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新潟ロシア村

1. 概要

新潟ロシア村とは、新潟県阿賀野市にかつてあったテーマパークの廃墟である。広大な敷地にはロシア式の教会やホテル、劇場などが建てられ、ロシア人スタッフによるショーや本格ロシア料理を楽しめた。現在では教会など一部を残して解体され、跡地は太陽光発電所になっている。

1-1. 新潟ロシア村の歴史

民族衣装に身を包んだ外国人職員の集合写真

(▲ 開園当初の新潟ロシア村と民族衣装に身を包んだ外国人スタッフ)

新潟ロシア村の開業は平成5年(1993)9月のことである。当時、新潟県内では初のテーマパークだったこともあり、地元メディアを中心にオープン前から大きな話題を呼んだ。

しかし、この時すでに日本のバブル経済は崩壊しており、同時期に北海道でオープンしたテーマパーク「天華園」と似たような運命をこのロシア村もたどった。完成度は決して低くないものの客足を思うように維持できず、来園者は年を追うごとに減り続けた。

そして平成11年(1999)には、メインバンクであった新潟中央銀行が破綻。これでロシア村は資金繰りが急速に悪化した。そしてその後の経営努力もむなしく、平成16年(2004)に閉園。なお、ロシア村に対して不正に巨額の融資を行なったとして、銀行の旧経営陣は裁判で有罪の判決を受けている。

その後ロシア村は廃墟と化し、平成21年(2009)には不審火で旧ホテル棟がほぼ全焼する事件が起きた。この頃を境に心霊スポットとしても話題を集めるようになり、施設の荒廃が進んでいった。そのため建物の解体が順次進められていき、令和5年(2023)現在では教会とホテルのみを残して跡地にはメガソーラーができている。

2. 解体前の探索記録

新潟ロシア村のエントランス前(駐車場跡)

新潟ロシア村の目の前までやって来た。この頃にはホテル棟が全焼し、すでに建物の一部も解体が始まっていたが、大部分の建物はまだ手つかずで残されていた。

白い石柱の並ぶ廊下には植物が生い茂っている

入場ゲートから先には、ツタの絡(から)まる美しい廊下が伸びている。

スーズダリ教会の外壁に描かれたフレスコ画

そして新潟ロシア村を代表するのが、この玉ねぎが乗った建築物である。外壁にはキリスト教の聖人を描いた立派なフレスコ画があしらわれている。

ちなみに「玉ねぎ」とは私が勝手に言っているわけではなく、ここの開業前からマスコミに玉ねぎ呼ばわりされていた。

スーズダリ教会の内部

その玉ねぎの中がこちら。この建物は正式名称を「スーズダリ教会」と言い、ロシア西部の古都スーズダリにある世界遺産「ロジェストヴェンスキー大聖堂」をモチーフにしている。ロシア正教会の歴史的建造物のひとつである。

天井のフレスコ画のクローズアップ

天井画のアップ。仮にも世界遺産を真似るのだから、画のレベルにもそれなりものが求められる。そのため新潟ロシア村の経営陣はわざわざロシア人の画家を呼び寄せてこれを制作するという気合いの入れようだった。その本物志向の甲斐あってか、この通りすばらしい出来栄えである。

祭壇側から見たスーズダリ教会の内部

祭壇側から入口の方をふり返って見たところ。真正面と左右に設置されているステンドグラスもロシア製の本物を使うなど、この教会は細部にまでこだわり抜かれている。

「感動体験 陽気なロシア」と書かれた白いテント

スーズダリ教会を出て隣の建物へ向かう。軒下には「陽気なロシア」とあるが、令和の今となっては陽気どころかウクライナ戦争で最悪なイメージしかないので、あらぬ誹謗中傷を受ける前に潰れていてむしろ良かったのかもしれない。

テント内の看板には3個のマトリョーシカ人形が描かれ、その上には「ようこそ!」と日本語とロシア語で書かれている。

中に入ると、ロシアの伝統的な人形であるマトリョーシカが出迎えてくれた。上には「ようこそ!」と日本語とロシア語で書かれている。

屋根付きの通路

その先は生垣のある通路になっていた。

新潟ロシア村のアルバート広場

通路を抜けるとこの「アルバート広場」に出る。首都モスクワの中心部にある広場の名を冠しているだけあって、新潟ロシア村でもこのアルバート広場を中心に建物が広がっている。

アルバート広場の一角(廃墟化後) アルバート広場で大道芸を楽しむお客さん(現役時)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

現役当時のにぎわいは、もうどこにもない。

荒れ果てたロシア風の町並みが続く

ちなみに、実際にロシア人がこのボロボロの廃墟となったロシア村を探索したところ「本物のロシアよりロシアっぽい」とかいう非常に反応に困る感想が飛び出てきたなんて話を、昔どこかで読んだ記憶がある。戦時の今では、より本物のロシアに近くなってしまったのだろうか……

新潟ロシア村の旧美術館と噴水跡

噴水ももう草だらけ。奥に見える建物は、案内図のバージョンによって美術館だったりレストランだったりする。

廃墟化後の噴水広場付近 多くの観光客でにぎわう噴水広場(現役時)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

美術館(レストラン?)の2階から先ほどの噴水をふり返って見たところ。このエリアは開業から1年後の1994年に完成しており、当初はごらんの通り人であふれていた。

シベリア鉄道の模型展示

続いて建物の中に入ってみたが、明らかに美術館でもレストランでもない(笑) どうやらここではシベリア鉄道関連の展示を行なっていたようだ。

現役当時のマールイ美術館

美術館時代はこのような感じだったらしい。これが最終的にはどこかの学校の文化祭の展示みたくなってしまうのだから、末期の迷走っぷりがうかがえる。

マンモスイリュージョンスタジオの外観

こちらは「マンモス イリュージョンスタジオ」とある。

マンモスの剥製のレプリカ

中には実物大のマンモスの剥製がそのまま残されていた。体高は4.2メートルあるとのことで、なかなか迫力がある。

なお、剥製とは言ってもさすがに複製品であり本物ではない。

マンモスの骨格標本のレプリカ

他にはマンモスの骨格標本(これも複製品)やその他の化石の展示なども行なっていた。しかしなんとこの施設、ロシア村の入場料とはまた別に料金がかかったらしい。

実はこの建物はロシア村の後期になって完成したもので、その頃にはメインバンクの新潟中央銀行は潰れていた。そのため資金繰りが相当厳しかったのだろうが、別料金なんて言われたら余計に客離れが進みそうだ。

森のレストラン「ダーチャ」内部

こちらは森のレストラン「ダーチャ」。ここではバーベキューの食べ放題を行なっていたらしいが、そもそもロシアにBBQのイメージが全くない。いったいどんなメニューだったのだろうか。

小型のマンモスの人形

そしてここにもマンモスがいた。まさかマンモスの肉を提供していたのか……? というのは冗談で、当時はこの上にまたがって記念撮影ができたらしい。

火災で焼け焦げたマールイホテルのロビー 現役時のマールイホテルのロビーの様子

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

こちらはロシア村の宿泊施設「マールイホテル」のロビー。ここは廃墟化後に不審火が発生してほぼ全焼したので、ごらんの通り見るも無残な状態である。

現役時のマールイホテルのロイヤルスイート

現役当時のロイヤルスイート。

天蓋が無残に落ちた廃墟化後のマールイホテルのロイヤルスイート

廃墟化後のロイヤルスイート。ここも火事の影響で壁や天井が煤だらけになっている。特徴的だったベッドの天蓋(てんがい)も落下しており、無残な状況である。

現役当時のロシアンレストラン「トロイカ」

ホテルのすぐ近くには、このロシアンレストラン「トロイカ」がある。ロシアの家庭料理からフルコースまで様々なメニューが楽しめたらしい。

廃墟化後のロシアンレストラン「トロイカ」

廃墟化後の同じ場所。

新潟ロシア村の完成予想図

新潟ロシア村の完成イメージ図が落ちていた。これまで探索しながら見てきた実物と比べて「さすがに盛りすぎだろwww」と私は現地では思っていた。しかしこの絵がこの規模感で描かれたのには、実はちゃんと理由がある。

新潟ロシア村の第2期施設の完成予想図

(▲ 新潟ロシア村 第2期の完成予想図 - 新潟ロシア村の記録80(1993-21)阿賀野市ブログ応援隊 より引用)

そう……何を隠そう、我々が今まで見てきたロシア村は単なる序章に過ぎず、後にこの何倍もの規模の続編「新潟ロシア村 セカンドシーズン」を建設するつもりで開発会社は動いていたのだ。

これまでの言わば「サンプル品」でロシア村の良さを実際に体験してもらって、それを元に第2期の出資を広くつのるつもりのようだった。しかし思うように資金が集まらず、計画は中止されたという。

こんなものがもし完成していれば大爆死は確定で、その後日本を代表する廃墟になっていたのは間違いない。いち廃墟マニアとしては計画の中断を心から残念に思う。

ロシア村の前で撮られた入館記念の集合写真(平成7年3月14日)

平成7年(1995)当時の集合写真を見つけた。まだできたばかりの教会のツヤツヤとした姿と、やや時代を感じる格好をした来園客の姿が、ここに過ぎ去ってしまった年月の長さを感じさせる。

【特記事項】

※ 本記事で紹介した廃墟は、2013年に制作した廃墟写真集「廃墟叙情曲 #2」に収録された廃墟の内のひとつです。そのため10年間、サンプル以外の内容はブログへの掲載を控えていました。

写真集と記事の内容は同じではありませんが、これをもって本写真集は廃版とします。これまでご購入くださった皆様には、この場を借りて改めて厚く御礼申し上げます。貴方がたが居なければ私の廃墟活動は絶対にここまで続きませんでした。本当にありがとうございます。

【廃墟Data】

状態:教会とホテル以外は解体済

難易度:─(現役のメガソーラー施設内の管理物件)

駐車場:なし

所在地:

  • (住所)新潟県阿賀野市笹岡1956-82
  • (物件の場所の緯度経度)37°50'24.5"N 139°17'36.1"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】磐越自動車道「安田IC」より、国道290号線経由で約20分(14km)。