1. 概要
S医院(関澤医院)とは、栃木県市貝(いちかい)町ののどかな農村地帯にある個人病院の廃墟。開業はなんと大正7年(1918)であり、建物の築年数は100年をゆうに超えている。病院名は大正当時のままの表記にならうと「關澤醫院」となる。
木造平屋の瓦葺き屋根という時代を感じさせる佇まいに、年季の入った薬瓶や医療機器の数々──。外見・中身ともに非常にレベルの高い廃墟であり、これまでに数多くの廃墟マニアを魅了し続けてきた。
この種の廃墟が次々と姿を消していく中、令和の今も残る貴重な木造病院の廃墟である。
2. 内部探索

待合室のカウンターを受付側から見た写真。この窓は大人の両手がやっと通る大きさだ。こんなに小さい窓で患者とやり取りをするなど、今ではとても考えられない。
またガラスも全面スリガラスであり、明らかに部屋の中をなるべく見えないようにしようという設計意図が感じられる。
──それもそのはず、写真にも写っている診察券の年号は「大正」である。つまりこれらは、患者から医療の中身をなるべくブラックボックスにするのが良しとされた時代の物なのだ。

薬棚の薬は五十音順ではなく薬効順に並べられている。これもこの当時に共通の特徴だが、今では逆に五十音順のほうが多数派だろう。
この写真の区画には殺菌剤のたぐいが並んでいる。ここで特に時代を感じるのは右から二番目の「プロテイン銀」だ。
銀に抗菌作用があることは古くから経験的に知られていた。そのため昔は主に粘膜の炎症の起炎菌に対して使われていた時代があった。
しかし現在では数多くの優秀な抗生物質が開発されたため、このプロテイン銀が薬として処方されることはもはや全くない。

劇薬コーナー。今でもお馴染みの心臓の薬「ジギタリス」に加えて、同じく強心配糖体の「ロデアリン」などが見える。
しかし「お馴染み」とは言ったが、今ではジギタリス中に含まれる成分が利用されているだけで、ジギタリスそのものがこのように粉末で処方されることはもう無い。
特に「ロデアリン」の方は太古の昔にだけ使われていた超激レア品で、今の若い医師や薬剤師はどちらも実物を見たことがないはずだ。これらは薬とは言っても、平たく言えば薄めた毒草の粉に過ぎない。

なぜか劇薬コーナーにあったが、こちらもスーパーレア。モノ自体は今でも風邪薬に入っているノスカピンという咳止めだが、今「メルコチン」と言ってもまず誰にも通じないと思う。これはおそらく当時のエーザイが独自につけた商品名だ。
しかもこれは「NOT FOR SALE」とあるので、試供品か何かだろうか?「処方用で一般販売しない」という意味合いなのかもしれないが……

こ、これは……! 薬局内をざっと見た感じ、写真中央の四角い箱の薬がたぶん一番の貴重品。
文系の人には「カルモチン」でピンとくる方も多いだろう。この薬は太宰治が自殺を図った睡眠薬として非常に有名であり、かの人間失格にもその名が登場する。
中毒性もある非常に古臭い薬なのだが、なぜか今でも発売禁止等にはならず、うっかり市販薬を買うとこの成分がしれっとまぎれ込んでいたりする。
しかし「カルモチン」としてはもう売られていないので、このパッケージは今ではかなりの希少価値だ。私もまさかこの目で実物を見られる日が来るとは思わなかった。

「普通薬」のタグがおしゃれ。そして右下のサリチル酸も「サリチール酸」と伸ばされて右から左に書かれているのがさらにオシャレ。
サリチル酸は人類にとって最初の発見レベルの古い消炎鎮痛剤だ。しかしこの関澤医院ができた当時ですら、すでにその用途では使われていなかったはずだ。
副作用が強く皮膚すら侵すので、それを逆手に取りイボ取りなどの用途に今でも使われる。ここの現役時でもそういった皮膚疾患の治療に用いられていたのだろう。

参考までに日立のロゴマークがこちら。あの言い逃れようの無いそのまんまなデザインに会社名が「日立化学」とか、もはや誤魔化す気すらないだろ!
さすがに日立の関連会社だろうと思ったが、調べてみるとそんな事はまったくなかった。これはひどいwwwww
実際この日立化学は昭和45年(1970)に社名を変更し、今の「日本ケミファ」になっている(有名なジェネリックメーカー)。やっぱりメッチャ怒られたんだろうなあ、ということは想像に難くない。

これはまた古めかしい調剤天秤だ。こういうアンティークの天秤がいつまでも薬局の施設基準として法的に居座り、形骸化していた時期がある。
しかしこの関澤医院の時代はガチで実用品だったのだろうと思うと、とても感慨深い。今では味も素っ気もない電子天秤にすっかり取って代わられてしまった。

これはさらに古い時代のカルテ。印刷されている「国」や「険」の字が旧字体だ……。カルテの名称も「診療簿」であり、法律そのものが今とは異なる時代の物なのが分かる。
傷病名もこれドイツ語だな……たぶん「足首の関節リウマチ」というようなことが書いてある。

この処方箋はさらにヤバい。患者の名前以外まったく読めんwwwww
かろうじて「上下で2種類の処方」「それぞれが毎食後の指示」なのと「薬品の分量」は読み取れるが、肝心の薬の名前が何一つわからない。
小さく「カマ」とアンチョコが書かれているが、これは業界用語で酸化マグネシウムのことだ。しかしそこにはどう見ても「Nat-???」(ドイツ語でナトリウム何ちゃら?)と書いてあり、まったく意味がわからない。
今こんな処方箋を薬局に持っていったら、法律上の要件すら何ひとつ満たしていないし間違いなく受け取り拒否されるだろう。

朽ちかけたベッド。この病院は入院も可能だった。
記録によれば、少なくとも関澤医院の開業当初は、午前中に外来と入院患者の回診を行い、午後は往診で外に。内科・外科・眼科・産科を診て、この他に急患も受け入れていたというからかなりのハードワークだ。
「個人病院の廃墟」とは書いたが、アルバイトの医師を雇っていた可能性は十分にある。
(※可能性はまったく無いそうです。情報提供くださったあんぽんたん姫さん、ありがとうございました!)
3. 余談:関澤医院のその後

(▲ 木々に囲まれた病棟側の出入口)
ちなみにこの関澤医院は、代々続く地域密着型のクリニックでもあった。今も関沢家の若い後継者が近隣で内科医院を経営している。地元住民からも愛され、評判は上々のようだ。
このように先代の古い病院が廃墟状態のまま放置されているケースは岐阜県のK医院などにも見られる。資金面の問題だとは考えにくいので、相続関係で何か手をつけるにつけられない事態になっているのだろうか。
もしくは、日本の税制では不要な建物をちゃんと解体して更地にすると罰金(固定資産税が数倍に膨れ上がる)という謎仕様になっているので、それを嫌ってのことかもしれない。
【廃墟Data】
状態:健在
難易度:★★★★★(最高) or 探索不能?(2022年現在は警報器があるとの情報あり)
駐車場:なし
所在地:
- (住所)栃木県芳賀郡市貝町文谷425
- (物件の場所の緯度経度)36°33'53.2"N 140°06'12.2"E
- (アクセス・行き方)北関東自動車道「真岡」ICより約30分(25km)