Menu

東洋診療所(心霊スポット)

概要

東洋診療所とは、栃木県小山市にあった中規模病院の廃墟である。同じ県内の都賀つが病院旧野木病院を合わせて「栃木三大廃病院(心霊スポット)」として、かつては恐れられていた。

この廃墟の心霊的なうわさでもっとも有名なのは「上階の窓からこちらを見下ろす女性の霊が出る」というものだ。この怪談は男鹿プリンスホテルの噂とよく似ており、有名な心霊スポットでは女性が窓から外を眺めがちである。

令和4年(2022)現在は、綺麗にリフォームされたうえで会社の事業所として使われている。つまり完全に改装転用済みの物件であり、もはや廃墟でも心霊スポットでもない。

先述の都賀病院も今では解体されて墓地になっているので、かつて栃木で恐れられた廃墟病院のゆうも、あとは旧野木病院を残すのみとなってしまった。

廃墟時代の探索記録

1階(受付・診察室など)

東洋診療所の出入口付近のクローズアップ

病院の正面出入口付近。ここの上の方の窓からは女性の霊がこちらをのぞいてくるらしいが、まだ営業時間外なのか筆者の探索時はそれらしいものは見当たらなかった。

病院内から見た出入口

病院内に入り、入口の方をふり返る。窓ガラスはすべて粉々に打ち砕かれており、実に有名心霊スポットらしい雰囲気だ。

現役当時の1階受付(東洋診療所) 廃墟化後の1階受付(東洋診療所)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

1階受付。すぐ隣には、患者さんが薬を受け取るための投薬窓口もあり、中の部屋は完全に一緒だ。この造りは受付と薬局の区別がなかった昔の診療所の流れを汲むものであり、とても時代を感じる。

東洋診療所の現役当時の診察室の様子

現役当時の診察室の様子。撮影用にわざとらしくメモを取ったり辞典を持ったりしている看護師が不自然極まりなく、思わず笑ってしまう。もうちょっと何とかならなかったのか(笑)

1階レントゲン室前

1階レントゲン室前。「使用中」の表示灯があるいかにもな部屋だが、ここは手術室ではない。

この東洋診療所はその名の通り東洋医学に力を入れていたため、切った張ったの外科手術はそもそも行なっていなかったようだ。この規模の病院でそういう所はかなり珍しい部類に入るだろう。

2階(病室・ナースステーションなど)

2階の廊下

階段を上り、2階へとやってきた。

現役当時の病室(東洋診療所) 廃墟化後の病室(東洋診療所)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

この階には患者さんが入院生活を送るための病室が並んでいる。

2階のエレベーター前

エレベーター前。もちろん動いてはいない。

現役当時の個室(東洋診療所) 廃墟化後の個室(東洋診療所)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

こちらは個室。差額ベッド代を払えばこちらに入ることもできた。

現役当時のナースステーション(東洋診療所) 廃墟化後のナースステーション(東洋診療所)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

ナースステーション。昔は看護師さんが大勢いた場所が今では荒れ果ててしまっているのは、ひどく寂しさを感じさせる。

それとみんなナースキャップをしているのが時代を感じる。衛生面や仕事効率の問題からこれが廃止の流れになったのは、もう筆者が分からないくらい前のことだ。禁止されたわけではないが、ナースキャップをいまだに採用している病院は今や絶滅危惧種と言っていいだろう。

「看護婦 戸野塚」と書かれたネームプレート

戸野塚さんという、珍しい苗字の方のネームプレートが残されていた。自分で貼り付けただろう緑色のキラキラな装飾がほほえましい。

それとそうだ、この時代は看護「婦」なんだよな。世間では言葉狩りのように言われているが、意外とこの仕事は力仕事で、男性の職員も増えてきたため「看護師」で統一されるようになった──というのが私の認識。

3階(リハビリルームなど)

「幽霊?出る」と書かれた落書き

さらに階段を上って3階まで来た。廊下のこの壁の落書き(幽霊?出る)は、東洋診療所では有名だった。

現役当時の3階受付(東洋診療所) 廃墟化後の3階受付(東洋診療所)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

1階だけでなく、3階にもこのように受付があった。3階にはリハビリ用の器具がたくさん残されていたので、リハビリテーション用の受付だったのだろうか。

それと、病院内の受付の目の前に堂々とタバコの灰皿スタンドが置かれているのに時代を感じる。令和の今では考えられないことだ。

3階リハビリ室

リハビリ室の一室。壁が完全に破壊されており、中の鉄筋だけになってしまっている。

リハビリ用のベッド

部屋の中にはリハビリ用のベッドが残されていた。

医療用エックス線装置

これは医療用のエックス線装置。

レスタミンカルシウムのアンプル

この廃墟は破壊と略奪の限りが尽くされていて、意外と小物が少ない廃墟だったが、よく探せばこのようにアンプル剤などを見つけることもできた。これはじんましんなどのアレルギーに対して使われる薬だ。

全身向け温浴療法用装置 EMBRACE-2

別の部屋には、なにやら遊園地の乗り物みたいな機械が。

別角度から見たEMBRACE-2

違う角度からもう一枚。この機械は乗り込んだ患者さんに赤外線を当てて、全身を温めるための装置だったらしい。これはいわゆる「温熱療法」と呼ばれるもので、血行を改善することで治癒を促進したり痛みをやわらげたりする効果があるとされる。

リハビリ用の浴槽と小山市の眺め

さらに別の部屋には、リハビリ用の温浴もあった。

4階(院長家族の居住スペース)

4階の洋室

最上階である4階はこれまでの階とは明らかに雰囲気が違い、さながらマンションや旅館の廃墟のような様子である。ここには院長とその家族が住んでいたと言われる。

4階の和室

広々とした和室。この部屋で院長は眠っていたのだろうか。

なお、この「院長の自宅説」であるが、これにははっきりとした確証があるわけではない。そもそも個人のクリニックならともかく、この規模の病院で建物内に院長が住んでいるなど私は聞いたことがない。

しかしそうでないとしても、職員の休憩や当直のための設備としては明らかに過剰で、謎は深まるばかりだ。ここには4階のスペースの大半が割かれており、何倍も規模の大きい病院である姫川病院の休憩室よりも大きいのだ。

屋上

東洋診療所の屋上

屋上には「東洋診療所」の看板が設置されていた。この建物は今では別の会社の事業所として使われているため、この看板も白く塗り潰されているとのことだ。

【廃墟Data】

状態:転用済み

駐車場:なし

所在地:

  • (住所)栃木県小山市間々田150
  • (物件の場所の緯度経度)36°15'31.0"N 139°46'29.5"E
  • (アクセス・行き方)
    東北自動車道「佐野藤岡IC」より、国道50号線→県道160号線経由で約30分(20km)