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S医院(關澤醫院・栃木県)

1. 概要

S医院(関澤医院)とは、栃木県市貝いちかい町ののどかな農村地帯にある個人病院の廃墟。開業はなんと大正期であり、当時のままの表記で「關澤せきざわ院」とも呼ばれている。

木造平屋の瓦き屋根という時代を感じさせるたたずまいに、年季の入った薬瓶や医療機器の数々──。外見・中身ともに非常にレベルの高い廃墟であり、これまでに数多くの廃墟マニアを魅了し続けてきた。

この種の廃墟が次々と姿を消していく中、令和の今も残る貴重な木造病院の廃墟である。

2. 内部探索

S医院(關澤醫院)正面出入口前

S医院の正面出入口。こうして間近で見るとそれなりに痛みが激しいものの、なかなかオシャレな木造建築である。軒下の丸っこい照明も可愛らしい。

S医院(關澤醫院)待合室

入口から中へ入ると、すぐ待合室となる。右手に見える丸い小窓付きのカウンターが受付であり、ここで薬の受け渡しもされていた。

診察室にあるドクター用の椅子 クローズアップ

待合室のすぐ隣が診察室だ。往時は先生がこの椅子に腰掛けて、患者の胸に聴診器などを当てていたのだろう。

受付のカウンター クローズアップ

待合室のカウンターを受付側から見た写真。この窓は大人の両手がやっと通る大きさだ。こんなに小さい窓で患者とやり取りをするなど、今ではとても考えられない。

またガラスも全面スリガラスであり、明らかに部屋の中をなるべく見えないようにしようという設計意図が感じられる。

──それもそのはず、写真にも写っている診察券の年号は「大正」である。つまりこれらは、患者から医療の中身をなるべくブラックボックスにするのが良しとされた時代の物なのだ。

S医院(關澤醫院)受付兼薬局

ここの受付は薬局も兼ねている。これもこの時代の医院には共通している造りだ。

S医院(關澤醫院)薬品棚:キャソシリンV・ヘキシルレゾルシン(ホモトニン)・テラマイシン・プロテイン銀、他

薬棚の薬は五十音順ではなく薬効順に並べられている。これもこの当時に共通の特徴だが、今では逆に五十音順のほうが多数派だろう。

この写真の区画には殺菌剤のたぐいが並んでいる。ここで特に時代を感じるのは右から二番目の「プロテイン銀」だ。

銀に抗菌作用があることは古くから経験的に知られていた。そのため昔は主に粘膜の炎症の起炎菌に対して使われていた時代があった。

しかし現在では数多くの優秀な抗生物質が開発されたため、このプロテイン銀が薬として処方されることはもはや全くない。

S医院(關澤醫院)薬品棚:メルコチン・ロデアリン・ヘスナ・ジギタリス・ローケン、他

劇薬コーナー。今でもお馴染みの心臓の薬「ジギタリス」に加えて、同じく強心配糖体の「ロデアリン」などが見える。

しかし「お馴染み」とは言ったが、今ではジギタリス中に含まれる成分が利用されているだけで、ジギタリスそのものがこのように粉末で処方されることはもう無い。

特に「ロデアリン」の方は太古の昔にだけ使われていた超激レア品で、今の若い医師や薬剤師はどちらも実物を見たことがないはずだ。これらは薬とは言っても、平たく言えば薄めた毒草の粉に過ぎない。

メルコチン(Mercotin)エーザイ株式会社 非売品

なぜか劇薬コーナーにあったが、こちらもスーパーレア。モノ自体は今でも風邪薬に入っているノスカピンという咳止めだが、今「メルコチン」と言ってもまず誰にも通じないと思う。これはおそらく当時のエーザイが独自につけた商品名だ。

しかもこれは「NOT FOR SALE」とあるので、試供品か何かだろうか?「処方用で一般販売しない」という意味合いなのかもしれないが……

S医院(關澤醫院)薬品棚:レセルポン(Reserpon)・カルモチン(Carmotin)「タケダ」、他

こ、これは……! 薬局内をざっと見た感じ、写真中央の四角い箱の薬がたぶん一番の貴重品。

文系の人には「カルモチン」でピンとくる方も多いだろう。この薬は太宰治が自殺を図った睡眠薬として非常に有名であり、かの人間失格にもその名が登場する。

中毒性もある非常に古臭い薬なのだが、なぜか今でも発売禁止等にはならず、うっかり市販薬を買うとこの成分がしれっとまぎれ込んでいたりする。

しかし「カルモチン」としてはもう売られていないので、このパッケージは今ではかなりの希少価値だ。私もまさかこの目で実物を見られる日が来るとは思わなかった。

三種混合(DPT)ワクチン

これは今でも使われている三種混合ワクチンだが濁り方がヤバい😱 まるで味噌汁のようだ。

使用期限は昭和48年(1968)と、驚きの半世紀前。こんなのを打ったら病気を予防するどころか病気になってしまう。

S医院(關澤醫院)薬品棚:オスバン液・塩酸キニーネ・アクリノール・サリチール酸

「普通薬」のタグがおしゃれ。そして右下のサリチル酸も「サリチール酸」と伸ばされて右から左に書かれているのがさらにオシャレ。

サリチル酸は人類にとって最初の発見レベルの古い消炎鎮痛剤だ。しかしこの関澤医院ができた当時ですら、すでにその用途では使われていなかったはずだ。

副作用が強く皮膚すら侵すので、それを逆手に取りイボ取りなどの用途に今でも使われる。ここの現役時でもそういった皮膚疾患の治療に用いられていたのだろう。

キモラール(Kimoral)バッカル錠 日立化学株式会社

あと最後に、私が現地で一番気になったのがこれ。今では流通していない珍しい薬なので目を引いたのもあるが、それ以上に「日立って昔、薬も作ってたんだ! へぇ~」という驚きがあった。

キモラール(Kimoral)中身

パッケージの裏側にも堂々と刻まれた日立のロゴマーク……ではない?! 何だこのパチもんはwww

日立ロゴ

参考までに日立のロゴマークがこちら。あの言い逃れようの無いそのまんまなデザインに会社名が「日立化学」とか、もはや誤魔化す気すらないだろ!

さすがに日立の関連会社だろうと思ったが、調べてみるとそんな事はまったくなかった。これはひどいwwwww

実際この日立化学は昭和45年(1970)に社名を変更し、今の「日本ケミファ」になっている(有名なジェネリックメーカー)。やっぱりメッチャ怒られたんだろうなあ、ということは想像に難くない。

レトロな調剤天秤

これはまた古めかしい調剤天秤だ。こういうアンティークの天秤がいつまでも薬局の施設基準として法的に居座り、形骸化していた時期がある。

しかしこの関澤医院の時代はガチで実用品だったのだろうと思うと、とても感慨深い。今では味も素っ気もない電子天秤にすっかり取って代わられてしまった。

S医院(關澤醫院)診察室 別角度

薬局を出てふたたび診察室へ。

木箱に丁寧に納められた青い注射器

木製の箱に丁寧に収められた注射器。完全に博物館モノだな、これ……

診察室の机の上に置かれた鉗子や薬瓶

机の上に置かれた鉗子かんしや薬瓶。

S医院(關澤醫院)診療録

カルテもそのまま残されていた。主な患者層は風邪に腹痛、高血圧などといった感じ。

国民健康保険被保険者診療簿

これはさらに古い時代のカルテ。印刷されている「国」や「険」の字が旧字体だ……。カルテの名称も「診療簿」であり、法律そのものが今とは異なる時代の物なのが分かる。

傷病名もこれドイツ語だな……たぶん「足首の関節リウマチ」というようなことが書いてある。

とんでもなく古い形式の処方箋

この処方せんさらにヤバい。患者の名前以外まったく読めんwwwww

かろうじて「上下で2種類の処方」「それぞれが毎食後の指示」なのと「薬品の分量」は読み取れるが、肝心の薬の名前が何一つわからない。

小さく「カマ」とアンチョコが書かれているが、これは業界用語で酸化マグネシウムのことだ。しかしそこにはどう見ても「Nat-???」(ナトリウム何ちゃら)と書いてあり、まったく意味がわからない。

今こんな処方箋を薬局に持っていったら、法律上の要件すら何ひとつ満たしていないし間違いなく受け取り拒否されるだろう。

S医院(關澤醫院)手術室

関澤医院は内科だけでなく外科や産婦人科も診ていたので、このように手術室が備えられている。この部屋の美しさも、この廃墟の見どころのひとつだ。

手術室に置かれた移動式の洗面台

手術室には、装飾が施された移動式の洗面台が置かれていた。この時代の物っていちいちオシャレだな……

崩壊しかかったベッド

朽ちかけたベッド。この病院は入院も可能だった。

記録によれば、少なくとも関澤医院の開業当初は、午前中に外来と入院患者の回診を行い、午後は往診で外に。内科・外科・眼科・産科を診て、この他に急患も受け入れていたというからかなりのハードワークだ。

「個人病院の廃墟」とは書いたが、アルバイトの医師を雇っていた可能性は十分にある。

病院内に設置された灰皿(土の入った木箱)

この明らかに灰皿な箱も時代を感じる。今ではとても信じられないが、かつては病院の中でタバコを吸えた時代があったのだ。

というかこの時代は医者自体の喫煙率がハンパなかったらしい。敷地内を禁煙化するのに苦労したという大学や病院の話はちらほら耳にする。

実用新案 野村式人工気胸器

これも博物館レベルのシロモノ! これは人工呼吸器ならぬ人工「気胸」器だ。わざと気胸の状態を作って肺を潰し、肺結核の進行を阻止しようというもの。今では結核の特効薬があるため、完全に過去の遺物である。

薬剤噴霧器と思われる機械

この隅っこにしまわれてた器具も……これってもしかしてDDTとか散布してたやつか? もうホントに博物館とか教科書レベルのものがゴロゴロ出てくるな、この廃墟……

診療棟と病棟をつなぐ廊下

診療棟と病棟の間をつなぐ廊下。

蔦の絡まる病棟の一室

病棟の一室。ベッドは無く、もはや全てが自然に還りかけている。

日本コロムビア製のブラウン管テレビ

日本コロムビア製の真空管テレビが、この廃墟の過ごしてきた古きよき時代を私に語りかけてくる。

診察室のドクター用の椅子と患者用の椅子

それでは、お大事に────

3. 余談:関澤医院のその後

S医院(關澤醫院)病棟側の出入口前

(▲ 木々に囲まれた病棟側の出入口)

ちなみにこの関澤医院は、代々続く地域密着型のクリニックでもあった。今も関沢家の若い後継者が近隣で内科医院を経営している。地元住民からも愛され、評判は上々のようだ。

このように先代の古い病院が廃墟状態のまま放置されているケースは岐阜県のK医院などにも見られる。資金面の問題だとは考えにくいので、相続関係で何か手をつけるにつけられない事態になっているのだろうか。

【廃墟Data】

状態:健在

所在地:

  • (住所)栃木県芳賀郡市貝町文谷425
  • (物件の場所の緯度経度)36°33'53.2"N 140°06'12.2"E
  • (アクセス・行き方)北関東自動車道「真岡」ICより約30分(25km)