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ウェスタン村

1. 概要

ウェスタン村とは、栃木県日光市にあるテーマパークの廃墟である。園内にはアメリカの西部開拓時代(1860~90年代)を模した町が造られ、来園客は当時の雰囲気を様々な形で体験して楽しむことができた。

しかし、バブル崩壊後は次第に客足が減り廃業。後には無人になった西部の町だけが残された。

1-1. ウェスタン村の歴史

鬼怒川ファミリー牧場の航空写真

(▲ ウェスタン村の前身である観光牧場の航空写真。初めは小さな牧場だった。 - 国土地理院「日光那須野」付近の航空写真を元にブログ筆者が作成)

ウェスタン村の歴史は、その前身である「鬼怒川ファミリー牧場」が昭和48年(1973)にこの地でオープンしたことに始まる。当初はバーベキューなどができるごくありふれた観光牧場だった。

それが「ウェスタン村」となったのは、オーナーがもともと西部開拓時代に興味を持っていたことがきっかけである。その要素を次々と牧場に取り入れていった結果、幸いにもこれが好評だった。そのため昭和57年(1982)3月に名称を「ウェスタン村」と改め、テーマパークとして新たな道を歩むことになったのだ。

ウェスタン村で行なわれた西部劇の撮影の様子

(▲ 現役時のウェスタン村で行なわれた西部劇風CMの撮影の様子(ダイハツ テリオスキッド))

その後バブル期(~1991)にウェスタン村は最盛期を迎え、年間70~80万人の入場者数を記録した。しかしバブル崩壊以降は客足が減少し、少ない顧客を近隣の他のテーマパークと奪い合うという先の見えない消耗戦が始まった。

そして平成7年(1995)にウェスタン村は約25億円かけて新規エリアを建設し、状況の打開を図った(それが記事冒頭の人面像を含むエリアである)。しかし客足は思うように伸びず、平成18年(2006)に事実上の閉園。公式にはまだ休園扱いだが、令和5年(2023)現在、施設は荒廃して廃墟同然の状態となっている。

2. 実際に行ってみた

ウェスタン村の入場ゲート前

ウェスタン村の入場ゲート前までやってきた。

ウェスタン村のチケット売り場

入場券の売り場付近。さっそくテンガロンハットの渋いガンマンがお出迎えしてくれる🤠 それとあくまで入券なのが、ちょっとしたこだわりを感じる。

ウェスタン村の入場ゲート

入場ゲートは背の高い木製の柵で造られている。そしてこれも西部開拓時代の砦(とりで)を模したもののようだ。

当時アメリカでは、入植者の白人と先住民のネイティブ・アメリカンとの間で争いが絶えなかった。そのためこのような砦が白人によって各地に設けられたのだ。

(※ ウェスタン村は「インディアン嘘つかない」のCMで一定年齢以上の関東住民には広く知られているが、この呼称は現在では差別的とされるため、本記事では「ネイティブ・アメリカン」の呼称を用いている。)

ウェスタンランドの地図(ウェスタン村ガイドマップより)

(▲ 最初に探索する「ウェスタンランド」の位置 - ウェスタン村公式サイト上のガイドマップを元にブログ筆者が作成)

ウェスタン村は大きく分けて3つのエリアに分かれている。まずは地図の一番下の入場ゲートから入ってすぐにある「ウェスタンランド」を紹介したい。

ウェスタンカーニバル外観

ウェスタンランドには西部開拓時代のアメリカの街並みが再現されており、当園のメインエリアと言える。まずは写真の「ウェスタンカーニバル」と呼ばれる建物から見ていこう。

アメリカ製のモグラたたきとワニワニパニック

ここは公式の案内によると『本場アメリカからのゲームが楽しめる』施設だった。右手前の遊具は「Whac-A-Mole」というアメリカの古いモグラたたきだ。もともと日本で昭和50年(1975)に生まれて、その後アメリカで改良(1978)されたものを、逆輸入してきたものらしい。

写真左奥には、さらにその進化形であるワニワニパニック(1988~)が見える。まるでモグラたたきの歴史をここで見ているかのようだ。

「ウェスタン・ガン・シューティング」の全景

そしてここの一番の目玉は、やはりこの「ウェスタン・ガン・シューティング」だろう。西部の荒くれ者が集う酒場で銃を撃ちまくるという、男の子なら絶対に楽しめること請け合いのアトラクションだ。

机の上や床をよく見ると赤い電球のようなものが点々とあり、ここで銃から放たれる赤外線を受け取っていたのだろう。そして命中したと判定されると、ビンが倒れたり様々な反応をしてくれたはずだ。人形たちも個性豊かであり、以下にいくつか紹介したい。

机の上で銃を振り回す女性の人形

机の上で踊りながら銃を振り回すヤバいネーちゃん。

カードゲームに興じるテンガロンハットの男性の人形

カード勝負に興じるテンガロンハットのイケおじ。しかしその表情にあまり余裕は感じられない。いかんせん対戦相手のポーカーフェイスが完璧で、苦戦を強いられているようだ。

首がめり込んだバーテンダーと謎の中国人の人形

どう見ても普通じゃないバーテンダーと、謎のテンプレ中国人。

ドル袋を抱えて悦に浸る男性の人形

コインが詰まった袋を抱えて悦に浸るオッサン。でもこんなところで酔いつぶれたら速攻盗られるぞ!

オールドタウン外観

いったんゲームセンターから外に出る。先述の通り、この町は西部開拓時代の町並みが忠実に再現されており、お客さんはここを自由に散策しながら『西部劇の有名スターたちが西部の町の生い立ちや歴史を語りかけてくる』のを楽しんだらしい。

そしてその有名スターというのが、一体数千万は下らない(自称)とされるロボットたちである。廃墟になる前も後もこの町の楽しみ方は「彼らに会いに行くこと」で変わりはないのだが、廃墟化後は楽しさの方向性がやや特殊になっている。

雑貨屋に扮したチャールズ・ブロンソンのロボット

というのも、ロボットの造りがやたらとリアルなため、こんな感じで無人の廃墟にボーっと突っ立っていられると、不気味なこと極まりないのだ。ハッキリ言って、下手な心霊スポットやお化け屋敷よりもはるかに怖い。

ちなみにこのロボットは、西部劇映画の金字塔「荒野の七人」に出演したチャールズ・ブロンソンを模しているとのこと。

ウェスタン村の歯医者で抜歯される患者

いや、だから怖いっつーの(笑) マップには「歯医者」とあり、どうもこれは西部開拓時代の歯の治療風景らしいが、肩だって怪我してるし、どこからどう見ても拷問している様にしか見えん😱

当時は歯を削る機械なんて無いし、悪くなった歯はこうしてペンチで引っこ抜くより他になかったのだろう。現代でも小さな子供が歯医者を怖がるのは定番だが、この時代の歯医者は大の大人にも恐れられていたに違いない。

駅馬者屋に扮したジョンウェインのロボット

馬車のレンタルショップ。おもむろに倒れている彼はジョン・ウェインというアメリカの俳優らしい。しかし私が生まれる前に亡くなっている方なので正直ピンとこない。

床屋のハゲた美容師の人形

……いや、マジで心臓止まるかと。ここは床屋さんらしいが、髪どころか命まで刈り取られそう。

保安官に扮したクリントイーストウッドのロボット

保安官のクリント・イーストウッドだ。ヤベー奴ら揃いの今のロボット連中では、唯一の良心と言える。音声は鬼滅の刃で善逸の師匠を演じた千葉繁が担当しており、さすがにこのレベルになれば私でも俳優も声優も両方分かる。

また、営業当時のロボット・イーストウッドの様子を収めた貴重なビデオがYouTubeにあったので、以下に紹介しておこう。

(▲ 現役当時のウェスタン村のロボット保安官の様子、ほか)

銀行や酒場、教会などが並ぶ一角

銀行や酒場、教会などが並ぶ一角。ここではかつて「ワイルド・ウェスタンショー」という西部劇さながらの出し物が1日4回行なわれていた。馬に乗ったガンマンが駆け回るなど迫力満点のショーで、ウェスタン村の目玉のひとつだったようだ。

お土産屋「ウェスタン・ショップ」

さらに先に進むとお土産屋さんがあった。テンガロンハットや革のブーツといったウェスタンな品々から、地元日光の特産品まで幅広く扱っていたらしい。

「Western Village」と書かれた幌馬車

幌(ほろ)馬車だ。西部開拓時代を代表するアイテムであり、今でいう長距離バスやトラックに相当する。当時の開拓者たちはこの幌馬車を使って、3000キロ以上の道のりを約半年かけて移動したのだ。

レストラン「ニューローハイド」

とってもアメリカンな食堂。ウェスタン村はバーベキューのできる観光牧場がウェスタン色に染まった結果できたものなので、この施設こそがウェスタン村の原点と言えるだろう。

ウェスタン村の教会で行なわれた結婚式の集合写真

また、ウェスタン村の教会では結婚式も挙げられたようだ。希望者には衣装の貸し出しも行なっていたようで、写真では参列者の半数近くがウェスタンな格好をしている。

写真店が提供していたコスプレ写真サービスのサンプル品

そのウェスタンな格好でセピア調の写真を撮るサービスも行なっていたらしい。この写真は店に残されていたサンプル品だが、皆さんそろってイケメンですなぁ! ジャニーズでも起用して販促をしていたのだろうか?

小道具のリボルバー銃

撮影用の小道具もバッチリだ。こういったサービスはテーマパークならではであり、きっといい思い出になったに違いない。

アメリカンドリームランドの地図(ウェスタン村ガイドマップより)

(▲ 次に探索する「アメリカンドリームランド」の位置 - ウェスタン村公式サイト上のガイドマップを元にブログ筆者が作成)

以上で「ウェスタンランド」の探索を終える。次はその隣の「アメリカンドリームランド」を紹介しよう。

アメリカンテディベアミュージアムの広告チラシ

このエリアはウェスタン村が落ち目の時期に、大枚をはたいて建設したものだ。ここには間違いなく社運がかかっていたはずで、その猛プッシュぶりもすさまじい。エリアの一角はこのようにテディベアで埋め尽くし、新たに女性客の獲得を狙っていたことがうかがえる。

テディベアミュージアム内部

そのテディベア・ミュージアムがこちらなのだが、今ではただの幼児向けの遊技場と化しており、何とも寂しい限りだ。熊たちはいったいどこに行ってしまったのだろう?

テディベアミュージアムのワシントン夫妻のテディベア人形

おっ、いたいた。彼はパンフレットの右上に載っていた「ワシントン夫婦」の夫の方だろう。しかし妻と馬車はいずこへ……

バッファロー(アメリカバイソン)とネイティブアメリカンの展示

上の階には獰猛なバッファローが。まさかコイツに全員やられてしまったのだろうか😱

と、冗談はさておき、バッファロー(アメリカバイソン)は歴史的にはむしろやられる側の道を歩んだ。バッファローから採れる革が開拓者にとって有用だったほか、ネイティブ・アメリカンの主要な食糧源だったことも災いした。これらの理由から、白人入植者たちがバッファローを積極的に殺して回ったのだ。

山と積まれたアメリカバイソン(バッファロー)の頭骨

(▲ 山と積まれたバッファローの頭骨と、その上に立つ白人入植者 - ウィキメディア・コモンズより引用)

こうして食糧源を絶たれたネイティブ・アメリカンは飢えに苦しみ、結果として白人に屈することになる。そしてその影で、最盛期に6000万頭いたとされるバッファローは、今では準絶滅危惧となるまで数を減らしてしまった。

マウントラッシュモアの前にある野外ステージ跡

そしてこちらがウェスタン村の顔でもある「マウント・ラッシュモア」のレプリカだ。そのふもとはご覧のように野外ステージになっており、ここで様々なショーが見られたのだろう。

実物のラシュモア山は、アメリカ中西部のサウスダコタ州にある。山頂には歴代の偉大な大統領の顔が14年かけて彫られ、左からジョージ・ワシントン(初代)、トーマス・ジェファーソン(3代)、セオドア・ルーズベルト(26代)、エイブラハム・リンカーン(16代)となっている。

実物のマウントラッシュモア

(▲ 実物のラシュモア山 - ウィキメディア・コモンズより引用(著作者:Winkelvi))

なお、この一帯は元々ネイティブ・アメリカンの聖地であり、白人側の政府もここには立ち入らないと書面で確約していた。しかしここに金鉱が見つかると一転、条約を一方的に破棄して軍隊を送り込んだ。

当然ネイティブ・アメリカンたちも黙ってはいなかったが、白人側はこれを圧倒的な武力で鎮圧。そしてこの土地は我々の物だと言わんばかりに聖地を削り大統領の顔を彫るという、苛烈な煽(あお)り行為にまで及んだ。

こんな血塗られた物体をなぜテーマパークの顔にしたのか本当に疑問なのだが、この判断をした時からウェスタン村の今の運命は決まっていたのかもしれない。ちなみにネイティブ・アメリカンの子孫はアメリカ政府からの賠償金を断固拒否しており、軋轢(あつれき)は今もなお続いている。

イベントプラザの地図(ウェスタン村ガイドマップより)

(▲ 最後に探索する「イベントプラザ」の位置 - ウェスタン村公式サイト上のガイドマップを元にブログ筆者が作成)

さて、残るエリアは川を挟んで対岸の「イベントプラザ」のみだ。

イベントプラザへと続く草だらけの吊り橋

イベントプラザへはこの吊り橋を渡って行くことができる。

イベントプラザの建物の回廊

イベントプラザの回廊。建物の中ではメキシコ料理の提供や、アメリカ製のクラシックカーの展示などが行われていたらしい。

それにしても、バブル期の廃墟のオーナーたちは何かとクラシックカーを展示しがちである(例:「世界平和大観音」の地下階「ホテルキャデラックハウス」の1階)。

ウェスタン村の「バージニア号」の小型レプリカ(ミニSL)

そしてイベントプラザのメインコンテンツがこのSL(蒸気機関車)である。これに乗って西部開拓時代の町を一周するというものだが、それにしてもこのSL、ちょっと小さすぎる気がする。ウェスタン村のSLは2両とも、アメリカで実際に使われた本物を輸入していたはずだ。

その後の調べで、これは「ミニSL」という別のアトラクションであることが分かった。本物のSLのうち「ワイパウ号」は現在、競合他社であった東武ワールドスクウェアに移されて展示されている。もう1両(バージニア号)は日光市がしばらく保管していたが、その後個人の所有となったらしい。まったく、贅沢な趣味だぜ!

アメリカンガーデニングパークの様子

そしてこれが当時本物のSLが走っていた線路の上から見えるアメリカの町並みなのだが、何というかぬぐい切れない残念感がある。

左から「General Store」、「Hotel」、「Dentist」と書かれた建物

当時はこんな荒れ地ではなく、花畑や歩道が整備されていたのでそちらの方に目が行き、欠点が気にならなかったのだろう。しかし廃墟となった今では、その悪い所が余計に目立ってしまう。

この建物も決して横から見てはいけない。

ハリボテの町並み

/(^o^)\

ネイティブ・アメリカンの集落

沿線にはネイティブ・アメリカンの集落もあった。白人は彼らの都合などお構いなしに線路を敷設(ふせつ)していったため、それによって狩場を分断されたネイティブ・アメリカンたちは鉄道を大変嫌ったという。

壁一面に飾られたきぬ川幼稚園の園児たちの絵

ここで父の日の催し物でもあったのだろうか。イベントプラザの建物内の一角には、同じ市内の幼稚園児が描いた父親への感謝の絵が壁一面に残されていた。

ちなみに、実は私もウェスタン村に営業当時遊びに行ったような記憶がかすかにある。再現された西部の街並みや小道具の銃にはどことなく見覚えがあり、探索中にふと立ち止まる場面が多かった。

この園児たちのようにただ純粋な気持ちでウェスタン村を楽しむ幼い頃の私の姿が、かつてはここにあったのかもしれない。しかしとうに大人となり汚れ切ってしまった私に、そんな素晴らしき日々はもう二度と戻らないのだ。

【廃墟Data】

状態:令和5年現在、イベントプラザ一帯は木材置き場に転用済み。ウェスタンランドも荒廃が進んでおり、特にロボットたちは見る影もない。

難易度:★★★☆☆(普通)

駐車場:ウェスタン村の旧駐車場を利用(→地図

所在地:

  • (住所)栃木県日光市栗原315-1
  • (物件の場所の緯度経度)36°46'23.0"N 139°42'35.6"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】日光宇都宮道路「今市IC」より、国道121号線経由で約15分(8.5km)。
    【公共交通機関】JR東武鬼怒川線「新高徳駅」にて下車、駅より徒歩約10分(800m)。