつもりなら2月末あたりにしたほうが良いかもしれない。

キューピーの館(心霊スポット) 廃墟付近の地図

(▲ 国土地理院「岡山市北区高松稲荷」付近の地図データを元にブログ筆者が作成)

2020年版の国土地理院の地図を見てみても、参道の先に一つ建物があることになっている。恐らくこれが寺の拝殿であろう。

これは道なりに約230m、高低差は80mの行程だが……ビル23階分に相当する高さまであの藪を掻き分けて進まなければならない(しかも道は崩れている)と考えると相当な体力が要求されそうだ。地図上には寺をかすめるようにして通る別のルートも見えるので、そちらを検討してみてもいいかもしれない。

ちなみに移転先とされる一乗寺(最上稲荷奥之院)は、ここから2km北西の龍王山の頂にあり今も現役である。

キューピーの館(心霊スポット) 外観

さて、それではいよいよキューピーの館を見ていこう。

キューピーの館 祭壇正面 大量の人形が吊り下げられている

正面入口から入ると、そこがいきなり祭壇だった。さっそく大量の人形たちがお出迎えしてくれる。

天井から吊り下げられた人形たち

さすがに「キューピーの館」というだけあってキューピー系(?)の人形が多く目に留まる。しかし実際には他のタイプの人形も多い。

横たわる女の子の人形

ヒエッ……

上下逆さになっているキューピー人形
首吊り人形
キューピーの館 寄付者奉名板

壁の一角には寄進者の奉名板がズラリ。昭和50年代初頭のもので、金額は5千円~10万円と幅広い。

引き裂かれてボロボロになった人形
千羽鶴と人形
キューピーの館 祭壇正面に落ちている人形

記事冒頭でも触れた通りこの人形たちは「死んだ子供を祀ったもの」とされ、今ではこれが通説になっている。しかし、これを水子供養とするには不可解な点がいくつかあるのもまた事実である。

「吉備郡真備町」「丑年十七才女」「井之美代子」と書かれた女の子の人形

まずはこの人形そのものついてだが、水子供養といえば普通はお地蔵様であり、多くの場合依頼者には小さな地蔵菩薩像が手渡される。そこへ個人的に人形を供えることはあっても、こうして人形自体を祀るのはあまり一般的ではないのだ。

また、生年やその干支が書かれた人形は多く見つかる一方で、はっきり「没年」と書かれた人形が見当たらない点も気になる。

(※参考:宗教法人の資格を得ていなかった廃墟「平和観音寺」の水子供養でさえ、上記の条件はすべて満たしていた)

「吉川 康弘」「昭和四十?(判読不能)年十一月十七日生」と書かれた人形

次に施設の由来に関してだが、キューピーの館は鳥居の目の前、しかも参道沿いに位置しているため、鳥居の奥の寺と全く無関係だったとは考えにくい。

そして寺の祭神の三光天王は乳病平癒の神様である。その延長で安産祈願が行われていたとしても決して不思議ではない。

赤ちゃん人形

以上のことからこれは水子供養というよりは、安産祈願やそのお礼参り、さらには子の健やかな成長を願ってのものと考えた方がよりしっくりくるように私は思うのだ。

(人形供養の線も考えたが、人形本体に生年月日や干支が書かれている点がかなり引っかかる。)

アンニュイな人形

さらに付け加えるのであれば、ここに心霊的な噂があまりないこともその傍証となるだろう。水子供養であれば不本意に殺された子の怨念もあろうが、安産や健康の祈願では負の感情の集まりようがない。

まあ……それはそれで親の思いが踏みにじられたような悲しい状態ではあるのだが、子供もとっくに成長してしまったと考えれば、人形たち本来の役目はすでに果たしたと言えよう。

壁にくくりつけられた人形たち

確かに見た目はすさまじく不気味なのだが……本物の霊感がある人達からしたらここは大して怖くない廃墟なのかもしれない。

【廃墟Data】

状態:令和5年(2023)現在では、人形はすべて片付けられているとの情報あり

所在地:

  • (住所)岡山県岡山市北区高松稲荷1044-67
  • (物件の場所の緯度経度)34°42'06.3"N 133°50'29.8"E
  • (アクセス・行き方)岡山自動車道「岡山総社」ICを降り、高速出口の十字路を左折して国道180号線を「岡山市街」方面へと入る。2.6kmほど進み吉備線「備中高松」駅を過ぎてすぐ「最上稲荷入口」交差点があるので、そこを左折して県道241号線に入る。そのまま2.5kmほど進むと最上稲荷併設の広大な駐車場(有料)が見えてくるので駐車にはそこを利用する。駐車場から東へと進み、住宅地を通り過ぎてため池の横の道を山の方へと進んでいくと、右手にすぐキューピーの館が見えてくる。
    ここは岡山市北区にある三光山のふもと、大窪越の手前に位置している。東側から大窪越を越えて来ることもできるとは思うが、上記のように西の高松稲荷側から来るほうが遥かに簡単だろう。