概要・歴史
住友奔別炭鉱とは、北海道三笠市にある石炭鉱山の廃墟である。「奔別(ぽんべつ)」とはアイヌ語のPon-Petを語源とし、現地には由来となった奔別川が今も流れている。
鉱山の始まりは明治33年(1900)で、当初は「奈良炭鉱」と呼ばれていた。その後、昭和3年(1928)に住友系の企業が鉱山を買収。以降、昭和46年(1971)の閉山までに計2650万トンもの石炭が採掘された※1。
1. 立坑櫓

トップを飾るのはやはりこの立坑櫓だ。この鉄塔の上に躍る「奔別」の文字は、廃墟マニアであれば誰もが一度は写真で目にしたことがあるはずだ。
下の方の鉄骨は、元々はきちんと外壁で覆われていたのだが、先述の爆発事故により大部分が吹き飛ばされた。そのため危険になった外壁は全て撤去され、廃墟として迫力のある今の姿になった。
名実共に今も町のシンボルであり、これを見られただけでも奔別炭鉱の7割は堪能したと言っても過言ではない。
2. ホッパー(貯炭場)

選別の終わった石炭を列車に積み込むための施設。全長約100m、列車は3列まで進入して積み込み可能という、国内では最大級の規模を誇る。
ここで特筆すべきなのは「上の建屋が残っている」という点だ。筆者は他にも鉱山の廃墟を山ほど巡っているが、ホッパーの規模が大きければ大きいほど上半分の建物は失われているのが普通である。それがこうして残っているのは、大規模なホッパーでは他に記憶にない。
3. 工作場
4. 幾春別市街
5. 弥生市街
6. 幾春別小学校

(▲ 校門付近から見た校舎(右)と体育館(左))
開校は明治23年(1890)。当時炭鉱を所有していた「北海道炭礦鉄道株式会社(北炭)」が社員の子供たちのために建てた私立小学校が始まりである。
その後、鉱山の規模が拡大するにつれ児童数も急伸。最盛期には3600名もの生徒を抱え、あまりの多さに昭和23年(1948)には「奔別小学校」を新設して生徒を分割。それでも1クラスに50人前後がひしめき合った。
幾春別小学校には北炭系、奔別小学校には住友系の従業員の子供たちが通ったという。同じ高台に2つの小学校が横並びで建つという異常事態であった。
このことは当時、奔別炭鉱がどれほど栄えていたかを示す証拠に他ならない。
7. 唐松駅
8-1. 旧鉱山施設・ボイラー煙突
8-2. 旧ホッパー
8-3. 斜坑捲上機用の土台
8-4. 変電所
8-5. 排気ブロアー建屋
8-6. 安全灯室
【廃墟Data】
状態:選炭ホッパーの上部建屋が倒壊。他は健在。
難易度:★★★☆☆(普通)
駐車場:なし。ただ往来はあまりなく道も広いので、適所に駐車スペースを見つけることは難しくない。
所在地:
- (住所)北海道三笠市奔別町260(立坑櫓)
- (物件の場所の緯度経度)43°15'53.1"N 141°57'34.2"E(立坑櫓)
- (アクセス・行き方)道央自動車道「三笠」ICより、道道116号線経由で約16分(12km)