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天華園

概要

天華園(てんかえん)とは、北海道登別市にかつてあった中国風テーマパークの廃墟である。バブル期の末期に総工費約60億円をかけて建設された。建築用の資材には中国から直接取り寄せた本物を使うという徹底ぶりであった。

天華園の開業は平成4年(1992)4月。広大な敷地には清王朝時代(1644~1912)の庭園が忠実に再現された。さらに本場の中華料理や中国雑技団による演目を生で楽しめるなど、テーマパークとしてはかなり本格的であった。そのため初年度は話題を呼び、27万人もの入場者を記録した。

しかしこの時すでにバブル崩壊の影響は深刻化しつつあり、時を追うごとに経営は苦しくなった。何度かテコ入れが試みられるものの、肝心のリピーターの獲得には繋がらなかった。テーマパークの宿命ともいえる「一度行けば十分」という壁を、天華園はどうしても乗り越えることができなかった。

入場者数はその後も下げ止まらず、平成9年(1997)には定休日を設けて冬季も閉鎖するなど、経営規模の縮小が図られた。しかしそれでも膨らみ続ける赤字を支えきれず、平成11年(1999)10月一杯をもって天華園は閉園。オープンからわずか7年という短い幕引きであった。

それから15年以上もの間、無人の廃墟となった中国の町がなぜか北海道の山奥にあるというシュールな状態が続いた。しかし平成29年(2017)より、ついに解体工事が始まった。令和5年(2023)現在、天華園の跡地は巨大な太陽光発電所(メガソーラー)になっている。

解体前の探索記録

天華園の入場ゲート

天華園の入場ゲートの前までやってきた。立派な中国風の門の前には2体の純白の獅子が鎮座し、門を守っている。

この獅子像は仏教と共にインドから中国へ伝わったもので、今も中国各地で見られる。日本のこま犬や沖縄のシーサーも、この獅子像が由来である。

獅子像の前足

獅子像の前足のアップ。爪の一本一本までが実に繊細に彫刻されている。地方のテーマパークにありがちな安っぽいパチもん感はいっさいない。

入場ゲートの上に掲げられた「天華園」と書かれた扁額

門に掲げられた天華園の扁額。天井の枠のひとつひとつに金色の龍が描かれているが、なんとこの画、それぞれの形が微妙に異なっている。

つまりこれはスタンプなどで大量生産したのではなく、職人が一枚一枚手描きしたのではないかという事だ。おっっっそろしく手間かかっとるぞ、これ……

天華園の料金表

天華園の料金表だ。集客に困ったド末期のテーマパークは入場料に手をつけがちだが、どうやらこの天華園も同じ道をたどったらしい。実はここに見えているのは、当初の料金から一律100円が値引きされた値なのだ。

しかしそれでも改革が足りなかったのか、今度は料理店の営業時間を11時~21時から11時半~16時と大幅に短縮するなど、コストカットの方向に走ったらしい。そうやって看板の数字がペンで無理矢理上書きされた光景は、こうした廃テーマパークで見ると実に哀愁深いものがある。

入場ゲートから園内を覗いた時の風景

それでは、お邪魔します……

入場ゲートを通り過ぎてすぐの広場

赤い門を抜けると、そこはもう中国であった。ここでまず目を引くのは、奥の塀に空いている円形の大きな穴だ。

丸い月亮門の先に岩山が見える

この丸い穴は月亮げつりょう門と言い、中国式の庭園でよく用いられる建築様式のひとつである。その名の通り満月をかたどったものとされている。

石段のある岩山と大観楼

この門には視線を集中させる効果があるらしい。私もまるで引き寄せられるように門へと近づいていく。

大観楼の前の岩山

月亮門を抜けた先にある巨大な石のオブジェは、中央が階段になっていて登ることができる。

大観楼へと続く橋

その先は「大觀樓だいかんろう」の2階へと橋で繋がっていた。この廃墟はその見た目から「千と千尋の神隠し」に例えられることがあるが、なるほど確かにこうして見ると雰囲気は似ているかもしれない。

大観楼内部(2階)

橋を渡って中に入ったところ。入口の横の壁には「入園をご希望の方は入園券をお求めください」なんて書いてあるので「ここに入るのにさらに金取るのか!?」と驚いた。しかし実はこれはそういう事ではない。

私も後に知ったのだが、超ド末期はレストランのみの利用に限り入園が無料だったらしい。つまりこの大觀樓は現役時にレストランとして使われていて、ここから建物の外(中庭)に出るには別料金が発生したという事だろう。もう本当に末期感がハンパないな……。

天井から吊り下がっている六角形の吊灯籠

天井には六角形の吊灯籠が取り付けられている。こりゃあ実に中華らしいアイテムだ。こういうのはつい嬉しくなって、いっぱい写真を撮ってしまう。

大観楼1階の廊下

1階に降りてみたが、かなり崩壊が激しく危険を感じた。ここは回して進もう。

門の先には石のオブジェと建物が見える

素直にいったん外に出てから、さらに敷地の奥へと進む。

「漢宮同楽」と書かれた扁額が掲げられた建物

先ほどの門を抜けた所にあった建物。扉の上の額には「漢宮同楽」とあるが、「中国の宮殿をいっしょに楽しみましょう」というような意味だろうか。

また、扉の両側にも「漢宮歌舞人同楽」「華苑翠薇物自春」と短文が書かれている。これは「対聯(ついれん)」と呼ばれるもので、中国の伝統的な門の装飾様式のひとつである。その上にはこの天華園のように4文字の額(横批(よこひ))がセットで置かれることが多い。

対聯には必ずいんを踏むなどの厳格なルールがあり、この天華園のものは旧正月を祝う時に使われる語句をもじった物のようだ。その天華園版の日本語訳は「中華の宮殿の歌や踊りを人々は一緒に楽しみ、庭園にある花々には春が訪れる」というような意味になるらしい。

(※ 記事コメントより情報を下さった通りすがりのガイジンさん、ありがとうございました!)

壁画や装飾で埋め尽くされた豪勢な大広間

その対聯のある建物の中に一歩入って息を飲んだ。これすごいな……

窓越しに五重塔が見える

中国風の窓からは中国風の五重塔が見えている。

渡り廊下の屋根を支える柱は赤や青や緑で塗られている

庭園の渡り廊下。

極彩色の亭

彩色がもう半端ないことになっている。ここが無人の廃墟だというのが本当に信じられない。

黄色い屋根の建物。屋根には様々な動物を象った装飾が施されている。

うわああああ、こ、細かい……。屋根の上にもなんか動物の像がいっぱい飾ってあるし、天華園の建物はどれも造り込みが凄まじい。これむしろ、よく60億円ぽっちで建ったなと思う。

建材は中国から取り寄せていたとのことなので、もしかしたら彩色や加工も向こうでやっていたのかもしれない。その方が人件費の大幅な節約になったはずだ。

煉瓦造りの建物

天華園の建設当時、中国の経済レベルは日本の足元にも及ばなかった。しかし、バブル崩壊以後30年も低迷している間に日本は中国に追い抜かれ、今やGDPで3倍以上もの差をつけられてしまった。

釣鐘が設置されている塔

このままいけば天華園の時とは逆に、今度は中国国内に日本の街並みを日本人の安い人件費で再現する、なんてことも十分に起こり得るだろう。

天華園の興亡は、そんな日本の暗い未来を暗示しているかのように見えてならない。

庭園の先には五重塔が見える

さて、残すところ目ぼしい建物はあと、敷地の一番奥にある五重塔だけだ。庭園を抜けて向こうの方へ行ってみよう。

岩と木々をあしらった池

その途中に大きな池があった。石の上は歩いて渡ることができる。

ちなみに、この「池」と「石」は中国庭園には無くてはならない5大要素のうちの2つらしい(あとの3つは「木」「橋」「亭」であり、天華園にはすべてそろっている)。

天華園の五重塔

五重塔の目の前まで来た。

五重塔の前の獅子像

階段の両側には獅子像が置かれているが、その表情は一体一体異なっている。ここも既製品を適当に据えつけたのではないことが分かる。

五重塔の内部。奥の壁には「南無阿弥陀仏」と書かれている。

五重塔の内部。ずいぶん派手だが、これが中国式の仏塔なのだろうか?

ここには他にも仏教関連の像がいくつか展示されていたが、アクリル板が劣化して真っ白になっており、肝心の像はよく見えなかった。

五重塔から見下ろした天華園の全景

五重塔から天華園全体を見渡す。こんな北海道の山奥に中国の町を丸ごと再現してしまうのだから、バブルってやつは本当に凄かったんだなと感心するばかりである。

いま私の眼下に広がっているのは、発展し続けていく未来を信じてやまなかったあの頃の、日本の夢の跡に他ならないのだ。

【廃墟Data】

状態:解体済

難易度:─

駐車場:なし

所在地:

  • (住所)北海道登別市上登別町
  • (物件の場所の緯度経度)42°28'33.6"N 141°08'05.0"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】道央自動車道「登別東IC」より、道道2号線経由で約7分(4.5km)。