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魔女の館

1. 概要

魔女の館とは、広島県呉市にある保養所の廃墟である。1970年代に開発が始まった野呂山の別荘地に建っている。

この周辺は、かつては遊園地やサーキット場をようする、新興の観光地として期待されていた。しかし今ではその全てが廃墟と化し、「魔女の館」も心霊スポットになってしまった。

1-1. 魔女の館の歴史

魔女の館周辺の航空写真(1975年撮影) 魔女の館周辺の航空写真(1981年撮影)

(▲ 開発当初の野呂山別荘地と「魔女の館」の様子 - 国土地理院の航空写真(1975年撮影1981年撮影)を元にブログ筆者が作成)

「魔女の館」の竣工は昭和51年(1976)。野呂山の別荘地の建物でもかなり初期に造られた。このことは上の航空写真の変化からも見て取れる(この写真は境界線を左右に動かせる)。

この周辺は、高度経済成長期の終わり頃(1970年前後)に新たに観光地として大規模に開発された土地だった。別荘地に先行して遊園地やサーキット場が次々と造られた。

しかし昭和49年(1974)、オイルショックを契機に日本の景気は急速に後退。野呂山周辺の遊戯施設もすべて閉鎖に追い込まれた。そのため野呂山の別荘地は突然ハシゴを外された格好となってしまった。

令和4年(2022)現在では、この「魔女の館」が廃墟になったように、別荘地周辺にほとんど活気は感じられない。旧遊園地にはソーラーパネルが敷き詰められ、サーキット跡はアスファルトが割れて草が生え放題になっている。

魔女の館の建築当時の完成予想図

(▲ 魔女の館の建設当時の完成予想図。「耺」員とは職員の異体字である)

この建物はもともと某会社の保養所として造られたことが、現地に残された看板(上の写真)から分かる。当初の名前は「バカンスハウス」だったようだ。

また、建物の外壁には「DrachenBurg」と書かれた木の札が今も残っている。このことから、この魔女の館はドイツのドラッヘンブルク城をモデルにしたものと思われる。

魔女の館のモデルとなったドイツのドラッヘンブルク城

(▲ ドイツのドラッヘンブルク城。青い円錐形の屋根が魔女の館と確かに似ている - 写真はPixabayより)

DrachenBurgとはドイツ語で「竜の城」という意味である。この城があるドイツ西部の町ケーニッヒスヴィンターは、英雄ジークフリートがドラゴン退治をしたお話の舞台とされている。

ちなみに魔女の館は別名「呉のシンデレラ城」「城の別荘」などとも呼ばれている。しかし建物の目立つ場所に堂々と名札が下がっているにもかかわらず、どの呼び名にも「竜」が入っていないのは不思議である。

1-2. 魔女の館での心霊現象

魔女の館のロッキングチェアに座るブログ筆者

(▲ 2階のロッキングチェアと筆者)

魔女の館は廃墟化後、心霊スポットとなった。もともとこの野呂山には「首なしライダー」が出るとされ、広島ではよく知られた心霊スポットであった。

この廃墟でよく言われているのが「2階のロッキングチェアに座ると悪霊にとりかれる」という話だ。実際に筆者も座らせてもらったが、なかなかの座り心地であった。また「帰り道に必ず交通事故にあう」とも言われており、上述の首なしライダーとの関連がうわさされている。

他には「魔女(女の霊)が窓からこちらをのぞいてくる」という噂もある。この廃墟が竜ではなく魔女の名を冠している理由は、もしかしたらこれなのかもしれない。しかしこの種の怪談自体は有名な心霊スポットにはありがちな話である。

2. 実際に行ってみた

道路側から見た魔女の館

公道から見た魔女の館。植え込みの向こうに、例の青い円錐形の屋根が見えている。

押し潰されそうな威圧感のある魔女の館。コンクリートと鉄格子の城。

敷地の中へと入り、城の真正面まで来た。造りはもちろん本物には遠く及ばないものの、それなりに本格的だ。地方のテーマパークなどにありがちなチープさはあまり感じない。

扉が半開きになった魔女の館の正面出入口

うおぉぉぉ……なかなか雰囲気あるじゃないか。思わず身が震え、頭の中にはシャドウゲイト※1のBGMがこだまする。まるで本当にこれから悪い魔女でも倒しにいく勇者かのような気分だ。

(▲ 参考:シャドウゲイトのBGMと、バラエティー豊かな主人公の死にざま。クソゲー(バカゲー)にはありがちだが、BGMの評価は非常に高い)

1階の螺旋階段

扉から中へ入ると、すぐ目の前には魔女の館で有名な螺旋らせん階段があった。

ランプを模した照明

意匠が凝らされたアンティーク調の照明器具。古ぼけた黄色の光が螺旋階段を照らし出す様子は、それはそれは雰囲気抜群だったに違いない。

1階から見上げた魔女の館の螺旋階段

それでは、階段を上って2階へと行ってみよう。

魔女の館の2階のビリヤードルーム

2階はビリヤードバーになっていた。

ビリヤード台の隅に取り付けられた装飾

ビリヤード台も装飾が非常に凝っている。

昭和60年で止まった城のカレンダー

壁に掛けられたカレンダーは昭和60年(1985)で止まっていた。これが廃墟化した年なのだとしたら、この保養所は新築から10年足らずの間しか使われていなかったことになる。

おしゃれな壁紙と照明で飾り付けられた柱

柱の模様がおしゃれ。付属の照明もろうそくを模したもので、どれもこれも手が込んでいる。

魔女の館の2階の暖炉

ビリヤード台の奥にはレンガ造りの暖炉があった。ただし暖炉の中にはファンヒーターが置かれていて、雰囲気よりも実用性重視の仕様だ。

「ROBERT BROWN」と刻印されたアイスペールとカクテルグラス

暖炉の真横にはバーカウンターがある。ここでウイスキーやカクテルを傾けながら、ビリヤードに興じていたのだろう。もう洒落乙シャレオツすぎて筆者は目がつぶれそうだ!

ビリヤードのスコアボード

隣の部屋にはビリヤードの得点盤が残されていた。これは「四つ球」と呼ばれる古い遊び方で使われるものだ。使い方はそろばんと同じで、向かって左側の球がひとつ50点、右側が1点をそれぞれ表している。

このルールを採用している店はもはや日本ではほぼ絶滅したらしいので、この得点盤も見る人が見れば非常に時代を感じるはずだ。

魔女の館のロッキングチェア

この廃墟で螺旋階段と並んで有名なのが、このロッキングチェアだ。先述のとおり心霊的にも重要なアイテムとされていたが、現在ではバラバラに壊れてしまっているらしい。いったい何があったのか……

3階「青龍荘」入口前

2階から3階へ上ってきた。扉の上の板には右から「青龍荘」と書かれている。せめて名前だけでもDrachen(ドラゴン)要素を出そうという計らいだろうか。

3階客室

しかし中に入ってみて驚いた。ここに来ていきなり和風……? そりゃあ日本人としては和室の方がゆっくりできるけれど、せっかくここまで保ってきた建物のコンセプトが……。

飛騨高山の路地が描かれた版画風ののれん

のれんもしっかり純和風。

3階浴室内部

かと思いきや、その先のお風呂は完全なる洋風だ。建物のコンセプト的なものは、もはや完全に迷子である。

屋上階から見下ろした魔女の館の螺旋階段

3階から屋上まで上り、螺旋階段を見下ろす。やっぱりこの廃墟はこの階段が美しいな!

魔女の館の青い円錐形の屋根

屋上に出た。青いとんがり帽子の屋根は、表面の塗装がはげて下地のオレンジ色がむき出しになり(゚∀゚)みたくなってしまっている。

私はこのオレンジ色を下塗り剤だと思っていたが、航空写真の日付によると完成してから少なくとも5年間はこの色だったらしい。元ネタのドラッヘンブルク城の屋根が青色だったことに後で気がついて、あわてて塗り直したのだろうか?

丸テーブルと丸椅子の置かれた屋上テラス

屋上はテラスになっていて、椅子と丸テーブルのセットが置かれていた。やたらと自己主張の強い木目風の渦巻き模様が、怪しいオーラをビンビンに放っている。これ絶対、正しい並びに入れ替えたら次のエリアへの入口が開くやつだな(笑)

【廃墟Data】

状態:健在

難易度:★☆☆☆☆(最低)

駐車場:なし

所在地:

  • (住所)広島県呉市安浦町大字中畑509-81
  • (物件の場所の緯度経度)34°16'18.2"N 132°40'54.8"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】東広島呉自動車道「郷原出口」より、県道66号線経由で約25分(13km)。