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旧蔵原トンネル(心霊スポット)

1. 概要

旧蔵原トンネルとは、富山県南砺なんと市にある廃トンネルである。心霊スポットとされているが、この近所には全国的に有名な牛首トンネルシゲタ動物薬品工業(バイオハザード研究所)があるため、その陰に隠れていまいち目立たない廃墟である。

しかし筆者的には、牛首トンネルよりもこの旧蔵原トンネルの方がよほど楽しめた。以下に、このトンネルの歴史や心霊的なうわさ、そして実際の探索について紹介していく。

1-1. 旧蔵原トンネルの歴史

旧蔵原トンネルは昭和18年(1943)に完成。昭和30年(1955)にいったん改修工事が入って今の姿になったようだ。当時はこのトンネルが南砺市から金沢方面へと抜ける唯一の道であり、利用価値がたいへん高かった。

しかしこのトンネルは内部の幅が狭く、車のすれ違いができなかった。時代が下って自動車が普及してくると、開通当時は気にならなかったその弱点が次第に目立つようになってくる。そして昭和62年(1987)には、対向二車線の新蔵原トンネルが旧トンネルのすぐ隣に開通した。

それでも平成24年(2012)頃までは旧トンネルも車の通行ができた。しかしその後、記事冒頭の写真のようにガードレールによって完全に閉鎖され、現在では廃道となってしまった。

1-2. 旧蔵原トンネルの心霊現象

ガダルカナル島の戦いで死んだ日本軍兵士の死体の山

(▲ ガダルカナル島で戦死した日本軍兵士の死体の山(米海兵隊員撮影 1942年10月)- ウィキメディア・コモンズ より引用)

心霊的なうわさとしては、少女の霊や兵士の霊が出ると言われている。特にトンネルが開通した昭和18年(1943)といえば、あのガダルカナル島の戦いで日本軍が壊滅的な惨敗を喫して、同島から撤退した年だ。

この戦いは戦死者をはるかに上回る数の餓死者を出したことであまりにも有名である。日本を守るため戦いに来たのに、立つことすらままならず死んでいった兵士たちの無念さを思うと胸が締め付けられるようだ。

新蔵原トンネルでのひき逃げ事件を報じるニュース画像

(▲ 新蔵原トンネルでのひき逃げ事件を報じるTV - KNB(北日本放送)より引用)

また、閉鎖になった旧トンネルからすぐ近くの新トンネルでは、令和2年(2020)4月24日にひき逃げによる死亡事故が発生している※1。しかし、それに関連した心霊話などは今のところ特に無いようだ。

2. 実際に足を運んでみた

旧蔵原トンネルの県道42号線側の出口付近

道路を塞いでいるガードレールを乗り越えて、トンネルの手前まで来た。完全に獣道ができている所を見ると、マイナーな心霊スポットとはいえそれなりに探索者の往来があるようだ。

旧蔵原トンネルに県道42号線側から入ってすぐの所

トンネルの入口付近から中を見たところ。天井から壁を伝って漏れてくる一筋の水の流れにそって、緑色のコケが生えている。まるで最初からこういうデザインのトンネルかのようだ。

その緑の輪っかに被る形で、向かって右側には「隧道防災工事」と書かれた四角い石碑が埋め込まれている。日付は昭和30年3月。

天井からは千切れたコードがぶら下がっている。通電はしていないはずだが、いちおう避けて通ろう。

トンネルの壁に打ち付けられている波状の黄色い鉄板

このトンネルの中を見た瞬間「珍しいな」と興味を引かれたのがこれ。壁に設置してある波状に折り曲げられた黄色の金属板だ。おそらく反射板の代わりだと思うが、他のトンネルではあまり見た記憶がない。

まぁ、こんなトンネルを通ろうとなったら普通は運転に全集中して壁の部材など気にしている余裕はないので、単に覚えていないだけかもしれない。

旧蔵原トンネルの中央付近

入口から少し奥に入ったところ。トンネルの壁がコンクリートなのは入口付近だけだった。途中からはこのように、モルタルで固めただけのゴツゴツとした岩肌が来訪者を出迎える。

この切り替わりはあの牛首トンネルの内部にそっくりだ。しかしこの旧蔵原トンネルは全区間が富山県内にあり、「管理者が違うから」という理由ではなさそうだ(おそらく先述した防災工事の関係)。

また、似た構造でも牛首トンネルとは違って、この旧蔵原トンネルは廃道である。しかも長さは比較にならないほど長い。なので、私のような零感人間にはこちらの方が心霊スポットとしてよほど怖く感じられる。

旧蔵原トンネルを国道側まで抜けた所。スノーシェッドで覆われている。

そしてトンネル出口の先には、さらにスノーシェッド(雪避け)で覆われたトンネルが続いていた。確かに出口の光が弱々しくて変な形をしているなとは思っていた。それがまた「先の分からない怖さ」を演出していたのだが、屋根があって道がカーブしていたからだったのか。

国道304号線側から見た旧蔵原トンネル

スノーシェッドをすこし進んだところから、今まで通ってきた道のりを振り返る。結局このトンネルは入口(写真奥)から「コンクリート・モルタル・コンクリート・スノーシェッド」の4段構えになっていた。

旧蔵原トンネルから国道304号線へと続く、草だらけの廃道

トンネルを完全に抜けて向こう側を見る。入ってきた側と同じように、車の高さ制限を物理で示すゲートがあるのが見える。しかしもう一方の「道をふさぐガードレール」はここからは確認できない。

とはいえ、この道を進んでいけばいずれ同じように道が塞がれているのが見えるはずだ。このトンネルが廃道(通行止め)なのは間違いないのだ。

そして私はここで引き返すことにした。これより先には、現役の自動車工場と国道(新蔵原トンネル)があるだけだからだ。

旧蔵原トンネルの国道304号線側の出口付近

来た道をふたたび振り返って、スノーシェッドの出口付近を見る。天井には壊れたライトがついていて、現役時は人工の明かりがあるトンネルだったことがわかる。

それと、トンネルの手前(写真右下)に白い花が群生しているのが見える。これも実は「廃墟」に関係するものだ。良い機会なので、本記事では最後にこれを紹介して終わりにしたい。

3. 廃墟と植物「著莪シャガ

旧蔵原トンネルの出口付近に群生していた、白く可憐で美しい花「著莪」

トンネルの手前に咲いているこの花は著莪シャガという植物で、ノキシノブに比べれば非常にレアだが、廃墟に生える植物では代表的なもののひとつだ。

その理由についてだが、やや暗く湿った場所を好む習性のほか、日本の著莪シャガは実をつけないため、全て株分けによって分布を広げてきたことが大きい。

つまりこの植物は鳥や風などによって偶然種が広がることがないので、この花が咲いているという事実がそのまま、かつてその場所に人の手が入ったことを示すのだ。

春頃に廃墟探索をしていると、一見何もない森の中で唐突にこの花が群生しているのを見かけることがある。そしてそこにはかつて人の生活があった(つまり住居などの跡である)可能性がきわめて大きい。

見た目が可憐かつ華やかなので、朽ち果てた景色にこの花はとても良く映える。廃墟に生える植物やキノコは見た目からして胡散うさん臭いものばかりなので、その中のいわば清涼剤のような存在である。

【廃墟Data】

状態:健在

難易度:★☆☆☆☆(最低)

駐車場:トンネル手前の空地を利用(→地図

所在地:

  • (住所)富山県南砺市川西
  • (物件の場所の緯度経度)36°35'02.2"N 136°50'42.0"E
  • (アクセス・行き方)北陸自動車道「小矢部IC」より、県道42号線経由で約10分(5.4km)。