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朝鮮トンネル

1. 概要

朝鮮トンネルとは、岐阜県八百津やおつ町にある心霊スポット。国道418号線の通行止めで使われなくなった廃トンネルであり、正式名称を「二股トンネル」という。

それが一体なぜこんな名前で呼ばれているのだろうか? それは、このトンネルには昔から次のようなうわさがあるからだ。「建設のために強制連行してきた朝鮮人徴用工が、人柱ひとばしらとして壁の中に埋められている」と──

1-1. 朝鮮トンネルの歴史

丸山ダム

(▲ 朝鮮トンネルが造られる原因となった丸山ダム - 写真はPhotoACより)

木曽川を筆頭とする木曽三川さんせんは、古来より氾濫を繰り返し、そのたびに地形が変わる暴れ川であった。その治水および発電を目的として、木曽川の上流に丸山ダムの建設が始まったのは、太平洋戦争の最中のことである。

そして、そのダムの完成によって水没する道の代わりとして新たに造られたのが、朝鮮トンネルを含む今の木曽川沿いの道路だった。当初ここにトンネルはなかったが、この部分の道が狭隘きょうあいで崩落も起こったため、新たにトンネルを掘って迂回したものと考えられる。

トンネルの出口から川沿いの方向には、今もかつての旧道の跡が残っている。

朝鮮トンネル(二股トンネル)と旧道との分岐(西側)

(▲ 朝鮮トンネルの坑口(左)と脇へ伸びる旧道(右))

朝鮮トンネル(二股トンネル)の竣工は、昭和31年(1956)5月のことだ。開通当時は県道扱いで、道も舗装されていなかった。

そこへ高度経済成長の波が押し寄せて、この道を有料観光道路として整備する計画がたち上がる。そしてまず手始めに、道が県道から国道へと昇格された。

しかし、昭和58年(1983)の豪雨災害を受けてさらに大型の新丸山ダムの建設が決まったため、道路の整備計画は頓挫。後には極狭で舗装もされず穴ぼこだらけの、今の国道だけが残された※1

新丸山ダムは目下建設中であり、それが完成する令和11年(2029)以降、この道は朝鮮トンネルごとダムの底に水没する予定である。

1-2. 朝鮮トンネルにまつわる怪談

「強制労働」のイメージ画像

さて、このトンネルには記事冒頭で触れたように恐ろしい噂が昔からある。いわ「強制労働の朝鮮人に手掘りさせた」だの「工事で死んだ朝鮮人を隠蔽いんぺいするために壁に埋めた」だのといった話だ。

そして、丸山ダムの関連工事に朝鮮人労働者が従事したこと(そしておそらくは強制連行であったこと)自体は事実のようである※2。さすがに火のないところに煙は立たぬ、といったところか。

しかし死んだ朝鮮人を壁に埋めたなどという証拠は残っておらず、おそらく有名な常紋トンネルの話※3や下流にある兼山ダムの話※4などが混同されて飛び火しただけなのでは、というのが筆者の予想だ。

2. 実際に行ってみた

朝鮮トンネル(二股トンネル)の外観

国道とは名ばかりのぬかるむ砂利道をひたすら進み、ようやくトンネルの目の前までたどり着いた。通行止めの廃トンネルと言うからもっと荒れているのを想像していたが、トンネルの周りは意外と綺麗である。

──それがまた逆に不気味なのだが。

「二股隧道」と書かれた扁額

トンネルの上には「二股隧道ずいどう」と書かれたプレートが埋め込まれている。

この本名の「二股ふたまた」という名前の由来も、あだ名の「朝鮮」に負けず劣らず様々な憶測が流れている※5が、どうやらダムに沈む前の木曽川がここで二股に分かれていたから(つまり今はもう残っていない古い地名が由来)というのが真相※6のようだ。

霧で覆われるトンネル内

さて、それではさっそく中へお邪魔しよう……とした矢先にこれである。まるで私の侵入を拒むかのように、突然深い霧がトンネルの奥の方から続々と湧き出してきた。

霊感の強い人ならこの時点で黙って帰るのだろうが、こんな山奥のダム水没予定地くんだりまで来てタダで帰るわけにはいかないので、私はこのまま突き進んでいった。

「たすけて」と赤い文字で書かれたトンネル内の壁

ヒェッ……いきなり心折りに来るなし(笑) それにしても何だよこの壁、なんかここだけ白くない? まさかここに朝鮮人埋めたんか……?

そして、ふと上の方を見ると……

朝鮮トンネルの壁に浮かび上がる人型のシミ

人型のシミ!😱 しかもそこからはダラダラと謎の白い液体が……。このトンネルには「天井から血がしたたり落ちてくる」なんてうわさがあるが、まさかこれの事では……(※赤線部分は筆者が書き加えたもの)

マス目が書かれたトンネル内の壁の裂け目

ここの壁にも怪しい跡が。なんかだんだん全てが怪しく見えてきたな(笑)

「七代目愛神會」と書かれた落書き

おっ、心霊トンネルといえばゾクですよね! ここには「七代目愛神かい」というグループが平成26年(2014)6月30日に来たようだ。

特攻服を着て三段シートのバイクにまたがる七代目愛神會のメンバー

(▲ 七代目愛神會のメンバー - 現役、元暴走族RT隊より引用)

その愛神會の7代目を写した写真が、いくつかネット上に残っていた。ナンバープレートをカチ上げた三段シートのバイクとか、今日びなかなか見ないっすよ。このバイクでトンネルまで来たのかな?

カメラに向かってポーズをする愛神會と白龍會のメンバー

(▲ 愛神會(左)と白龍會(右)のメンバー - 現役、元暴走族RT隊より引用。※プライバシー保護のため画像の一部をモザイク修正済)

それにしてもこの愛神會、他の暴走族と比べて気合いが入っているというか、単純に喧嘩が強そうなのが多い。彼らなら壁から朝鮮人の死体が出てきてもビビらなそうだ。

劣化した菊の御紋の落書き

愛神會の前にもここへ来ていたグループはあったようだが、湿気で保存状態が悪くもはや読み取り困難である。

濃い霧で覆われるトンネル中央部

うおおおお霧がやばい! こんなん車で通ったら確実に事故るやんけ(笑)

そして長かったトンネルにもようやく終わりが見えてきた。今まで先が全然見えないと思ったら、途中でカーブしていたからだったのか。おかげでずいぶんと肝が冷えた(先が見えるのと見えないのとでは怖さがだいぶ違う)。

朝鮮トンネル(二股トンネル)東側坑口

ついにトンネルの終端までたどり着いた。こちら側の坑口は、ダムの完成を待たずになぜか水没している。水面に反射する美しい緑が暗闇に慣れた目にまぶしい。

朝鮮トンネルから見える丸山ダムの湖面

トンネルを抜けると、すぐ目の前にはダムの湖面が広がっていた。新しいダムが完成するとこの水面がさらに上がり、今まで見てきたトンネルはおろか旧ダムごと水没することになる。

3. 真・朝鮮トンネル

朝鮮トンネル(二股トンネル)と旧道との分岐(東側)

(▲ 朝鮮トンネルを通り抜けて、振り返って見たところ)

さて、これで朝鮮トンネルは完全に攻略したわけだが、実はここにはもう一つトンネルがある。

それが写真左の旧道方向に行くとあるトンネルで、一説には朝鮮人を埋めたのはこちらだと言われる。なのでこのトンネルを「真朝鮮トンネル」などと呼ぶ人もいる。さっそく行ってみよう。

真朝鮮トンネルの坑口

旧道に入ってすぐ山側に坑口が見えた。これが真朝鮮トンネルの入口である。


(▲ この写真は自由にグリグリ動かせます)

内部はこのようになっている。先ほどのトンネルとは違い、こちらはかがまなければ進めないほど狭い。

そして写真では伝わらないのだが、ものすごい冷気だ! 真夏なので外は30度を超えているが、ここは半袖では長くいられないと感じるほど寒い。

このトンネルの正体についても様々な憶測が流れているが、「二股トンネルの試掘坑(地質調査用のトンネル)ではないか」とする説を筆者も推したい。

真朝鮮トンネルの壁

壁は素掘りの岩盤むき出しだ。「朝鮮人を埋めたのはこっち」と言われても、いったいここにどう埋めるのかちょっと想像できない。

真朝鮮トンネルの内部

トンネルはさらに奥まで続いている。左下のオレンジ色は鉱物ではなく、昔ここに住んでいた人の装備のなれ果てらしい。実は先ほどの360度写真をよく見てみると、ペットボトルやビニール袋なども落ちているのが分かる。

……というかここに「住んでた」って? こんな人里離れた山奥の心霊スポットに? むしろそっちの話の方が怖いまであるんだが?(笑)

詳細が気になるが、多少調べた程度では判明しそうもなかった。事情をご存知の方がいらっしゃれば、ぜひコメントをいただきたい。

真朝鮮トンネルの最奥部

トンネルは入口から30メートルも行かない間に終わってしまった。本来はこの先にもまだトンネルが続いていたようだが、ここから先には行けないように土砂で埋められてしまっている。

そして尋常でない冷気はここが最も強く、先ほどから震えが止まらない。トンネルの壁の中ではなく、この土砂の下に朝鮮人を埋めたというのなら信じてしまいそうだ。

4. おわりに

今回の探索は以上である。突然襲ってくる濃い霧に強烈な冷気と、有名スポットの名に恥じないなかなかの心霊体験(物理)が私にもできて、もう大満足である。

先述のとおり、残念ながらここは将来的にダムの底に沈む事が決まっている。心霊マニアや廃墟マニアのみならず、酷道マニアもぜひその前に訪れておきたい物件である。

5. 探索者に向けての補足

朝鮮トンネルのことについて調べても、周辺の道の状況について触れているサイトが出てこない。これに私自身が困ったので、簡単にではあるが以下に触れておく。

(※後で知ったが、廃墟・心霊系ではなく酷道系で調べると情報が出てくる)

5-1. 現道との分岐について

湯谷橋(国道418号線)

写真の赤い橋(湯谷橋)が分岐点の目印だ。橋を右方向に出て左折すると県道353号線に接続し、右折すると朝鮮トンネルへと続く国道418号線の不通区間となる。

国道418号線の不通区間の起点

不通区間の起点には写真のような案内が出ている。この先は、行こう思えば朝鮮トンネルまで車で行くことはできる。トンネルまでの道は特にゲート等で封鎖されているわけでもなく、ポールすらもない。

しかしそれは道路法第103条第1項第3号に抵触する恐れがある。筆者はここから徒歩で片道40分かけて往復した。

5-2. 駐車場所と道の状態について

重機で工事中の朝鮮トンネル手前の広場

駐車には下流側のトンネル手前に広めのスペース(上の写真)があるほか、トンネル手前から横に伸びる旧道そのものを駐車スペースとして利用できそうだ。しかし地面の状態によっては、ぬかるみにタイヤを取られて脱出できなくなるかもしれない。

また、道は最初は舗装されているものの、途中からダートになり、トンネル前はごらんの通りの泥道だ。したがって、ヤン車など車高の低い車はそもそもここまで無事にたどり着けない可能性が高い。もし違反上等でここまで車で突破することを考えているなら、車選びは慎重にしよう。

5-3. 朝鮮トンネルの先について

朝鮮トンネル(二股トンネル)からさらに山奥へと続く道

(▲ 朝鮮トンネルからさらに山奥へと伸びる道路)

ここまでの道も十分にひどいのだが、実は道418号線においてこんなのは序盤も序盤で、まだまだ本領を発揮していない。この先には車も通れない「廃道区間」が存在し、さすがにその入口はゲートで封鎖されている。

その廃道区間の様子については以下のサイトが詳しい。

【岐阜県】【廃道】閉ざされた酷道418号線、深沢峡廃道区間③ - 秘境捕獲物語

6. 朝鮮トンネルの真相

「内緒話」のイメージ画像

──と、ここまで散々語っておいて何だが、実のところ朝鮮トンネルそのものに強制労働の朝鮮人が関わった可能性はまずない。興ざめなので今まで黙っていたが、歴史認識をゆがめさせてもアレなので、最後にこっそりここに書いておく。

確かに丸山ダムの建設が始まったのは戦時中のことであり、そこで朝鮮人が強制労働させられていた可能性は高い。もしうわさが「朝鮮人が殺されてダムの下に埋められた」だったなら、それは決して否定できないだろう。

しかし、彼らが関わったのはダム本体の基礎工事に限った話である。それも戦局の悪化により遅れに遅れ、朝鮮トンネルを含む道路に着工できたのは、ようやく戦後になってからのことだ。

戦中ならともかく、戦後の土木工事で朝鮮人を強制労働させるなどGHQが黙っているはずがない。事実GHQの監視は厳しく、丸山ダムの運営主体だった会社は独占資本とみなされて、工事中にもかかわらず強制的に分割・民営化されている。※7

結局のところ、タコ部屋労働に代表される強制労働の問題や大企業による富の独占の問題を、日本人は自らの手で解決することはできなかった※8。「外圧によってのみ変わる」というのは、幕末からの日本の伝統なのだ。

【廃墟Data】

状態:健在 ※2029年に水没予定

難易度:★★★☆☆(普通)

駐車場:なし

所在地:

  • (住所)岐阜県加茂郡八百津町南戸
  • (物件の場所の緯度経度)35°28'16.9"N 137°13'12.0"E
  • (アクセス・行き方)
    東海環状自動車道「可児御嵩かにみたけIC」より約30分(17km)で、国道418号線の通行止め区間手前まで。そこからトンネルまでは徒歩約45分(3km)。