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湯原観光劇場

1. 概要

湯原観光劇場とは、岡山県真庭まにわ市の湯原ゆばら温泉にあるストリップ劇場の廃墟である。茨城県の明野劇場が解体された今、国内に唯一残るストリップ劇場の廃墟として大変貴重な存在である。

「ストリップ」とは、舞台の上で音楽に合わせて女性が少しずつ服を脱いでいくという大人向けのショーのことだ。高度経済成長期(~1973)の頃までは、ストリップ劇場は温泉街とセットと言えるほど当たり前のものだったらしい。

しかし時代が下るごとに、そういった性的産業への風当たりは強まっていった。風営法は何度も改正され、全国の自治体でも青少年健全育成条例などの制定が加速。その結果ストリップ劇場は「有害施設」と見なされるようになり、徐々にその数を減らしていった。

そして令和3年(2021)5月に広島第一劇場が閉鎖したことにより、ストリップ劇場は岡山県はおろか中国地方から完全に姿を消した。最盛期には全国に400館以上あったとされるストリップ劇場も、今やたった18館※1と風前のともしびである。

2. 実際に行ってみた

湯原観光劇場の外観

温泉街のはずれの坂道を上っていくと、紅白のストライプカラーをした異様な風体の建物が目に飛び込んできた。

紅白のストライプになっている湯原観光劇場の外壁

間違いない、この楳図うめずかずお※2みたいな建物が目指していた廃墟である。

ちなみにその楳図氏の赤白ストライプの自宅※3は「景観を損なう」として地域住民に裁判まで起こされていた※4が、この湯原観光劇場は何ともなかったんだろうか? それともこういうのが許されていた時代だったんだろうか……。

湯原観光劇場の宣伝ポスター

営業当時のポスターが落ちていた。こんな綺麗なオネーちゃんに「夢体験しよ」なんて誘われちゃあ仕方がないな! さっそく行ってみよう。

湯原観光劇場の外階段を登りきった所

外階段を上っていくと、劇場の入口が見えてきた。

「湯原観光劇場」と書かれた赤ちょうちん

天井には「湯原観光劇場」と書かれた真っ赤な提灯が躍っている。

湯原観光劇場の出入口

入口の目の前までやってきた。入場料は3000円とあるが、店によってはこの他にさまざまな有料のオプションサービスがあったとか(後述)。

「十八歳未満の方入場固く御断りします」と書かれた看板

18歳以上なので入場させて頂きます……!

湯原観光劇場のエントランスホール

入口から入ってすぐの所。天井には色とりどりの装飾やシャンデリアが吊り下げられ、壁には神棚や大黒様が鎮座している。

この華やかさのみを追求した雑多な感じが、何ともいえないB級スポット感をかもし出していて実に良い。

大劇場へと続く入口

すぐ左手にはストリップ部屋への入口があった。もう我慢できん、行こう。

湯原観光劇場の大劇場

扉を抜けると念願のストリップの舞台が見えた。この赤やピンクで彩られた派手派手な舞台──いつかこの目で見たいと、ずっと思っていた。


(▲ この写真はグリグリ自由に動かせます)

360度カメラで踊り子さんの目線を再現してみた。ぜひ皆さんも写真をグリグリと動かしてみてほしい。この衆人環視のもと裸になって踊るのだと思うと、筆者は手に嫌な汗が滲んでくる。

踊り子の写真が使われた湯原観光劇場の宣伝ポスター

(▲ モザイクは画像をタップして開くと消えます)

当時の踊り子さんだろうか? こんなカワイ子ちゃんの裸が見られるのなら3000円は安いだろうが、興奮するだけさせられた客はその後どうするんだろう……と筆者はずっと疑問に思っていた。

その後、実際にストリッパーをしていた方にお話を伺う機会があった。筆者は踊り子にはタッチ厳禁なものとばかり思っていたが、じゃんけんで勝った客が舞台上で踊り子と本番をする「まな板ショー」なるものがあったらしい。

なるほど、それならそのワンチャンに賭けるお客さんの気持ちは分からんでもない。しかしそれは当然みんなが見ている目の前でのことだ。男はとにかくアレが戦闘形態にならないことには始まらないので、客側にもメンタル面でかなりの才能が要求されただろう。

湯原観光劇場の社長によって書かれた舞台注意事項

舞台裏には、ストリップ場のオーナーからの注意事項が掲げられていた。酒の入ったマナーの悪い客が多く不快であるとわざわざ書かれるほど客層が終わってたのかと思うと、当時のストリッパーたちの苦労がしのばれる。

また「オープン時はいつも笑顔でニコニコと、プロの自覚を大切にすること」とあるが、その真なる意味に読者の皆さまは気が付かれただろうか。実はこの「オープン」とは店のオープンではなく股間のオープンのことであり、これに気が付いたときは筆者も変な声が出てしまった。

そして左端には「土曜日パチンコあり(2回)」とあり、こちらはすぐに業界用語だと分かる。この「パチンコ」とは、各ステージの最後に行なわれる舞台挨拶のようなものだ。司会の紹介と共に踊り子たち全員が舞台に出てきて、その後は各自お客さんの目の前で「オープン」して回ったらしい。劇場内がまるでチューリップ(開閉する役物)が複数あるパチンコ台のようになることから、そう呼ばれるようになったとか。

BGM用と思われる音楽テープの束

上演中のBGM用と思われる音楽テープがギッシリと棚に並べられている。曲名は「人生劇場」「男のブルース」「女のためいき」などとあり、筆者は聞いたことがないがいわゆる往年の演歌の名曲らしい。ストリップ劇場では定番の曲だったりするんだろうか。

湯原観光劇場の小劇場

先ほどの劇場とは別に、もうひとつ小さな劇場があった。

小劇場の舞台上からの眺め

舞台上からの眺め。部屋が狭い分、お客さんとの距離がものすごく近く感じる。

こういう狭いハコほど異様な熱気に包まれて盛り上がるのは、筆者も演劇や格闘技で経験済みだ。ここでは向こうの大きな劇場とは、またひと味違う熱狂があったに違いない。

湯原観光劇場の踊り子の控室

踊り子の控え室。舞台のある表側に比べてかなり狭苦しく、部屋にはかろうじてベッドが一台置かれている程度だ。ちなみに踊り子の生活部屋と思われる部屋はまた別に何部屋かある。

ストリップの全盛期で競争が激しかった時代には、こうした別室で本番を行なっていたり、踊り子が客席に降りてお客さんに直接ご奉仕して回ったりしていたらしい。

しかし具体的なサービスの内容や追加料金の有無は店によって様々であり、この湯原観光劇場が実際の所どうだったかは分からない。

オーナー家族の生活スペース

オーナー家族の生活スペースと思われる場所も別にあった。

男の子向けのおもちゃ

お、これは男の子がいたな?

女性が赤ん坊にキスしている写真

床に落ちていたこの写真の子だろうか……

韓国政府発行の身分証明書と思われる書類

ハングルで書かれた謎の書類。おそらく韓国の役所が発行した戸籍や身分の証明書のたぐいだと思う。

しかしなぜこんなものが……? オーナー家族が韓国系だったのか、それともここの従業員に韓国人がいたのか。

各種町税の催告書

これは滞納した税金の支払いを催促する通知だ。いい加減にせんと差し押さえるが? という脅し付き。昭和58年(1983)の時点ですでに経営は火の車だったようだ。

自由民主党参議院議員加藤紀文氏からのお悔やみの手紙

自民党議員からの弔電ちょうでんだと……? 他にも町長や経産省大臣など錚々そうそうたるメンバーから届いている。これはおそらくオーナー家族のご主人が亡くなった時の物のようだが、いったい何者だったんだ……?

ご主人の死は平成8年(1996)頃。その後お墓を造る金にさえ事欠いて、新たに借り入れを行なった記録が残っている。葬式の香典は借金の返済に充ててしまったのだろうか。

そして筆者が確認できた最後の記録は平成10年(1998)のもの。現地の状況から見て、この頃を境にいよいよ借金で首が回らなくなり夜逃げしたものと思われる。

「ありがとうございました」と書かれた湯原観光劇場の出口

「昭和」という時代に取り残されたピンク色の熱狂──こんな廃墟はその辺に転がってるものじゃないので、今回見ることができて本当によかった。かつては踊り子が男たちを魅了した場所だが、これからはこの場所そのものが廃墟マニアたちを魅了し続けていくことだろう。

3. 読者の皆様へ(2023年)

2023年卯年

あけましておめでとうございます🎍🗻🎍 昨年は多数のご訪問やコメントを頂き、誠にありがとうございました。本年も面白い記事を書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします😄

【廃墟Data】

状態:健在

難易度:★★☆☆☆(低)

駐車場:真庭市営 湯原温泉駐車場を利用(→地図

所在地:

  • (住所)岡山県真庭市湯原温泉437
  • (物件の場所の緯度経度)35°12'12.5"N 133°44'09.5"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】米子自動車道「湯原IC」より、国道313号線経由で約6分(5.0km)。