1. 概要
のうが高原とは、広島県廿日市(はつかいち)市にかつてあったリゾート地の廃墟である。ふもとの町が一望できた写真のホテルのほか、遊園地やキャンプ場、別荘などが併設された一大リゾートであった。
1-1. のうが高原の歴史

(▲ 開業から4年目ののうが高原の様子。まだいくつかの施設が建設中なのが分かる。- 国土地理院「廿日市市津田」付近の航空写真を元にブログ筆者が作成)
のうが高原の開業は昭和46年(1971)の事である。元々は観光農園として開発された場所を、高度経済成長の波に乗って大規模リニューアルしたものだった。
しかしその後すぐオイルショック(1973)が起こり、日本の経済は大混乱におちいる。物価は年20%以上も上昇し、狂乱物価という造語さえ生まれた。そしてのうが高原はこの状況でもなお施設の拡充を続けたため、建設費が大幅に膨らんでしまった。この事は後にのうが高原を倒産に追いこむ一因となる。
1-2. のうが高原の今
(▲ ソーラーパネルで埋め尽くされた旧のうが高原跡地 - GoogleMapより)
ところが令和元年(2019)になって突然ホテルの解体工事が始まった。現在ではのうが高原の跡地は巨大なメガソーラーになっている。そしてこれと同様の事例が、いま全国各地の廃墟で起こっている(例えば北海道の天華園など)。
政府が太陽光発電に補助金をつぎ込む限り、残念ながらこの流れは今後も続いていくことだろう。
2. 解体前の探索記録

ホテルのエントランス前までやってきた。このホテルへと続く正規の登山ルートは途中からゲートで完全に封鎖されているため、実はここに来るのは一度失敗している。その後、日をあらためて挑戦し、裏道から徒歩で山ひとつ越えてようやくここまでたどり着いたのだ。

そしてもう一方の壁には太陽が描かれている。30年以上も放ったらかしにされたとは思えないほど状態が良く、彼らの輝きは廃墟の中でもなお失われていない。
これらのモザイクアートは、かつてのうが高原を紹介していたどの廃墟サイトでも必ず目にする有名な絵だった。ここまで来るのに苦労したぶん、こうして実物を見られて当ブログでも晴れて紹介できて、とても嬉しい。

館内図によると、ここはホテルのレストランだったらしい。しかしここまで状態が悪いと、本当に合っているのか自信がなくなる。かろうじて柱のレンガと吊り下げ式のおしゃれな照明がレストランっぽいだろうか。
この廃墟は高台にポツンとあるので、風雨をさえぎるものが本当に何もないのだろう。

栗まんじゅうを見つけた。これで腐ってないのヤバすぎるだろと思って触ってみたが、さすがに造り物のサンプルだった😂
それとこういうお土産で10個入り700円は安いと思ったが、この当時の700円は今の1050円くらいの価値らしい。

そしてその先に、この廃墟で一番有名な吹き抜けの岩風呂があった。私はこの景色をずっと見たかったんだよ!
ちなみにこれらの巨大岩はすべて磐座(いわくら)と呼ばれる霊石であり、日本の古代信仰における崇拝の対象であった。これがやがて今の神道へと繋がっていったため、磐座の上に神社が建てられていたり、境内に御神体の岩があったりするわけだが、その神聖な磐座の上に風呂を造ったのは世界広しと言えどもこののうが高原だけだろう。

そしてあの場所につながる唯一の入口はごらんの状態。鉄柵でスキマなく完全にふさがれていた。いやこんなの聞いてないんだが……😣
しょうがないから、また日を改めて来てドローンに突入させるかロープワークでどうにか突入するかと企んでたら、今度は建物ごと解体ですよ。本当になんなのもう😭
結局、私は有名な「この先」には行けなかったので、参考までにその場所の写真を収めたインスタグラムを以下に貼っておく(※ Safariで見るには「Instagramで見る」をタップする必要あり)。
このインスタの投稿は、断崖絶壁の向こう側から同じ磐座を振り返って見たところから始まる。
ちなみに写真1枚目のいわば「下の階」が男湯で、磐座を奥から見下ろす「上の階」が女湯にあたる。つまり私は女湯には行けたが、男湯には鉄柵に阻まれて一歩も入れなかった事になる。
まぁ行けなかったのは仕方がないので、女湯をぶらついてお茶を濁すことにしよう。
【廃墟Data】
状態:解体済み
難易度:─
駐車場:なし
所在地:
- (住所)広島県廿日市市宮内
- (物件の場所の緯度経度)34°22'15.1"N 132°16'37.0"E
- (アクセス・行き方)県道294号線を通って野貝原山を登っていき、その途中から徒歩で山道を越えてホテルへと向かうのが最も現実的なルートであった。駐車スペースからホテルまでは徒歩30分程度だったように記憶している。