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笠置観光ホテル(京都の心霊スポット)内部潜入

1. 概要

笠置観光ホテル(かさぎかんこうホテル)とは、京都府相楽そうらく郡にある昔のリゾートホテルの廃墟である。関西を代表する心霊スポットとしてその名が知られており、心霊的な体験談も数知れない(後述)。

1-2. ホテルの歴史(開業~閉業まで)

笠置観光ホテルの始まりは昭和37年(1962)と古く、そばを流れる木津川の対岸に望む笠置山の観光拠点として当時は栄えた。山は国指定の史跡名勝地であり、特に弥勒みろく信仰の聖地として1300年の歴史を持つ笠置寺と、季節の美しい紅葉・桜で有名だった。

笠置寺の巨石

(▲ 笠置寺の巨石信仰。向かって左が薬師やくし石、右が文殊もんじゅ石と呼ばれる)

しかしそれも昭和55年(1980)、ホテルの裏山に国道をバイパスする笠置トンネルが開通してから雲行きが怪しくなる。それまで奈良から伊賀・名古屋へと抜ける主要道の地位だった笠置観光ホテル前の道が、これで旧道に格下げとなって交通量が激減したのだ。

これに危機感を覚えたホテルは、昭和58年(1983)に天然温泉を地下1200mから掘り出し「大光天温泉」と命名。これを元に再起を図るが、それでも経営は振るわなかった。

そしてついに昭和62年(1987)、国鉄の民営化を契機にホテルは完全にトドメを刺される。それまで大阪の中心街から笠置駅までを結んでいた直通列車がこの時に廃止されてしまったのだ。これでホテルは大都市圏からの顧客の大部分を失った。

笠置駅 桜と笠置大橋をバックに

(▲ 春の笠置駅。奥には笠置大橋が見え、その先の山の裏に笠置観光ホテルがある)

それでもホテル側はあきらめず、すぐ翌年の昭和63年(1988)にホテルの改装に着手する。しかし途中で資金繰りが悪化して、あえなく中止となってしまった。

こうして時代から取り残され、まったく手のほどこしようのなくなった笠置観光ホテルはこれ以降放置された。そしてそのまま実質的に閉業となった。

1-3. 閉業後~心霊スポット化

さて、笠置観光ホテルはここから心霊スポットとして着実にキャリアを積み上げて、名をせていくことになる。

まず廃業してまもなく、ホテルの解体工事が始まったが、それがなぜか中途半端な状態で放置・中止されるという事態になった。工事は今でも再開されておらず、これは「作業員が亡くなる事故があったから」とか「取り壊そうとするとそのたびに関係者に不幸な事件が起こるから」などと、まことしやかにうわさされている。

笠置観光ホテル 正面玄関内部

(▲ 解体が中途半端なままのホテル入り口付近)

そして放置の末そのまま廃墟になったホテルでは、たびたび火事騒ぎが起こった。それで「経営不振に苦しんだホテルのオーナーが正面玄関で焼身自殺した」などといううわさが立つようになった。彼は焼けただれた顔のまま怨霊となって、今もホテル内を徘徊はいかいしているという。

その後、平成16年(2004)にこのホテルで肝試しをするという松竹の芸人の企画で、女性の霊が映り込む様子がテレビで放送されると、笠置観光ホテルは心霊スポットとして一気に有名になる。

心霊動画中の女の霊の登場シーン(テレビ朝日「魔界潜入!怪奇心霊(秘)ファイル」)

(▲ 当時放映された心霊動画の一場面。確かに芸人の左頬あたりから、顔を半分のぞかせてこちらをにらむセミロングの女の顔らしきものがあるようにも見える - 魔界潜入!怪奇心霊㊙ファイル4 より引用 ※赤色部分は読者の理解を助けるために筆者が書き加えたもの)

この時の映像から「屋上の機械室に女の霊が出る」と皆が口々にうわさするようになった。それからというもの「着物姿の老婆の霊が出る」「フロントからこちらに話しかけてくる男性の声が聞こえる」など心霊現象の報告が相次あいついだ。

以上が笠置観光ホテルの心霊現象では有名なものだが、他にも幼女の霊やコックの霊、吹き抜けを通り抜ける謎の発光体や「4階から上がヤバい」などなど……挙げていたらキリが無いほどここには霊の目撃談が多い。

そして令和3年(2021)現在も、笠置観光ホテルは取り壊しされることなくそのまま残っている。

2. 実際に足を運んでみた

笠置観光ホテルへと至る旧道

旧道の入口付近の車止めを越えて、徒歩で川沿いを進む。この道は今ではとっくに通行止めになった廃道のはずだが、実際にはかなり人の往来があるようだ。落ち葉ではっきりと道ができている。

木々の切れ間に見える笠置観光ホテル

しばらく歩いていくと、うわさの笠置観光ホテルが見えてきた。木々の切れ間から建物を見上げる。関西を代表する心霊スポットというだけあって、かなり不気味で威圧感がある。

ホテル入口へと続く獣道

ホテルへと続く道はしっかりと踏み固められていて、ヤブぎの必要や道の不安はまったくない。

廃墟になって30年以上経つにも関わらずこれとは、この心霊スポットの人気の高さを示す証拠である。同じく山の中にハッキリと道ができていた小川脳病院の廃墟を彷彿ほうふつとさせる。

笠置観光ホテル 正面玄関前

ホテルの入口の前までやってきた。当初ここをふさいでいたであろう鉄板は紙のごとく引き倒され、無残にその姿をさらしている。今ではもう完全にウエルカム状態だ。

天井から垂れ下がる変形した鉄板

「オーナーが焼身自殺した」といううわさどおり、ホテルの入口付近には不自然に焼け焦げた跡がある。天井を覆っている鉄板もすすが付き、熱のせいかかなり変形している。

ホテルの1階通路

先ほどの写真からすぐ隣の通路。顔の焼けただれたオーナーは、今もこのあたりを彷徨さまよっているのだろうか……

ホテルの1階大広間

1階の大広間。木々に陽の光がさえぎられ、中はかなり暗い。

笠置観光ホテルの抜け落ちた階段を3階から見下ろす

非常階段をのぼり、3階からホテルの本来の階段を見下ろしたところ。階段の床はすべて無くなり、中身の鉄筋だけがだらしなく壁からぶら下がっている。

明らかに専門の業者の手で人為的に行なわれたもので、わざわざこうして階段だけを壊したのは侵入者を上へと行かせないためだろう。

また非常階段の方も、私の探索当時は2階の扉が溶接されてまったく開かない状態になっていた(以前は3階もふさがれていたらしい)。しかしこちらは階段そのものを使えなくされたわけではなく、他の階へは自由に行き来できる。

笠置観光ホテルの吹き抜けと化した階段

(▲ いまや完全に吹き抜けとなってしまった階段)

なので「なぜ2階だけが厳重に封じられたのか?」ということに対して、当時からさまざまな憶測が流れている。単に危ないからというのであれば、4階や5階の方が落ちた時によっぽど危険なはずだ。

当然、一番言われているのは「ヤバい霊を閉じ込めた」とか「2階の霊障が一番強かったから」といったたぐいの話である。

筆者の探索当時でも窓伝いにジャンプするなどかなりの危険を冒せば2階には行けそうだったが、私には霊感もないしそこまでするメリットがないのでこの時はパスした。

2021年現在は2階の扉が開いている(しかし固く溶接までされていたのに、なぜ「開いた」のか……)らしいので、興味のある霊感持ちの方はぜひ現地で真相を確かめてみてほしい。

ホテルの壁の穴から見える赤いもみじ

暗闇にあやしく燃える赤──

笠置観光ホテルの窓から見える紅葉

廃墟となってもなお、このホテルは紅葉の名所のようだ。

笠置観光ホテルの池と化した屋上と機械室(ボイラー室)

屋上は見渡す限りの池になっていた。奥には例の「女の幽霊が出る」と有名な機械室(ボイラー室ともされる)があるが、これではとても近づけない。

屋上の一面の水たまりには、美しい紅葉が鏡面反射して写りこんでいる

屋上を別角度からもう一枚。色づき始めた木々が水面に反射する様子が美しい。


数ある心霊スポットの中でも霊の目撃談が飛びぬけて多いこの廃墟。残念ながら私の目にそれらしいものは何も映らなかったが、有名スポットなだけあって雰囲気はかなりあり、なかなか楽しめた。

また来る機会があれば、その時はうわさの2階にもぜひ足を運んでみたいと思う。

【廃墟Data】

状態:健在

難易度:★★☆☆☆(低)

駐車場:旧道の車止め手前のスペースを利用(→地図)。トラックや釣り・登山客などの車もよくここに駐車している。

所在地:

  • (住所)京都府相楽郡笠置町有市附竹46-1
  • (物件の場所の緯度経度)34°45'34.0"N 135°56'51.1"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】京奈和自動車道「山田川IC」より、国道163号線経由で約30分(17km)。
    【公共交通機関】JR関西本線「笠置駅」にて下車、駅より徒歩約20分(1.7km)。駅のロータリーを抜けてそのまま直進し、「市場」交差点(郵便局の角)を左折して県道4号線に入る。関西本線のトンネルを潜り、笠置大橋を渡って、国道に出たら右折して「伊賀」方面へと進む。300mほど進むとトンネルに差し掛かるが、トンネルには入らずに右の小道へと進む。そのまま川沿いに700mほど進むと、左手に笠置観光ホテルの巨大な姿が見えてくる。