1. 概要
摩耶観光ホテル(通称:マヤカン)は兵庫県神戸市にあった昭和初期のホテルの廃墟。写真の流麗な半円形テラスで名を馳せ、廃墟愛好家であれば知らぬ者はいなかった。その圧倒的美しさは他の廃墟の追随をついに許さず、かつては「廃墟の女王」とまで謳われた。
日本を代表する廃墟として双璧を成していた軍艦島と同じく、摩耶観光ホテルもドラマや映画のロケ地としてたびたび使用されてきた(有名どころでは「デスノート」など)。また、アニメやゲームの舞台(背景)としてもしばしば登場し、特にFate/stay nightという作品では聖地としてファンに知られている。
また、摩耶観光ホテルの歴史や全盛期当時の様子、廃墟化後の顛末などについては記事の最後にまとめて紹介する。
2. 実際に足を運んでみた
3. 摩耶観光ホテルの歴史
以下に摩耶観光ホテルの2021年現在に至るまでの来歴を紹介する。
当ホテルの始まりは大正14年(1925)、摩耶山にケーブルカーが開通したことにまで遡る。これを契機に摩耶山は観光地として本格的に開発が進められることになった。
その開発事業の一環として、摩耶山ホテル(現在の摩耶観光ホテル)が昭和4年(1929)6月に竣工、同年11月より営業を開始。アールデコ風のハイカラな建築で、その見た目から「軍艦ホテル」と呼ばれ好評を博した。
(▲ 摩耶観光ホテルの現役当時の写真。丸い窓に煙突の突き出した姿は、まるで軍艦のようだ。 - 「摩耶観光ホテルについて nk8513.exblog.jp」より引用)
しかし昭和19年(1944)2月、太平洋戦争の戦局の悪化に伴い、ホテルへの主要なアクセス路である摩耶ケーブルカーが運行を停止させられる。それはレールや車両に使われている鉄を軍に供出するためであった。これに伴いホテルは営業を停止したとも、山頂の掬星台にあった高射砲陣地の軍人のために一部営業を続けたとも言われている。
戦後は米軍将校のためのクラブとして整備する案が持ち上がるも、結局すぐに頓挫。ホテルは閉鎖され、その間に満州や戦地からの引き揚げ者らが勝手に住み着いたという。
(▲ 現役当時の洋客室。無料で住むには贅沢すぎる部屋だ。 - 「摩耶観光ホテルについて nk8513.exblog.jp」より引用)
その後昭和30年(1955)に摩耶ケーブルカーが運行を再開すると、6年後の昭和36年(1961)に旧摩耶山ホテルも「摩耶観光ホテル」と名を変え営業を再開。しかし観光の主体はケーブルカーによる移動から自動車へと時代が移り変わりつつあり、奥摩耶ドライブウェイと直接接続していなかった摩耶観光ホテルは苦戦を強いられる。
そこに昭和42年(1967)の集中豪雨による土砂崩れ被害が追い討ちをかけ、ホテルは2度目の営業停止。その後は「摩耶学生センター」として施設の一部を学生のためのサークル合宿施設として開放していたものの、それも平成5年(1993)を最後に停止してしまう。
【摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク2019】申込受付中! - https://t.co/McLGCOs1AN pic.twitter.com/ZEkgDOBnuR
— 横尾さん!僕、泳いでますか?~地域情報みつけ隊~ (@rongkk1) May 19, 2019
(▲ 摩耶観光ホテル跡のツアーの様子 - Twitterより引用)
その後ホテルは再開されることのないまま廃墟となっていたが、平成29年(2017)に管理・保存に向けたクラウドファンディングが行われ、目標金額である500万円を達成。それを元に建物の調査ならびに出入口の封鎖、防犯カメラの設置等が行われた。
今後は文化財としての登録を目指しているとのこと。「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」として、登山道経由で建物の外観だけを楽しむツアーも定期的に開催されている(上記ツイートを参照)。
要するに現在、ここはもはや廃墟ではなく観光地(有料のテーマパーク)なのだ。かつて「女王」とまで称された日本を代表する廃墟も、その幕切れは実に唐突であっけないものであった。
【廃墟Data】
探訪日:2009年11月下旬
状態:2017年に観光地化 現在廃墟ではない
所在地:
- (住所)兵庫県神戸市灘区畑原
- (物件の場所の緯度経度)34°43'39.6"N 135°12'45.9"E
- (アクセス・行き方)摩耶ケーブル線「虹の駅」から徒歩30秒。以前は登山道経由でもアクセス可能だったが、どちらにせよ2021年現在は通行禁止で機械警備も導入されており、建物に近づけない。