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阿蘇観光ホテル

1. 概要

阿蘇観光ホテルとは、熊本県阿蘇郡にある温泉旅館の廃墟である。昭和天皇がこのホテルを大変お気に召され、三度みたびお泊まりになったというエピソードは特に有名で、周辺の旅館では名門中の名門であった。

しかしその栄光も今や昔──今となってはホテル内に瓦礫がれきやゴミが散乱し、夜には幽霊まで出没するボロボロの廃墟へと落ちぶれてしまった。

1-1. 阿蘇観光ホテルの歴史

阿蘇観光ホテルの営業当時のパンフレット

(▲ 昭和52年当時のパンフレット - フォートラベル より引用)

阿蘇観光ホテルの創業は昭和14年(1939)。政府より融資を受けた国策のホテルとして開業した。当時ではまだ珍しかった洋式のダイニングルームやバスルームなどを備え、本格的な西洋式ホテルとして大変注目されたという。

戦後(1945~)は米軍の保養施設として一時接収される。その後は地元の民間企業へと払い下げられた。

営業当時の阿蘇観光ホテルの外観

(▲ 営業当時の阿蘇観光ホテル。左手の建物は別館で、右手奥には本館の赤い三角屋根が見える - 阿蘇観光ホテル公式サイト より引用)

そして昭和32年(1957)には、昭和天皇が熊本行幸ぎょうこうで当ホテルにご宿泊されることが決まり、それに向けて大規模な改修工事が行なわれた。

これ以降、阿蘇観光ホテルは天皇家御用達の旅館として名をせるが、昭和39年(1964)に本館が火災により全焼。その後再建するも客足は次第に遠のき、親会社の経営不振も相まって平成12年(2000)に閉館した。

令和4年(2022)現在では、ホテル跡地には赤い三角屋根が特徴的な洋式の「本館」だけが廃墟として残っている。家族連れや団体向けの「別館」と、和式の「蘇峰そほう館」はすでに解体されていて現存しない。

1-2. 阿蘇観光ホテルの心霊現象

阿蘇観光ホテルへ潜入する番組スタッフ

(▲ 廃墟となった阿蘇観光ホテルへ潜入する番組スタッフら - 稲川淳二 恐怖の現場 最終章 vol.1 より引用)

閉業後もホテルは廃墟としてそのまま残されていたが、平成17年(2005)にホラー映画「輪廻りんね」のロケ地になったことで、阿蘇観光ホテルは心霊スポットとして少しずつ注目されるようになる。

そして平成25年(2013)発売の心霊DVD「稲川淳二 恐怖の現場 最終章」で紹介されると、稲川氏の大きなネームバリューもあり、ここは晴れて有名スポットへの仲間入りを果たした。

筆者もこの作品を全編視聴済みだが、稲川氏は特に地下に幽霊が出ると言い、「男女の声がする」と地下の一室で何度も吐きそうになっていた。また、同作品ではふもとにある阿蘇大橋についても言及されていた。

熊本地震により崩落した阿蘇大橋

(▲ 熊本地震で崩落した阿蘇大橋)

この阿蘇大橋は、当時九州でも屈指の自殺の名所であった。昭和56年から平成23年(1981~2011)までの間に、実に59件もの飛び降り自殺が記録されている。あまりにも自殺が多いので、橋のたもとには自殺を思いとどまらせるための「まてまて地蔵」(自殺は待て待て、という意味)まで設置されるありさまだった。

このような経緯から阿蘇大橋は心霊スポットとして非常に有名だった。橋の下には成仏できない無数の幽霊が浮遊しており、橋に近づいた人を崖下へ誘い込むともっぱらのうわさだった。

しかし平成28年(2016)の熊本地震で橋全体が崩落。稲川氏は崩落前のこの橋を「本来橋を作ってはならない聖域に橋を建てたので、峡谷が人柱(生贄いけにえ)を欲している」と分析したが、フェンスなどで対策が施され自殺者が減った結果、橋の存在を許せなくなった何者かの怒りを買ってしまったとでも言うのだろうか……

2. 実際に行ってみた

熊本地震により崩落した道路

阿蘇観光ホテルへ向かう途中で出くわした光景。先述の阿蘇大橋を崩落させた熊本地震の爪あとが、道中のいたるところに見られた。この道は通れそうもないので回するしかない。

木々の間から顔をのぞかせる阿蘇観光ホテルの赤い三角屋根

いくつかの崩落箇所を避け、ようやくホテルの赤い屋根が見えてきた。なお、稲川氏によればこういう赤い尖った屋根は(霊的に)あまり良くない、とのこと。

阿蘇観光ホテル前に走るアスファルトの亀裂

地震の爪あとは、ホテルの目の前にもくっきりと刻まれている。

阿蘇観光ホテルのエントランス前

ホテルのエントランス前までたどり着いた。屋根に書かれた「ASO KANKO HOTEL(阿蘇観光ホテル)」の後半が抜け落ちてしまっているのが、実に廃墟らしい雰囲気をかもし出している。

エントランスの壁に張り出された「危険」の警告

ホテルの入口の横には「危険」と書かれた張り紙があった。内容を読むと、熊本地震の際に南阿蘇村の職員がこの廃墟の状態を確認して設置していったもののようだ。周辺の地盤沈下や擁壁ようへきの破壊等が警告されている。

エントランスから見たロビー内の様子

入口からホテルのロビーを見渡す。

営業当時のロビー

反対側から見た、現役当時のロビーの様子。写真中央にはホテルの入口が、右手にはフロントが見える。

ゴミの散乱する暗いロビー

同じくロビー。現役時の写真ではイスが並んでいた場所にあたる。

ロビーの窓際に残された、骨組みだけになった椅子

写真のイスは、現役時の写真に写っていたものと同じイスだと思われるが、今では骨組だけになってしまっている。

阿蘇観光ホテルの本館レストラン

こちらは1階のレストラン跡。

営業当時の本館レストラン

ほぼ同じ角度から見た、現役当時の様子。

茶色い土で覆われた暗い廊下

客室が並ぶ廊下。

阿蘇観光ホテルの貴賓室

シャンデリアのある貴賓きひん室。シャンデリア付きのホテルの部屋だなんて、私は廃墟以外を含めても直に見たことがない。かの昭和天皇も、この部屋でお休みになられたに違いない。

貴賓室からの眺め

それにしても窓の外はまっ白けで何も見えない。心霊ホテル的には良い雰囲気を演出してくれているが、せっかく遠く九州まで来たのだから私としては絶景を期待していた。

青く澄み渡った空の下の阿蘇カルデラの様子

本来ならばあの窓からは、この写真のような阿蘇の雄大な景色が一望できたはずなのだ(写真はPhotoACより)。

貴賓室からホテルのエントランス方向を見た様子。エントランスの屋根には「ASO KANKO HOTEL」の文字が見える。

今はホテルの近くですらモヤだらけで、ご覧のありさまだが……

阿蘇観光ホテルの一般客室

一般の客室。現代の感覚からすると、やや狭く感じる。

阿蘇観光ホテルの2階大広間

2階大広間。赤い三角屋根の中に位置するためスペースを広く取れず、大広間と言うにはやや狭く暗く感じる。

大広間の黒板前

大広間の正面にはなぜか黒板がある。セミナー室のような使われ方をしていたのだろうか?

阿蘇観光ホテルの地下

ホテルの地下。くだんの心霊番組では、稲川氏は特にここに強く反応し、何度も吐きそうになっていた。このエリアには医務室や職員の控室があり、番組中ではこれらの部屋が重点的に検証されていた。

かくいう私も「この先には行きたくないなぁ」と思い、これ以上は足を踏み入れなかった。それはまだ稲川氏の心霊番組を見る前のことであったが、探索後に実際にその映像を見てみて「やっぱりな」という思いだった。

なのでこの先の写真は1枚もなく、ブログで紹介できないのが読者の皆さんに大変申し訳なく思う。しかし偶然にも今その稲川氏の番組が、AMAZONプライム会員なら無料で見られるので、興味のある会員の方はぜひこの機会にご覧になってはいかがだろうか(リンク → 稲川淳二 恐怖の現場 最終章(Amazon Prime Video)

阿蘇観光ホテルの屋上から見た湯の山温泉に立ち上る白煙

ホテルの屋上からは、もくもくと立ち昇る白い噴煙が見える。この辺りは昔から「湯の谷温泉」と呼ばれ、活火山である阿蘇山に湧く温泉としては最高所(標高820m)のものとして知られていた。

昭和天皇もご堪能された温泉だと思うと興味はあるが、阿蘇観光ホテルが潰れたのと同じく周辺の温泉旅館は次々となくなってしまい、令和4年(2022)現在は湯の谷温泉に温泉宿は一軒も残っていない。つまり今では「幻の温泉」となってしまったのだ。

噴煙を目の前にして悔しい思いだが、せめて同じ香りだけは楽しませてもらうとしよう。

【廃墟Data】

状態:熊本地震で一部被災

難易度:★★☆☆☆(低)

駐車場:廃墟前の旧駐車場を利用

所在地:

  • (住所)熊本県阿蘇郡南阿蘇村長野2514
  • (物件の場所の緯度経度)32°52'48.2"N 131°01'52.0"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】九州縦貫自動車道「熊本IC」より、国道57号線経由で約45分(31km)。