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銃殺の家

概要

銃殺の家とは、岐阜県御嵩みたけ町にある一軒家の廃墟である。人死にが出たある事件の舞台となったことで有名で、心霊スポットとしては全国区の知名度を誇る。

1. 銃殺の家で起こった事件

1-1. 遺体で発見されたご主人

「血を流して倒れている男」のイメージ画像

平成6年(1994)1月29日午後10時頃、佳山一雄さん(55)が自宅前の駐車場で頭から血を流して倒れているのを、妻の久子さん(43)が発見した。妻は兄の梅村さんに電話、現場に駆けつけた兄が翌午前0時過ぎに119番通報した。

一雄さんは可児かに市内の病院に運ばれたものの、死亡が確認された。頭部には銃で撃たれた跡(弾丸は大脳内に残存)があったことから、岐阜県警は殺人事件として捜査本部を設置。その犯行手口から暴力団関係者が関与しているとみて捜査を始めた。※1

1-2. 他殺から一転、自殺へ

しかし捜査を進めていく中で、一雄さんが自宅の新築費用の支払いにきゅうしていた事実が明らかとなる。事実、バブル崩壊のあおりを受けて、不動産会社の社員であった一雄さんの収入は激減していた。本業では稼げず、知人に働き口の相談さえしていたという。

そして3月4日、捜査本部は一雄さんが借金を苦に拳銃で自殺をしたと断定。また、他殺に見せかけるため拳銃を隠した妻ら4人を、銃刀法違反と火薬取締法違反の容疑で逮捕した。※2

1-3. 保険金をだまし取ろうとした遺族

「札束」のイメージ画像

実は、妻ら遺族には一雄さんを他殺に見せかけたい動機があった。一雄さんは生命保険など4つの保険(死亡時保険金、計6670万円)に加入していたが、いずれも契約してから1年未満だったため、自殺だと保険金が支払われないのだ。

隠された拳銃はその後、供述どおり自宅の床下から発見された。そして逮捕された妻ら4人は起訴猶予となり釈放、本事件は幕引きとなった。※3

1-4. 妻のその後

事件から16年後の平成22年(2010)1月27日、名古屋市中村区の五味猛さん(61)から「刺された」と119番通報があった。五味さんは搬送先の病院で死亡。そして容疑者として浮上したのが、あの「銃殺の家」事件での妻、佳山久子さん(59)だった。

警察の調べに対し、久子さんは「殺す気もないし、覚えていない」などと容疑を否認。しかしその後逮捕された。※4

「銃殺の家」事件当時は「第三者による殺人に見せかけて夫を殺害し、保険金をだまし取ろうとした」可能性について、なぜか触れられることはなかった。しかし、少なくとも久子さんが人を殺して平気で嘘をつける人間だということは、図らずもこれで証明される形となった。

2. 銃殺の家での心霊現象

「叫ぶ男」のイメージ画像

以上のような背景がある廃墟なので、当然ここでは「死んだご主人の霊が出る」とうわさされている。事件の真相が自殺であれ他殺であれ、自分の死をいたむどころか良いように利用されたご主人の無念や恨みは、想像するに余りある。

霊感のない筆者には分かりかねるが、ネット上の体験談を読む限りでは2階の窓際での目撃例が多いようだ。

3. 実際に行ってみた

銃殺の家の遠景

田んぼが広がるのどかな田舎町のはずれに、例の「銃殺の家」はあった。遠目にもひと目でそれと分かる、この一角の異様さがすごい。

銃殺の家の周りだけ植生がまったく違う様子

もう少し近づいてアップで撮ってみた。この廃屋の周りだけなぜか植生が全く異なっており、非常に禍々まがまがしい雰囲気を放っている。

この周りの景色に溶け込まず明らかに浮いている点が「やはりここには何かあるんじゃないか」と人々に思わせる一因になっている。

銃殺の家の前の駐車場

道なりに進んでいくとまず出迎えてくれるのが、この駐車場跡だ。ここでご主人が頭部に銃弾を受けて亡くなり、それを奥さんが発見したわけだ。

しかし夏場はごらんの通り草が生い茂り、何が何だかよく分からなくなってしまっている。ここをよく観察したいのなら心霊シーズンの夏ではなく、春か秋のほうがいいだろう。

銃殺の家の門柱と階段

駐車場のすぐ右隣に、銃殺の家へと続く階段と門柱がある。一応金網で囲われてはいるが、すでに先駆者によって盛大に穴が開けられてガバガバになっている。有名な心霊スポットではありがちな光景だ。

銃殺の家のもうひとつの駐車スペースのようなもの

門柱を通り過ぎてすぐ右を見たところ。こちらにも駐車できるようなスペースがあるので、もしかしたらご主人が倒れていたのはこっちなのかもしれない。しかし草が生えすぎていて、これでは検証のしようがない。

いずれにせよ、これら家の前でご主人が拳銃により死亡していたのは、警察も確かめた事実である。

銃殺の家の1階小上がり和室

さて、いよいよ家の中へと入っていこう。階段を上りきってすぐの所にある扉や窓はこのようにウエルカム状態だったので、そこから中へとお邪魔した。

銃殺の家の1階ダイニングキッチン

もう少し奥まで入ってから、同じ部屋を見渡したところ。右奥にはキッチンが見え、左奥には入ってくるのに通った窓が見える。

それにしても広い……。左の一段高くなっている畳敷きの謎スペースなんか、もう本当に「金持ちの家!」って感じだ。

まぁ、ここのご主人はそのお金に困って死んじゃったわけだけども。バブルって怖い……

銃殺の家の風呂場

キッチンの奥は風呂場になっていた。こうやって風呂にでかい窓がついてる時点で、完全にお金持ち確定である。似たような茨城の廃墟「ホワイトハウス」の風呂場彷彿ほうふつとさせる。

銃殺の家の1階山側の和室

キッチンのある部屋から玄関を挟んで和室が2部屋。この物件、外からの見た目より中が全然広いので驚く。

銃殺の家の階段

これにて1階の探索は終了。いよいよ霊の目撃談が多い2階へと上っていこう。

銃殺の家の2階廊下

階段を上ってすぐのところ。扉何個あるんだよ!(写っていないが左側にも2つある)。本当にすごい金かかってるぞ、この家。

銃殺の家の2階山側の洋室

まず左側(山側)の方から。広い洋室が2部屋ある。しかし1階同様メチャクチャに荒らされていて、山側で暗く湿気もあるので不気味のひと言。

そしてふと足元を見ると……

2階に落ちていた宮沢りえの写真集「Santa Fe」の表紙

うおおおおお心臓飛び出るかと思った! マジおどかすなよ馬鹿! ついに俺にも霊が見えたかと思ったわ!!!(笑)

しかしこれがあのかつて一世を風靡ふうびしたという美女の、伝説の写真集か……。まさかうん十年後に廃墟で霊に見間違われるとか誰も思ってなかったろうな🤣 当時は小さい子供だったから良く分からなかったけど、なるほどこれがあの「宮沢りえ」ね……なかなかエロいじゃない😊

銃殺の家の子供部屋

さて、気を取り直して2階の他の部屋を見ていこう。この部屋は道路側の部屋のひとつだが、ここの窓際あたりで霊がよく目撃されているらしい。

出没するのは父親の霊とのことだが、現役時にこの部屋で過ごしていたのは、蔵書から見ておそらく高校生くらいの子供のようだ。また、2階にはこの他にもうひとつ部屋があり、この家は全部で6LDKだったようだ。

銃殺の家の2階ベランダ

ベランダに出た。

銃殺の家の2階バルコニー

ベランダを通って、そのまま道路側のバルコニーへ出た。バルコニーは日当たりが良いためか草がモジャモジャで、これ以上はとても進めない。

ここは先ほど見た高校生の部屋の外側にあたるので、この付近でも霊の出没が期待できるはずだ。しかし個人的に一番不気味に感じたのは、宮沢りえの写真集が落ちていた山側の部屋である。

それにしても、こんなに広いベランダやバルコニーがあるのも、茨城のホワイトハウスと共通で金持ち仲間っすなぁ。あの廃墟も霊が出るのは2階の窓際だったっけ。

銃殺の家に残されていたアルバム。1ページ目には「倉本組内 二代目 永井興業 若中」と書かれている。

さて、これで全部屋の探索を終えたし帰ろう……とした矢先、恐ろしいものを見つけてしまった。

目の前のアルバムにはこう書かれている──「倉本組内 二代目永井興業 若中 ○○嘉徳よしのりと。

「会長のマジェスタの前でポーズ」と書かれたアルバムのページ

やべえ! ここマジで893の物件だったのか! 震える手でページをめくるが、写真はすべてがされていた。しかしこのようにキャプションが書かれているので、どんな写真が貼られていたのかは分かる。ひぃー怖えぇ……😱

アルバムに書かれていた嘉徳さん(18)のプロフィール

とか思ってたら、このページを見てホッとした。なんだ、高校生が粋がってるだけか(笑)

「第六期生広陵極西連合 総会長 さいだ選手」と書かれたアルバムのページ

アルバムを見るに暴走族のようなことをやっていた様なので、あの肩書きもそのノリで書いたものだろう。

アルバムに描かれた般若の絵

うぉ、うめぇw でもこれだと「はんにや」だな(笑)

九州大分県出身のせいこちゃん(19)の写真を収めていたと思われるアルバムのページ

カワイ子ちゃんの彼女もいたらしい。男子校で暗~い青春を送った自分としては、血管がぶち切れるほどうらやましい。

「みんな道をそれるな!直進さえしていればとりあえず普通の人」と書かれたアルバムのページ

だがその恋も叶わなかったようだ。正直親としては、娘の交際相手がバリバリのヤンキーでは反対したくもなるだろう。残念だったな……

4. おわりに

「ヤクザ」のイメージ画像

──さて、アルバム冒頭にあった「倉本組 永井興業」だが、実はあれはデタラメな架空の団体ではない。指定暴力団「山口組」傘下の組織であり、しかも上下関係も合っている。

かつてこの廃墟にはヤクザ関係者しか持ち得ない構成員の名簿や、組員に宛てた手紙などが残っていたらしい。筆者の探索時はほとんど時間がなくそれらを見つけられなかったが、そもそもご主人の死に「拳銃」が登場する時点でこの家が普通でないことは明白である。

また、ご主人の「佳山一雄」という名は、実は本名ではない。これはいわゆる「通名」というやつで、本名を崔泰植(チェ・テシク / 최태식)という。つまり彼は在日韓国人であった(奥さんの久子さんも同様)。

差別問題になりかねないセンシティブな話題ではあるが、彼らの一部が日本のヤクザ社会と強い繋がりがあったこと(ありていに言えばヤクザそのものであったこと)は、広く知られた事実である。

この家の息子さんは恋愛の挫折から「普通であること」を望んだようだが、察するになかなか複雑な家庭環境だったようで、もともとそれが難しい状況にあったのかもしれない。それは本人の資質とは全く関わりのないことなので、気の毒な話である。

【廃墟Data】

状態:健在

難易度:★★★☆☆(普通)

駐車場:なし

所在地:

  • (住所)岐阜県可児郡御嵩町伏見1807 付近
  • (物件の場所の緯度経度)35°26'33.7"N 137°05'22.9"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】東海環状自動車道「可児御嵩IC」より、国道21号線→県道341号線経由で約6分(2.5km)。
    【公共交通機関】名古屋鉄道広見線「明智駅」より徒歩約15分(1.3km)。徒歩7分の距離まで駅からバスも出ている(YAOバス「東実東駅」下車)。しかし頻度は1時間に1~2本程度なので、下手にバスを待つより駅から直接歩いて行ってしまった方が早いだろう。帰路も同様。