概要
ホテルキャデラックハウスとは、山梨県の清里高原にあるバブル期のホテルの廃墟である。その名の通り、キャデラックというアメリカのビンテージ車をコンセプトにしたホテルだった。駐車場の一部と1階の大半を使って高価な外車が何台も展示されていた。博物館とホテルを合わせたような独特の物件である。

(▲ 開業当時のホテルの様子。建物正面にはキャデラックと思しき外車が2台止まっている)
ホテルの開業は昭和60年(1985)4月。その後日本を沸かせたバブル景気の中、キャデラックハウスのある清里高原は若者の間で空前のブームとなった。当ホテルの1階も夜は「ディスコタイム」として若者向けに装いを替えて、週末ともなれば予約が取れないほどの賑わいを見せたという。
しかしバブルが崩壊して清里ブームそのものが終わると、キャデラックハウスに訪れる者もいなくなった。そもそもここは東京から電車を乗り継いで3時間もかかる山奥であり、周辺にめぼしい観光地もないため、ブームが去れば集客はまったく見込めなかった。ホテルは遅くとも90年代の半ば頃には倒産し、土地と建物はその後競売にかけられた。
そしてその時にここを落札したのが、当時世間を騒がせていたオウム真理教の信者だったと言われる。これを受けて清里の観光業者を中心に反対運動が起こり、結局はオウムとは無関係の会社の所有になったらしい。だがその後ホテルは特に再活用されるわけでもなく、令和5年(2023)現在も廃墟状態のまま放置されている。
実際に行ってみた


(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)
昼の「展示タイム(10~17時)」では、このようにキャデラックを間近に見ることができた。

さらにはこんな成金のパリピみたいな事もしていたらしい。まさにバブル。
ちなみにこの写真の車をよく見ると、車体の両側がロケットでも取り付けたかのような長い形状をしている。これはテールフィンと呼ばれ、これが流行した1950~60年代がキャデラックの全盛期だったと言われる。
「キャデラック」と言うと、今でもこのイメージを持つ方が多いのではなかろうか。

さて、このキャデラックハウスはホテルでもある。1階のスペースはキャデラックギャラリー兼ディスコでほぼ埋め尽くされているので、客室はすべて2階にある。
それなのに部屋番号がすべて1から始まっているのがとてもややこしい。だがこれは恐らく、キャデラックが一番輝いていたとオーナー自身が思う西暦を当てはめたんじゃないかと個人的には思う(部屋は全部で1941~60番の20部屋)。そう思うとなかなかこだわり抜かれた良い番号じゃないか。


(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)
中2階のカフェバー「SEVILLE(セビル)」。これはキャデラックブランドから発売されていた車名のひとつだが、その元ネタは闘牛が盛んなスペイン南西部の町の名前である。アメリカ車に多く見られるヨーロッパの伝統文化への憧れからそう名づけられたと言われる。


(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)
2階プールラウンジ「Fleet wood(フリートウッド)」。これもキャデラックブランドのひとつであり、1931年にキャデラックの会社に買収された車体製造会社「フリートウッド・メタル・ボディ」に由来している。
【廃墟Data】
状態:健在
難易度:★★☆☆☆(低)
駐車場:なし
所在地:
- (住所)山梨県北杜市高根町清里3600
- (物件の場所の緯度経度)35°53'00.8"N 138°26'27.5"E
- (アクセス・行き方)
【自家用車】中央自動車道「須玉IC」より、国道141号線経由で約20分(16km)。