概要
本記事は、廃墟「姫川病院」の旧館1階について詳しく紹介している。ここには、この廃墟の心霊的な目玉である霊安室がある。
診察室や薬局のある新館の方を見たい場合は、前回の記事を参照のこと。
1. 介護・福祉エリア


(▲ この写真は境界線を左右にグリグリ動かせます)
ここは現役時、昇降式ベッドや車椅子などの見本を展示していた。普通の病院ではまず見かけない珍しい部屋だ。
姫川病院の初期はここは駐車場になっており、このエリアは平成13年(2001)になって増築された施設である。その前年から国の介護保険制度が始まったので、それに合わせて造られたと見て間違いない。


(▲ この写真は境界線を左右にグリグリ動かせます)
これらの展示品は購入などの相談もできたようだ。当時は写真の机に職員と顧客が同席して、カタログなどを見つつ話し合ったのだろう。


(▲ この写真は境界線を左右にグリグリ動かせます)
そしてもちろん介護用品の展示だけではなく、患者宅への訪問看護や在宅介護支援も行なっていた。写真はそれらの拠点となる、訪問看護ステーションの内部だ。左隣には在宅介護支援センターが入っていた。
2. 厨房・食堂

まずは厨房だ。病床数が100を超える大きな病院なので、入院患者と職員の胃袋を支える調理場も当然デカい。
左手前に見えるキャスター付きの台は配膳車だろう。この中に患者さんの食事を入れて、各病棟まで運んでいたと思われる。

しかしそれを開いてみて絶句した。これは看護師の求人だが、ガッツリ夜勤ありの三交代制で17万円台はさすがに少なすぎでは? これとは別に各種手当が出るものと信じたいが、それにしたって少ないような気がする。
3. 救急対応エリア

急患はこの入口から運ばれてくる。ドアには勾玉が3つ並んだようなロゴと「ひめかわ美野クリニック」と書かれたシールが貼られている。これは姫川病院の閉鎖後も施設の一部を利用して、脳神経外科の美野先生がここで診療を続けたなごりだ。
今では糸魚川市の中心部に正式に移転して、地方医療を精力的に支えている。

日誌の日付は平成19年(2007)7月31日であり、姫川病院の閉鎖後である。現役時の当直医用の日誌と部屋をそのまま流用していたようだ。
記録には、閉鎖から1ヶ月が経っても理事長と弁護士が病院に出入りしている様子が書かれている。夜中にはNHKからの問い合わせがあるなど、姫川病院破綻への世間の関心はまだまだ高かったようだ。
4. 検査エリア

さて、次に病院の検査エリアへと移る。記事で紹介予定のエリアを図では白抜きで示す。
ここは診察の結果、検査が必要だと判断された患者さんが来る場所だ。血液検査や心電図、エコー、そしてレントゲン撮影などの各種検査が行なわれた。

検査エリアの中心部へと伸びる廊下。左手には採血や点滴をするための部屋が、右手には患者から得られた検体を検査するための部屋がそれぞれ並んでいる。
写真では左手の部屋に掲げられたプレートが「リハビリ室」となっているが、これは先述した美野先生時代の遺物だろう。

リハビリ室(旧採血室)はほとんどもぬけの殻だったが、利胆薬であるウルソの販促品が残されていた。ウルソは本当に昔からある薬なので、それを販促するとかどんだけ年代物だよと思う。
しかし薬屋さんからの販促品といえば、私はペンや付箋などの実用品のイメージだ。なのでこんな可愛いだけが仕事のようなものは正直記憶にない(もしかしたらこれもペン立てなのかな……?)。
さらにこういった販促品は、接待や過剰なサービスの問題と絡められてちょっと前に禁止されてしまった。医者や看護師にとっては、薬の名前が入ったノベルティグッズは本当に掃いて捨てるほどありふれたものだったが、あと何十年かしたら廃墟でしか見られない激レアグッズに様変わりしていることだろう。

レントゲン室の隣の操作室。窓からはレントゲン室の中が見える。
バリウム検査では技師さんがここでレバガチャして患者さんを好きなだけぶん回して、このマイクで「左向け」だの「ゲップするな」だの色々と無茶を言ってくるわけだ(被害妄想)。

RI(核医学)検査室。CTやMRIと似ているが、丸から突き出した箱型の出っ張り(ガンマカメラ)があるのが特徴。
ここでは検査の数時間前に放射性医薬品を患者に投与しておいて、種々の組織に分布した医薬品成分から出る放射線を検出する。
5. 霊安室
(▲ この写真は自由にグリグリ動かせます)
ここでは女性の霊がよく目撃されている。しかし私の探索時は昼間だったこともあり、霊的なものは何も感じられなかった。
それでもここは病院の裏口のような場所であるため、やや寂しげな空気が漂っているというか、なんとなく他の場所とは少し違うような雰囲気があるのは私でも感じ取れた。