足尾銅山の歴史・概要
足尾銅山とは、栃木県にある巨大銅山の廃墟である。江戸時代には幕府直轄の鉱山として栄え、かつては「日本一の鉱都※1」とも謳われた。しかし採掘が停止し山から人の姿が消えた後は、現地に立ち並ぶ廃墟だけがその当時の隆盛を今に伝えている。
記事冒頭の写真は、その足尾銅山の本丸ともいえる本山精錬所の廃墟群である※2。

(▲ 本山精錬所の大煙突。この精錬所からの亜硫酸ガスを含む排煙が、周辺を草木も生えない地獄のような土地に変えてしまった)
足尾銅山の歴史は鉱毒と切っても切り離せない。いわゆる我が国初の公害とされる「足尾鉱毒事件」である。
明治17年(1884)以降、足尾銅山は生産量を急激に伸ばし、国内の銅シェアトップを独走し続けるほどの繁栄を見せた※3。しかしその陰で、精錬所からは有毒な煙が尽きることなく吐き出されていった。
鉱毒ガスやそれに伴う酸性雨は山々の緑を容赦なく枯らし、その爪跡は元号が令和となった今も生々しく残っている。

(▲ 本山精錬所の上流域にある砂防ダム。周囲の山は鉱毒の影響により今もハゲ山と化している)
木々のなくなったハゲ山は土砂を保持する力を失い、雨が降るたびに河川に土砂が際限なくなだれ込んだ。写真はそれをせき止めるために造られた巨大砂防ダムである。
このダムが湛えるのは水ではなく、砂だ。上の写真で見える平地はすべて、周囲の山から崩れ落ちてきた土砂により形成されている。
また、このダム周辺にあった松木村・久蔵村・仁田元村は煙害が深刻で人が住めなくなり、全域が廃村に。今では荒涼とした大地に石碑が建つのみで、そこにかつて村があったことを示す当時の痕跡は何一つ残されていない。

(▲ つららのように固まった、青い銅イオンを含む鉱毒水の結晶)
また、鉱山による公害は煙によるものばかりではなかった。銅山から排出される毒性の水は渡良瀬川に流れ込み、流域の村々では稲が根こそぎ立ち枯れるなど農作物に壊滅的な被害をもたらした。
汚染はさらに遠く下流域まで続き、特に明治29年(1896)の大洪水では江戸川流域や利根川流域まで被害が拡大した※4と伝えられる。これらのあまりの窮状を時の天皇にまで直訴した田中正造の活躍は、歴史の教科書にも書かれている通りだ。
その後、この鉱毒水対策には渡良瀬川下流に沈殿池を設けることで汚染の拡大防止がはかられた。これが現在の渡良瀬遊水地である。
しかし、その造成のために邪魔となった旧谷中村は強制的に廃村※5となり、土地は政府に収用される。住民の一部はそれでも村に残って抵抗を続けたが、強制執行により家を破壊され、谷中村は地図上から永遠にその存在を抹消された。

(▲ 現在の渡良瀬遊水地の様子。ここに村があった当時の面影はもうどこにもない。写真はPhotoACより)
このように鉱毒との戦いの歴史でもあった足尾銅山であるが、戦後はしだいに安価な海外製品に押され、昭和48年(1973)には鉱石の採掘が停止(事実上の閉山)。その後も輸入鉱石による精錬が細々と続けられたが、それも昭和63年(1988)の国鉄足尾線の民有化を機に廃止される※6。こうして長い鉱山の歴史にはあっけなく幕が下ろされた。
令和3年(2021)現在では、旧施設の一部を活用して産業廃棄物のリサイクル事業が行われているのみである。
それでは以下に、足尾銅山の関連施設の廃墟を物件別に見ていこう。
1. 選鉱場跡
2. 坑道(通洞坑)
3. 新梨子油力発電所
4. 通洞動力所

ここでは坑道を掘り進めるのに必要な削岩機の動力源となる圧縮空気を作っていた。そのための機械(エアコンプレッサー)の動力には、後述する細尾発電所からの電力が用いられた。
5. 宇都野火薬庫
6. 神子内小学校
7. 足尾高等学校

(▲ 校舎とシンボルツリーの巨木)
本校は「私立古河足尾銅山実業学校」という企業立の学校をその源流に持つ。すなわち、設立当初は足尾銅山を経営している古河鉱業が運営する工業学校であった。
昭和23年(1948)に足尾高等女学校と合併し、写真の足尾高等学校となる。その後、平成17年(2005)に日光高校へ統合され、新規の生徒募集が停止。2年後の平成19年(2007)に閉校した。
8. 細尾第一発電所

(▲ 杉林の中にひっそりと眠る細尾第一発電所)
足尾銅山の急速な発展に伴いひっ迫していた電力供給を満たすために、明治39年(1906)に建造された水力発電所。現存する、国内でも3番目に古い発電所であり、日本の発電所の歴史を語る上でも貴重な史跡である。

レンガ造りの重厚な壁。アーチや窓枠の造りひとつ見てもとてもオシャレだ。日本で3番目となる発電所の名誉に恥じぬよう、当時古河の威信をかけて建造したことがうかがえる。
廃墟になっても美しい建物というのは、まさにこういうものだ。

発電所内部。屋根は半分抜け落ちてしまい、全体としてほぼ遺跡のようになりかけている。
写真中央に張られているロープは右奥の壁が崩落しないように支えるためのものだろう。
以前はここにブルーシートの被された資材がたくさん置かれていて、倉庫として使われているようだった(以前の記事(↓)を参照)。しかしこの時はご覧の通りすっきりしていて、「史跡保存」の意図があるのかガレキも隅にひとまとめに片付けられていた。
(→ 細尾第一発電所の過去の探索記事はこちら。木製の窓枠のクローズアップ写真や、当時残されていた救急箱などが見られます。)
【廃墟Data】
状態:本山精錬所は大煙突などごく一部を残して解体。他の施設も解体や崩壊が進みつつある。
所在地:
- (住所)栃木県日光市足尾町本山1-1(本山精錬所)
- (物件の場所の緯度経度)36°39'58.2"N 139°26'39.9"E(本山精錬所)
- (アクセス・行き方)
【自家用車】日光宇都宮道路「清滝」ICより、国道122号線→県道250線経由で約25分(19km)(本山精錬所)
【公共交通機関】JR両毛線「桐生」駅にて、わたらせ渓谷鐵道に乗り換え。1時間半程度で「足尾」駅到着となる(運賃1130円)。