概要
長野朝鮮初中級学校旧校舎とは、長野県松本市にかつてあった朝鮮学校の廃墟である。平成10年(1998)にここから3kmほどの場所に新校舎が完成し、その時点ではまだ旧校舎の一部が使われていたが、その後次第に廃墟化した。しかしそれも平成25年(2013)に解体され、跡地は現在住宅地になっている。
この廃墟はハングルの巨大な赤い垂れ幕がある舞台(記事冒頭の写真)で有名であり、朝鮮学校の廃墟としては最もよく知られた物件だった。ちなみにこれを訳すと「栄光の祖国 朝鮮民主主義人民共和国 万歳!」となり、独裁国家にはありがちなコテコテの思想教育が行なわれていた様子が窺える。
このように朝鮮学校とは、日本と敵対関係にある北朝鮮の礼賛教育を行なっている機関である。そして現在、その事に起因した様々な問題の渦中にある。
例えば、そのような学校に日本の税金から補助を出すのはおかしいとする意見や、反対に他の外国人学校には補助を出しているのに朝鮮学校にだけ補助をしないのは差別だとする意見。そして日本人の拉致や麻薬の密輸で関係者に指名手配犯が複数出るなど対日犯罪の温床となっている事実※1や、それを理由とした無実の生徒への差別や偏見の問題などである。
解体前の探索記録

ありし日の長野朝鮮学校の旧校舎。前回紹介した岐阜県の東濃朝鮮学校とは違い、見た目は日本の学校のそれとまったく同じだ。あの学校のように妙にデザインに凝ったような箇所は見受けられない。

教室の椅子にはハングルで書かれた名前のシールが貼ってあった。筆者も小学校低学年の頃は私物にやたらと名前をベタベタ貼らされていた記憶があるが、椅子にこんな事をした記憶はない。長野ではこれが普通なんだろうか。

教科書やプリント類ももちろんハングル一色。この当時は朝鮮語なんて分かるわけないと思ってロクに写真を撮らなかったが、時代が変わり今は優秀な翻訳ソフトがいくつもあるので、本当に惜しいことをした。この教科書も一体どんな内容が書かれていたのだろうか……。

それにしても建物の造りが本当に日本の学校そっくりだ。この手洗い場なんて、筆者の通っていた中学校が思いっきりフラッシュバックする。
普通に考えれば、現地(日本)の既成品と全く同じに造った方がコストもメンテナンス性も優れているはずで、なぜかそれに全力で抵抗していた東濃朝鮮学校の方が変わっていたのだと思う。

中には生徒の名前がすらりと並ぶ。それにしても朝鮮人のフルネームは、みな判で押したように「○ △△」だな……二文字以上の苗字を私は見たことがない。
リズムが良いので覚えやすいのはいいが、それがこうしてバーッと一覧で並ぶと、まるでSF作品によくある超高度な管理社会(ディストピア)を見ているようでちょっと怖い。

校舎内の廊下の一角には「鄭光徹君 金知美嬢 結婚」と書かれた看板が放置されていた。わざわざ母校で卒業生の結婚祝いでもしたのだろうか。それとも究極までコストダウンしようとして、出身校を借りて式を? 謎すぎる……

教室の黒板はさぞハングルだらけなんだろうなぁ……と期待していたが、少なくとも私の探索時はほとんどハングルの落書きはなかった。
かろうじてあった写真中央左のこれも「?」とあるので、恐らく朝鮮語を解さない日本人が黒板の上のポスターの文字を真似して書いたものだろう。
この지덕체(地徳体)とは知育・徳育・体育の3つを指し、「頭脳も精神も肉体もバランスよく育てましょうね」という、一種の教育標語である。これに를(~を)が続くので、本来はこの後にも何か文章があったはずだ。経年劣化でポスターがはがれてしまったのだろう。

ふと窓から外を見ると、かまぼこ型をした講堂の天井が見事にひしゃげているのが見えた。ここは体育館ではなかったらしいが、筆者の探索時点では内部が完全に燃えカスになっていて判然としなかった。その火事で支柱が弱くなったところに、大雪が来て天井がへこんでしまったのだろう。
だが今日はその雪がほとんどない。少し前に晴天が続いた時があったので、その時に溶けてしまったのだと思う。

天井のこれには本気で笑った。もう穴という穴から雪解け水がしたたり落ちてきて、無数のつららになっているのだ。
そこら中がガチガチの氷なことからも分かる通り、今日の気温はアホほど低い(今も氷点下)。そもそもこの廃墟に来たのだって、もともと行こうとしていた廃墟への道が氷漬けで進めなかったからだ。

おかげさまで今日の私の格好は、完全に言い訳のできない在日武装ゲリラそのものである。警察に見つかれば、まず免許証ではなくパスポートと在留カードを要求されるだろう。チンタラ探索している暇など、今の私にはある意味無いのだ。

別の部屋。先ほどの部屋はベッドの二段目がなかったが、まったく同じベッドなので元々はこのように二段ベッドだったのだろう。
大人が使うにはやや狭いが、小~中学生くらいまでなら何とかなりそうなこの感じ。まさに小中学校の学生寮といった面持ちだ。

うぉっ、これはまた幼い……こんなのは予想外だった。どう見ても幼稚園生向けの装飾だが、ここは日本の小中学校にあたる施設なので、小学校1~2年生向けといったところか。
そんなに小さな子供たちを寮に預けていたとは考えにくいが、もしかしたらそれも完璧な教育のためには必要不可欠だったのかもしれない。無垢でまっさらな状態の脳ほど都合は良いからな……

そしてそのためだろう、学生寮には併設して小さな講堂があり、そこには北朝鮮の国旗と新年を祝うメッセージカードが残されていた。カードには朝鮮語で次のようなことが書かれている。
『喜びの新年、主体88年を迎えました。長野初中級学校の仲間たちが、祖国の少年団員へと健やかに成長することを願い、新年の挨拶と致します。──主体88年1月1日 シム・ヒョンジュ』
「主体」とは聞き慣れない年号だが、これは北朝鮮の最高指導者であった故金日成氏の誕生年を元年とした暦(主体暦)のことである。主体88年は平成で言うと11年、西暦では1999年にあたる。

ラベルのクオリティがいかにも北朝鮮という感じで好感が持てる。
この白頭山は朝鮮民族発祥の地として朝鮮人に神聖視されている。かの金正日元総書記がお生まれになった聖地としても崇められ、氏を称える敬称にも用いられる(以下の画像を参照)。

向かって右側の垂れ幕は記事冒頭ですでに紹介してあるので、ここでは反対の左側から。こちらには「偉大なる首領 金日成大元帥 万歳!」と書かれている。
また、舞台の緞帳は朝銀長野信用組合から寄贈されたもののようだ。「朝銀」とは在日朝鮮人のために設立された金融機関であり、バブル崩壊後は全国で次々と破綻した。この長野県の朝銀も平成11年(1999)に破綻しており、現存しない。
つまり今見えているこれらの舞台は、少なくとも金日成の死により北朝鮮の最高指導者が交代する平成6年(1994)よりも前で時が止まっているということだ。時期的に氏の死亡時にはすでに新校舎の建設は決まっていたはずであり、すぐに使われなくなるからという理由で金正日万歳に書き換えなかったのだろう。
【廃墟Data】
状態:解体済
難易度:―
所在地:
- (住所)長野県松本市蟻ケ崎
- (物件の場所の緯度経度)36°15'05.5"N 137°57'43.3"E
- (アクセス・行き方)
【自家用車】長野自動車道「松本IC」より、国道158号線経由で約15分(6km)。