1. 概要
小倉沢小中学校は埼玉県秩父市にある小学校および中学校の廃墟。ノスタルジックな木造校舎の廃校として非常に有名であり、2000年代の廃墟ブーム以前からその名が知られていた。そのため伝統的に廃墟愛好家あこがれの場所のひとつに数えられる。
学校のある小倉沢集落は秩父鉱山※1の麓にできた町であるが、鉱山の採掘規模が縮小されたことから、現在ではこの場所そのものが廃村である。町全体が丸ごとゴーストタウンになっている姿はまさに圧巻で、これも含めて廃墟好きにはたまらないスポットとなっている。
しかし、秩父市は2020年度中の小倉沢小中学校の解体を計画※2 ※3している。2020年11月時点で校舎が無事であることは筆者が現地で確認したが、それでも遅くとも2021年の3月までには解体されてしまうと思われる。
関東地方に今も残る、貴重な美しい木造校舎の廃墟がまたひとつ失われようとしている──
(※ 追記:2021年5月上旬の時点でまだ校舎が残っていることを確認した。理由は分からないが解体工事そのものが延期されている模様)
2. 内部探索

昇降口の壁には「私たちの小倉沢」と題して、秩父鉱山の模式図が飾られていた。
図の中央下あたりに描かれている細長くて赤い屋根の建物が、今私がいる小倉沢小中学校である。鉱山の坑口や坑道・索道などと校舎との位置関係が、この図には分かりやすく描かれている。
ちなみに、これら鉱山関係の施設のうちいくつかは今でも遺構が残っている。その探索記録については後日また別の記事にて紹介したい。

教員用の昇降口。「生徒用とは分けること」とする謎ルールがあるため、これはどこの公立学校でも同じ造りになっている。
我々生徒側の立場からすると何となく“裏口”感があるので、ここに立つのは廃墟と言えどちょっぴりドキドキする。

教室の壁には閉校直前の標語がそのままの形で残されていた。ここでの「有終の美」とは単に学年末を指して言ったものでないことは疑いようがない。
これが欠けたり失われたりすることなく当時のまま残っている姿を見られたことが、ここに訪れて一番感動したことかもしれない。本当に信じられない!

均質牛乳──乳脂肪分などの栄養が均一になるように調整された、ちょっと良い牛乳だ。給食費の未払いが問題になりまともに給食を出すことすらおぼつかない今よりも、この当時の方がよっぽど良い時代だったのではなかろうか。

その中のひとつが、このアナログレコードを再生できる日本Victor製のHi-Fiステレオだ。この学校はこれに限らず機材関係がやたらと充実しており、子供たちをかなり大切にしていた様子がうかがえる。
もしかしたら、鉱山関係でかなり儲かっていたという事もあるかもしれない。
【廃墟Data】
状態:現況不詳 令和2年度中に解体予定 株式会社ニッチツによる管理物件
難易度:★★★★★(最高) 現役の企業に管理されているため無断での内部の探索は不可能。それでも昔は現地の職員に話を通せば見学の許可が取れた(記事の通り筆者や卒業生なども訪れていた)が、現在は許可が下りる事はほとんどない。
駐車場:学校から少し先に行った橋のあたりに路駐できるスペースがある(→地図)。
所在地:
- (住所)埼玉県秩父市中津川420 付近
- (物件の場所の緯度経度)36°01'11.0"N 138°48'41.4"E
- (アクセス・行き方)秩父市街から国道140号線→県道210号線経由で約1時間10分(42km)
高速道路を利用して行く場合は、中央自動車道「勝沼」ICより国道140号線経由で約1時間半(60km・下記参照)
料金所を出てすぐ分岐を右方向「東京・大月・甲州市街」方面へと進む。国道20号線に合流して次(約600m先)の「柏尾」交差点を左折して「塩山・山梨・勝沼市街」方面へと進み県道38号線へと入る。約150m先に「フルーツライン」への分岐があるので右折してフルーツラインへと入る。途中の県道213合線への分岐は右折して「三富」方面へと進む。フルーツラインに入ってから15kmで国道140号線(雁坂みち)へと接続するので、右折して「秩父・雁坂トンネル有料道路」方面へと進む。雁坂トンネルを抜け、その先の大峰トンネルも抜けて中津川に架かる橋を越えてすぐ、県道210号線と接続するので左折して入る。そのまま12kmほど中津川をさかのぼるように進むと、雁掛トンネルという照明もない狭く素掘りのトンネルに差し掛かる。そのトンネルを越えた先が廃村「小倉沢」集落である。秩父鉱山簡易郵便局を通りすぎ、(株)ニッチツの資源開発本部も右手に通り過ぎると、その先の川向こうに小倉沢小中学校の校舎が見えてくる。