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実方眼科医院(S眼科医院・東金の廃病院 [千葉県])

1. 概要

実方さねかた眼科医院は千葉県東金とうがね市にある個人病院の廃墟。ネット上では「S眼科医院」や「東金の廃病院」などとも呼ばれている。

東金市の市史によれば、ここの開業はなんと終戦直前の昭和20年(1945)6月。病院内には今では博物館にあってもおかしくないような医療機器が所狭しと並ぶ。医薬品などその他の残留物もとても多い。

閉業年ははっきりしないが、院内の掲示物などから平成の初めごろまでは営業していたらしい。また病院のすぐ裏手には院長の自宅があり、現在ではこちらも廃墟になっている。

以上よりここが廃墟化した理由を考えると、院長である実方さねかた氏が高齢のために引退したが、その跡を継ぐ者がいなかったのだろう。そして院長が亡くなり、自宅もろとも放棄されてしまったのだと思われる。

2. 実際に足を運んでみた

実方眼科医院(S眼科医院) 正面出入口

病院の出入口。立派な石造りの門柱に鉄格子と雰囲気が物々しく、患者目線では初見だと非常に入りづらい。しかし当時の個人病院(今で言うクリニック)はどこもこんな感じだったのだろう。

他の廃墟や文化遺産になっている古い病院跡などを見ていると、この当時はまず建物の「風格」で勝負するような所はあったように思う。

実方眼科医院(S眼科医院) 待合室

玄関から入るとすぐ待合室と受付がある。患者で混み合うことをあまり想定していないのか、かなり窮屈に感じる。

実方眼科医院(S眼科医院) 受付

受付の窓枠や台は木製。時計や鏡などもすべて当時のまま残されていた。

月並みな表現だが、ここだけ昭和のまま時が止まっているかのようだ。

眼鏡の太平堂 東金東口店新装開店記念の鏡

受付横の鏡が近所のメガネ屋さんの記念品なのが、実に地域密着型のクリニックらしい。電話番号の表記方法がやたらと古めかしく、また「レコード・テープ」などと書かれていることからも相当な年代物と思われる。

ちなみにこのメガネ店「太平堂」は今も東金駅東口に現存している。創業は大正12年(1923)とのことで、この鏡は現在の場所に支店を増やした(もしくは移転した)時のものだろう。

実方眼科医院(S眼科医院) 診察室

待合室の奥は診察室になっている。あれだけ狭かった待合室に比べてかなり広々としているが、視力検査のためにある程度の部屋の広さが必要だったのかもしれない。

実方眼科医院(S眼科医院) 細隙灯顕微鏡のある診察室

診察室には眼科関係の機器が並んでいる。写真の機械は「細隙灯さいげきとう顕微鏡」という眼球を光学的に診て検査するためのもの。眼科ではこれがないと話にならないほど重要な設備だ。

視力検査表と目の構造の図解

視力検査表。これも眼科マスト・アイテムのひとつ。

実方眼科医院(S眼科医院) 検眼用の器具

これは「石原式近点計」という装置。眼の調節力を測定するのに使われ、これにより老眼の判定などができる。

(※ 記事コメントより情報提供くださったあかさん、ありがとうございました!)

ランドルト環と「サカリ ヲハ ミル ヒト オホシ チル」と書かれた紙のプレート

視界の先に設置された、視力検査でお馴染みの黒い輪っか(ランドルト環)はすべてが同じ大きさだ。このパネルを前後に動かしていって、ピントが合う限界の距離を測定する。

環の横の「サカリ ヲハ ミル ヒト オホシ チル」とは、室町時代に活躍した禅僧であり枯山水の最高峰として知られる夢窓疎石むそうそせきが詠んだ代表的な和歌の一節である。

全文は「盛りをば 見る人多し 散る花の あとをふこそ 情けなりけれ」。意味は「花の盛りを見たがる人は多いが、むしろ散ってしまった後の方がある種の風情があるものだ」となる。

これが眼科用の機械であることを考えると、「見ること」にかけているこの歌を選ぶのはかなり洒落しゃれており、格式の高さも文句が無い。しかし、こういった意味の通る文字の並びが果たして視力検査の用を成すのかは疑問だ(笑)

そしてこの歌の意味的に、廃墟巡りをしている私が廃墟でこの歌に出会ったことには運命的な何かを感じてしまう。

実方眼科医院(S眼科医院) 眼鏡処方箋と交換用レンズ

箱の中には、さまざまな度の検査用レンズが並ぶ。眼鏡の処方せんは記入済みで、日付は昭和58年(1983)となっている。

しかしここで気になるのは処方箋の一番下、「指定眼鏡店」として例の太平堂がバッチリと記載されているのだ。これってじゃないのか……?

この時代の法律がどうなっていたのかはちょっと分からないが、例えば今の時代に同じように「指定薬局」とか書かれていたら問答無用で一発アウトだ。クリニックの営業許可も取り消されると思う。

ただ、今でも眼鏡店が眼科医を抱えていることはあるし、もしかしたら眼科はまた事情が違うのかもしれない。

日本コンタクトレンズ研究所製のハードコンタクトレンズセット

これはカーブと大きさが実際の製品と同じように作られた、テスト装着用のコンタクトレンズだ。しかし写真では伝わりにくいのだが、レンズがめっちゃ厚い。こんなの怖くて入れられないんだが?

会社名には「日本コンタクトレンズ研究所」とあるので、これは少なくとも昭和39年(1964)よりも前のシロモノである(この年の5月に「日本コンタクトレンズ製造株式会社」へと社名変更された)。

ちなみにこれよりも前の時代のものはさらに大型で大きさは10円玉ほどもあり、目に麻酔をかけて装着していたらしい。筆者もコンタクトには大変お世話になっているが、そういう過去の犠牲研究のもとに成り立っているものなので本当に感謝しかない。

実方眼科医院(S眼科医院) 薬局兼受付

受付は薬局を兼ねており、薬棚には眼科関係の医薬品が所狭しと並べられている。こういう受付兼薬局は、古い医院では一般的な造りだ。

カタリン点眼(旧パッケージ)

カタリン点眼──高齢者がわずらいやすい白内しょうという病気の治療薬だが、今とパッケージのデザインがだいぶ違う。イメージカラーの緑はそのままだが、この目の意匠が特徴的だ。

消されてしまったのは「怖い」という苦情でもあったのだろうか?(笑)

サンコバ点眼液

眼科といえば若い人はこれのイメージが強いかもしれない。目が疲れる、霞む、なんとなく調子が悪い、などなど……とりあえずこのビタミン剤が処方されることが多い。

写真の薬は製造から30年以上が経っているはずだが、今もこの透き通るような美しい赤を保っていることに本当に驚く。

イドクスウリジン点眼液(IDU点眼液)

これは初めて実物を見た。IDU点眼──角膜炎の原因となるヘルペスウイルスをやっつける薬剤だ。しかし非常に古い薬で毒性も強く、今ではより安全で効果の高いアシクロビルの眼軟膏にほぼ取って代わられている。

オペティア点眼液アンプル(大阪・千寿製薬)

オペティア……? これも見たことがない。手術時に目の乾燥を防ぐものらしいが、だから手術Ope-Tearか(笑) 人工涙液るいえきみたいなものだろう。

ウブレチド点眼液

おおおおおお……こんな物がその辺にポンッと置かれているのはちょっとビックリする。このウブレチド点眼は先ほどのIDUよりもさらに毒性が強く「毒薬」に分類され、乱暴に言えば弱いサリンのようなものだ。今の法律では必ず鍵のかかる場所に保管される。

メチコバール錠(未開封保証シール付き)

飲むビタミン。先ほどの赤い点眼薬「サンコバ」と有効成分は同じ。

これは最初の「カタリン点眼」と違ってパッケージのデザイン自体はほとんど変わっていないが、未開封を証明するシールが貼り付けられているのが何とも時代を感じる(今はもう貼られていない)。

フルイトラン錠

フルイトラン──ピンク色の花形をした唯一無二の見た目の薬剤だ(こういう医療用薬は日本では他に存在しない)。主におしっこを沢山出させることで血圧を下げるために使われる。が、ここは眼科である。眼圧でも下げようとしていたのだろうか……?

それと製造年月が昭和55年(1980)5月と大昔だが、こんな自分の生まれるずっと前からこの変わらない形を守り続けてきたのかと思うとちょっと感動する。すぐ製造中止とか言いだす他のメーカーは少し見習ってほしい。

色とりどりの水剤(苦味チンキ・フェノール水など)

窓際に並ぶ水剤が、陽光を美しく透過している。

診察室に置かれた薬剤箱

診察室に備え付けられた、もはや何が何だか分からない謎の薬たち。診察時に使う消毒薬とかのたぐいだとは思う。

実方眼科医院(S眼科医院) 患者の診療録(カルテ)

実に眼科らしいカルテ。どうやらこの患者さんは逆まつげらしい。

色とりどりの健康保険証(旧式の紙タイプ)

現地に残されていた健康保険証が今のカード型ではなく昔の紙タイプだ。自分の家のものは青かった記憶があるが、保険証はみんなその色だとすっかり思い込んでいて、赤や黄色など他の色もこんなにあったのかと驚く。

そして広い世の中にはこの保険証の色でマウントを取り合う文化が一部で存在するらしい。しかし色は各保険者が勝手に決めており勤め先が分かったりはしないとの事なので、一体どうやってマウント合戦を繰り広げているのかは謎だ。

国民健康保険証(さらに旧式の袋まで紙のタイプ)

そしてこれはさらに古い。カバーがビニールではなく紙……昔はこんな風だったのか。カバーに病院の広告が印刷されているのが非常に時代を感じる。

低周波治療装置

診察室の片隅には低周波治療器が残されていた。目の周囲の筋肉の緊張をほぐして血行を良くするためのもので、今でも眼精疲労や仮性近視の治療などに使われることがある。

低周波医事月報(昭和36年9月号)

この医院では月報を購読するなど、かなり熱心に低周波医療を臨床に取り入れていた様子がうかがえる。

最新式 手持赤外線治療器(株式会社 半田屋商店 新案特許)

恐ろしく古い型だが、手持ち式の赤外線治療器も残されていた。目の疲労や痛みなどの治療に使われる。

実方眼科医院(S眼科医院) ベッドのある病室

この医院にはベッドも2床備えられている。東金市の記録によれば入院も可能だったとのこと。

今では白内障の手術なんかも日帰りでできるところが多いので、個人のクリニックレベルでは入院設備まである所は減ってきているのではないだろうか。

実方眼科医院(S眼科医院) 「保険医」と書かれたプレートと色覚検査用の器具

険の字がまぶたに似ているので、眼科の洒落た看板かな? と思いきや、これで険の旧字体らしい。保険医療機関にはそうであることを明示する義務があるので、そのためのものだろう。

実方院長の自宅(外観)

クリニックのすぐ裏手には、実方さねかた院長の自宅らしき建物が併設されている。

実方院長の自宅(内観)

家の中はかなり荒れ放題だ。

医師会から実方院長へ宛てられた未開風の小包

医師会から送り付けられてきた小包が完全未開封のまま放置されている。やはりここが院長の自宅であることは間違いなさそうだ。


この廃病院は残留物がとても豊富で、うっかりするとすぐ何時間も経ってしまうほど興味深い物件であった。

戦後の地域医療を支えた貴重な眼科医院の廃墟であり、それをこうしてじっくりと心ゆくまで見学できたのは本当に幸運だったと思う。

【廃墟Data】

状態:健在

難易度:★★★☆☆(普通)

駐車場:なし

所在地:

  • (住所)千葉県東金市大豆谷5
  • (物件の場所の緯度経度)35°33'38.3"N 140°20'27.8"E
  • (アクセス・行き方)
    【公共交通機関】JR千葉駅よりバスで40分前後。ちばフラワーバス「成東車庫」行きに乗車し、「台方一丁目」にて下車。バス停のすぐ目の前に実方眼科医院の廃墟がある。JR東金線の東金駅から向かう場合は徒歩約30分(2.3km)
    【自家用車】千葉東金道路の東金料金所より約5分(3.4km)
    千葉東金道路の東金JCTで圏央道方面には行かず、直進して東金料金所で降りる。道路はそのまま国道126号線へと続くので3kmほど直進する。その先ろくな目印は無いが、反対車線側の出光を過ぎた先にセブンイレブンの東金台方店があり、そのはす向かいが実方眼科医院の廃墟である(つまり今通ってきた車線の左手にある)。
    圏央道経由で来る場合は「東金」ICを降りて国道126号線を銚子方面に入る。以下同じ。