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森の廃洋館

1. 概要

森の廃洋館とは、和歌山県和歌山市にある別荘の廃墟である。正式名称を旧由良山荘と言い、本州化学工業の創立者である由良浅次郎(ゆらあさじろう)氏が所有した。

明治43年(1910)に建てられた本物件は、その後2度の世界大戦へと突き進む日本の激動期を駆け抜けた。由良氏の子孫の一人は「ここで真珠湾攻撃の密議がなされたと聞く」とも語っている※1

その後、平成の中期(2005年頃)までは使われていたようだが、この時期を境に次第に廃墟化した。そして時が令和となった今でも、ぜいを尽くしたかつての豪邸が秋葉山の山中にひっそりと眠っている。

2. 由良浅次郎氏について

由良浅次郎の肖像

(▲ 由良浅次郎氏 - ワイ・エス・ケー株式会社沿革 より引用)

明治11年(1878)生まれ。紀州徳川藩の御用商人(染物屋)であった由良家の三男として誕生。今の大阪大学を卒業後、兄弟5人と共に染料会社を起こし、家業を継いだ。

大正3年(1914)になると、第一次世界大戦が勃発。敵国となったドイツ帝国からの染料の輸入が途絶えた。この当時、安価な合成染料はドイツが世界シェアの9割を占めていた。そのため原料のすべてを輸入に頼っていた当時の日本の染料業界は、存続の危機に立たされた。

この難局に立ち向かったのが、由良浅次郎氏である。彼は当時ドイツだけが製造技術を持っていた工業レベルの純ベンゼンの精製に、国内で初めて成功。これを原料として、ついには合成染料の主原料であるアニリンの工業化へとこぎ着けた。これは当時の日本では不可能と言われていた偉業であった。

由良浅次郎が建てたベンゼン精留塔

(▲ 本州化学工業の敷地内に今も残るベンゼン精留塔 - 21世紀わかやま Vol.100(和歌山社会経済研究所) より引用)

その後も、当時需要の高かった消毒用フェノールの国産化に成功。また、ピクリン酸を用いた下瀬火薬や一式爆薬の製造を請け負い、日中戦争や第二次世界大戦でも国へ貢献した※2。そしてこれらの技術やノウハウは戦後、和歌山の化学工業のいしずえとなった。

昭和39年(1964)、86歳で没。叙勲じょくん等に、一等有功章・藍綬らんじゅ褒章・従五位くん四等瑞宝ずいほう章など。

3. 廃墟探索

森の廃洋館の外観(洋館側)

木々の間から巨大な姿を現した旧・由良山荘。明治時代の面影を色濃く残すレトロモダン建築であり、非常に意匠が凝らされた外観をしている。これぞまさしく「森の廃洋館」といったたたずまいだ。

森の廃洋館の1階リビングルーム(洋室)

そしてその内部にも「洋館」と聞いて誰もが思い浮かぶ素敵な光景が広がっていた。

窓のそばに置かれたソファー

ソファーに腰かけながら、気だるそうに本を読むご婦人の姿が見える見える……

洋室の天井に取り付けられた電灯

一方で目線を上の方にやると、そこにはオシャレとは程遠い状況があった。ごらんの通り、この電灯の設置の仕方にはかなり無理矢理感がある。

天井のこのデザインはおそらくシャンデリアを吊り下げることを想定したもので、電線が必要な照明のことなど全く考慮になかったのだろう。しかし時代の流れに負けて結局便利な方を取ってしまうのは、なんとも人間らしくて思わずニッコリしてしまう。

銀食器のセット

箱入りの銀食器セットだ。天井の照明はアレだが、やはりここに住んでいたのは上流階級の方々であって、我々とは住んでいる世界が違うなぁと思わせる一品。

1階から2階へと続く階段

2階へと続く階段。

レッドカーペットの敷かれた階段

こんなレッドカーペットがある階段なんて、私は帝国ホテルとかでしか見たことないですよ。それが自宅にあるってんだから凄いよなぁ……。

森の廃洋館の2階ベッドルーム

階段の先にはベッドルームがあった。そしてこの隣の部屋が──

森の廃洋館の2階応接間(別角度)

旧由良山荘で最も有名な、例のこの応接間である。

森の廃洋館の2階応接間(全体像)

館の主が座る椅子の方から見た部屋の内部。

森の廃洋館の2階応接間(オルガン側)

部屋の反対側には丸テーブルを囲むように椅子が置かれていた。

応接間のオルガン

そして部屋の隅にはオルガンがあった。

サイドテーブルの上に置かれた学術書

サイドテーブルには花瓶と重厚感あふれる本が置かれていた。普通の洋館ならば、この本は聖書か文学書であるのが一般的だろう。

しかしこの館の主は先述の通り化学工業で財を成した人物なので、置かれているこの本もその分野の研究書だ。まあ、由良一族にとってはこれこそ聖書みたいなものだと言えばその通りである。

意匠の凝らされた窓枠

意匠が凝らされた窓枠。窓の奥はこの階で最初に見たベッドルームに繋がっている。

応接間の壁に彫られたレリーフ

天井の滑らかなアーチの下には美しいレリーフが彫られている。というかレリーフがある自宅って何だよ……。上級すぎて本当に眩暈めまいがする。


(▲ 応接間の360度写真。この写真はグリグリ自由に動かせます)

染料・繊維・紙などについての学術書

論文のタイトルは「染料と繊維の化学」、および「パルプ(紙原料)と紙の製造」。

染料というものは、服などの繊維はもちろん紙製品との関係も深い。現代でも染料から作られたインクは家庭用プリンターなどで多用される。染められる側の事も知っておくのは、染料の研究には欠かせないだろう。

由良染料株式会社の取締役会長である由良榮一氏の名刺

令和5年(2023)現在に至るまで、浅次郎氏が起こした会社のひとつ(由良染料株式会社・現YSKグループ)を子孫が代々受け継いでいる。写真の榮一氏はおそらく浅次郎氏の息子であり、現社長はひ孫の秀明氏である。

森の廃洋館の3階の部屋

(※プライバシー保護のため画像はモザイク修正済み)

応接間の上の階(3階)には部屋がひとつだけあった。部屋に残された物から、ここを使っていたのは若い女学生だったようだ。

しかし書かれている名字がどれも「由良」ではない。由良家から嫁いでいった方の子孫が、本家を頼ってこの部屋に住んでいたのだろうか。

母からイギリス留学中の娘に宛てられたエアメール

その子は、大学はイギリスへ留学していたようだ。留学先はイギリス中北部の町リーズにある、今のリーズ・トリニティ大学である。ここはカトリック系の学校であり、この子自身もカトリック教徒であった形跡がある。

このエアメールは母親がイギリスに居る娘に宛てて送った物のようだが、「エリザベスのお父さんに電話してね。きっと 秘書が出てくると思います」とかサラッと言ってのけるあたり、もはや完全に住んでいる世界が違うなと思わされる。

森の廃洋館の1階廊下

さて、この旧由良山荘は、これまでに見てきた洋風建築部分とこの先の和風建築部分にハッキリと分かれている。それらは1階の廊下で接続されており、この先が和風建築部分となる。

和室の一室と黒電話

突然おもむきがガラッと変わるので、ここに住むとなると慣れない内は戸惑いそうだ。

森の廃洋館の1階大広間(和室)

和室の大広間。同じ上級国民仕様でも、洋風と和風ではこっちの方がずっと落ち着くな……

縁側に駐機する旧日本軍の戦闘機

縁側には古い戦闘機の模型が落ちていた。これは九六式艦上戦闘機だろうか? かの有名な「ゼロ戦」の先代機にあたり、西洋の模倣を脱して日本独自の設計思想の下に制作された最初の機体であった。

ではなぜその模型がこの屋敷にあるのかだが……実は第二次大戦中に浅次郎氏が帝国海軍に本機を21機献納したという縁があるのだ。

爆薬の製造のみならず、そこまでして日本の勝利を願っていた浅次郎氏だが、彼が敗戦の報を聞いた際の気持ちはいかばかりであっただろうか。

森の廃洋館の仏間

大広間の隣は仏間になっていた。金キラキンの背景に蓮と藤の花が咲き乱れるという、絢爛けんらん豪華なものだ。お寺さんならともかく、個人宅でここまでのものはそうないだろう。これぞまさに極楽浄土といったところか。

森の廃洋館の金庫

おっ、これが例の金庫か! 実はこの廃墟の存在が広く一般に知られるようになったのは、この金庫がキッカケだと言われている。詳しくは次の通りだ。

昔フジテレビ系の番組で「今夜解禁! 開かずの扉」というものがあった。この番組は、各地に眠る開かずの金庫をスゴ腕の鍵師が開けていき、中にどんなお宝が入っているのかを確かめる、という内容だった。そしてある時その番組でこの旧由良山荘のことが詳しく紹介されたというのだ。

本記事の冒頭で紹介した真珠湾攻撃の密議の件もあり、番組中では「山本五十六いそろくが残した極秘機密?」などと散々あおられたようだが、結局大したものは何も見つからなかったらしい。

旭金庫株式会社の銘板

金庫には「旭金庫株式会社製」という物々しい銘板が取り付けられている。こんな重厚極まる金庫を鍵師もよく開けたものだ。

森の廃洋館の玄関

玄関にはソファーが置かれ、ふすまには大勢の鶴が舞っている。この屋敷は洋館側にも玄関があり本記事では洋館側からの紹介になったが、本来はこちら側が由良山荘の正式な出入口のようだ。

なお、本記事ではこの和館側の玄関がある階を1階としている。この屋敷は山の斜面に建てられているため、ここを1階とすると洋館側の玄関は地下1階にあたる。実際にはそこも地上にあるため、洋館は見た目には地上4階建てということになる。

森の廃洋館の離れの外観

さて、旧由良山荘を後にして山道を少し下っていくと、写真の離れにたどり着く。最後にこちらを少しだけ紹介して終わりにしたい。

森の廃洋館の離れの内部

離れ、とは言っても一般人の自宅よりもはるかに大きくて立派な建物だ。しかしざっと見た感じ、あまり生活の跡が感じられない。恐らくここは住居ではなく、ほぼ倉庫として使われていたようだ。

な、なんという格差社会……

高級そうなレコード再生装置

衣類や生活用品などの他にも、こうしたお金持ちならではのグッズも多々しまい込まれていた。

由良一族のご子息のものと思われる記念写真

(※プライバシー保護のため画像はモザイク修正済み)

こういう写真を写真館でちゃんと撮っちゃうのが、もうまさに「上流階級」って感じね……。写真は恐らく由良家のご子息の一人だろう。

それにしても子孫が絶えたわけでもなく、その子孫がちゃんと事業を引き継いでいるにも関わらず、この離れも含めてお屋敷がまるごと廃墟になっているのは一体どうした事だろうか? やはり相続関係でかなり面倒なことになっていて手がつけられない……といった所であろうか。

【廃墟Data】

状態:健在

難易度:★★★★★(最高)野犬がいて近づけないことがある。この野犬はかなり獰猛。

駐車場:近隣のコインパーキングを利用(→地図

所在地:

  • (住所)和歌山県和歌山市和歌浦東1丁目7-20
  • (物件の場所の緯度経度)34°11'43.6"N 135°10'28.2"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】阪和自動車道「和歌山南スマートIC」より、県道13号線経由で約15分(6.5km)。
    【公共交通機関】JR和歌山駅より、バスと徒歩で約30分(駅西口より和歌山市内線23「医大病院」行きに乗車、「和歌浦口」にて下車、バス停より徒歩約7分(600m))。