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下田富士屋ホテル

1. 概要

下田富士屋ホテルとは、静岡県下田市にあるホテルの廃墟である。心霊スポットとして非常に有名であり、テレビ局の心霊番組でも何度も取り上げられている。

心霊的には特に「神子元(みこもと)38号室」で不可解な現象が多発するとされている。他にもホテル内の日本人形に触ると呪われるなどと言われている。

しかし令和5年(2023)1月に不審火が発生し、ホテルは3階から上の大部分を焼失。この火災により、くだんの神子元38号室も全焼してしまった。

1-1. 下田富士屋ホテルの歴史

下田富士屋ホテルの現役時の外観(公式パンフレットより)

(▲ 現役当時のホテルの外観 - 公式パンフレットより)

伊豆半島の南端に位置する下田は、古くから観光の町として知られていた。昭和36年(1961)に伊東市と直結する伊豆急行線が開通すると、下田へ訪れる観光客はさらに増えた。6年後の昭和42年(1967)には観光客数が年500万人を超え、下田の観光業は市の中心産業と言えるまでに成長した。

そんな中、1970年代の初めに下田富士屋ホテルが開業した。当時の下田の売りは、南伊豆の美しい海と新鮮な海の幸、季節の花々の催し物、そしてペリー来航を記念した歴史ロマンあふれる「黒船祭り」だったようだ。

黒船祭りの様子

(▲ 黒船祭りの様子 - 公式パンフレットより)

しかしバブル崩壊後は観光客数が減少に転じた。特に温泉旅館の宿泊者数は平成6年(1994)の186万人をピークに、それからわずか6年で96万人とほぼ半減した。その間、平成9年(1997)に下田富士屋ホテルは廃業してしまった。

その後しばらくは、あくまで利用されていない観光施設として公的には扱われていた。そのため純粋な廃墟ではなかったようだが、それも時と共に有名無実化した。

平成24年(2012)放送の「夏色キセキ」というアニメ作品では、下田富士屋ホテルが「幽霊ホテル」のモデルの一部となっており、この頃にはほぼ廃墟と化していたようだ。

1-2. 心霊スポットとして

「呪いの日本人形」のイメージ画像

廃墟となった下田富士屋ホテルには心霊的なうわさが立った。いわく「赤いワンピースを着た女の霊が出る」だの「誰もいない廊下から足音が聞こえる」だのといった話だ。

また、ホテルの1階ロビーには日本人形が置かれていて、行きと帰りでひとりでに位置が変わったり、髪が伸びたりするという。もしこの人形にさわると呪われてしまうと言われている。

このホテルで特に心霊現象が起こるとして有名なのが、4階の「神子元(みこもと)38号室」である。先述の女の霊や足音の話は主にここでの体験談とされている。

そして、この廃墟はテレビの心霊番組で何度も放送され、多くの心霊系YouTuberも紹介するなど「超」がつく有名スポットになっていった。

1-3. 放火事件

(▲ 火事で炎上する下田富士屋ホテル)

そんな中、令和5年(2023)1月22日の未明に「ホテルが燃えている」と釣り人から通報があった。火はおよそ5時間半後に消し止められ、ケガ人もいなかったとのことだが、ホテルの3階から上は大部分が燃え落ちてしまった。

ホテルは廃墟となって久しく、電気やガスなどの火の元は当然なかった。そして人気のない深夜に火の手が上がったことなども考えると、おそらく火事の原因はここへ肝試しに来た人たちのタバコの火の不始末といった所だろう。

この火災により、肝心の神子元38号室を含む4階は完全に焼失したため、心霊スポットとしてはこのホテルは今後下火になっていくものと思われる。

2. 実際に行ってみた

下田富士屋ホテルの入口へと続くスロープ

ホテルの目の前までやってきた。この廃墟のことは以前から知っていたが、モタモタしてる内に心霊スポットとして有名になりすぎてしまい、今まで二の足を踏んでいた物件だった。

それがこのたび「ホテルが燃えた」と聞いて、その後どうなったのかと様子を見に来たのが今回の探索である。

静岡県警察のイエローテープが張り巡らされた入口

ホテルのエントランス前。これぞ心霊スポットといった面持ちだ。有名物件ではおなじみの黄色いテープが、これでもかと貼られている。

下田富士屋ホテルのフロント(廃墟化後) 下田富士屋ホテルのフロント(現役時)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

先ほどの扉から入って、まず見えてくるのがこの1階ロビーだ。このすさまじい荒れ果てようも、まさに有名心霊スポットという感じ。まだ営業していた頃と今との落差が際立っている。

また、ロビーでは例の呪われた日本人形のお出迎えがあるとのことだったが……このロビーでもホテル内の他の場所でも、その姿を見ることはついぞ無かった。

その後寄せられた情報によると、火事が起こる前から人形はとっくに居なくなっており、2021年までは首がもげていたもののまだ居たとのこと。首をもいだ不届き者の所にでも行ってしまったのだろうか。

(※ 記事コメントより情報を下さったhikoさん、ありがとうございました!)

下田富士屋ホテルの売店(廃墟化後) 下田富士屋ホテルの売店(現役時)

(▲ この写真は境界線を左右に動かせます)

ロビーから階段を上がって2階にはすぐ、この売店跡がある。

下田富士屋ホテルの娯楽室(廃墟化後)

売店の目の前は娯楽室になっている。

現役時の娯楽室の様子(ホテルの公式パンフレットより)

同じ部屋の現役当時の様子。今ではビリヤード台くらいしか当時を偲(しの)ばせる物はないが、かつてはこのように色々なゲームが置かれていた。

遊戯室の隣の部屋に残されていた卓球台

隣の部屋には卓球台が残されていた。「温泉旅館と言えば卓球台」というお決まりも、もはや今の若い方には通じないだろう。私の代ですらすでに遊ばれている所は見たことがなく、部屋の片隅で寂しそうにしているというのが彼らの定番であった。

株式会社三球製のピンク自販機

娯楽室で謎のピンク色の自販機を見つけた。たぶん今で言うガチャだろう(ただし中身も排出率も一切不明😂)。「お色気・珍品」とあるので、使用済みの女物ショーツ(自称)でも出てきたのだろうか。

しかしこの機械の中を見てみても当然空っぽで、はっきりとした正体は分からなかった。きっとこれも昭和懐かしの品のひとつに違いない。

客室へと繋がる廊下の入口

さて、先ほどの売店の横には客室へ続く廊下が伸びている。その入口がこれで、左に行くと「弁天」エリアに、右に行くとうわさの「神子元(みこもと)」エリア(と弁天の一部)に、それぞれ繋がっている。

赤色やオレンジ色のアクリルキーホルダー

「旧館・新館」や「東館・西館」といったそっけない名前ではなく、ちゃんと地元下田にちなんだ名前がつけられている所に、オーナーのこだわりを感じる。

すなわち「神子元」とは下田沖に浮かぶ灯台島のことであり、「弁天」とはホテルから徒歩15分の所にある陸続きの島のことだ。特に弁天島は吉田松陰が黒船への乗船を試みた地として銅像が建てられ、観光名所になっている。

(※ 記事コメントより情報を下さった河童さん、ありがとうございました!)

「弁天 29」と書かれた青色のアクリルキーホルダー

また、部屋の名前ごとに鍵の色を分けているのかと思いきや、青い「弁天」も見つけてしまった。この種の鍵は色が統一されていることが多いので、こんなに彩り豊かなのも珍しいと思う。

緑のカーテンで覆われた弁天29号室の広縁(旅館の謎スペース)

それではその「弁天」エリアから見ていこう。まずはあの青いキーが落ちていた「弁天29」の様子がこちら。これぞ夏の廃墟!って感じだ。

下田富士屋ホテルの弁天25号室

同じ階の「弁天25」。広さ的にここは団体のお客さん向けの部屋だったと思われる

畳の上に散らばった将棋の駒

部屋の畳の上には将棋の駒が落ちていた。他にも囲碁や麻雀などをホテルの売店で貸し出していたらしい。これも卓球同様、昔の温泉旅館ならではといったアイテムである。

下田富士屋ホテルの弁天26号室内の洋室

こちらは3階の「弁天26」。ここは恐らく特別室(スイートルーム)であり、広い和室の他にこのホテルではめずらしい写真の洋室もあった。

それにしても、部屋名の数字の2桁目が階数だと予想していたが違ったようだ。そもそも有名な「神子元38」だって4階にあるらしいし。部屋の並びと数字の間に規則性がまったく見えてこない。

現役時の客室の様子(ホテルの公式パンフレットより)

似たような造りの部屋の現役時の写真がこちら。テレビに足が生えているのと、直接課金制なのにものすごく時代を感じる。

下田富士屋ホテルの大宴会場跡

さて、「弁天」エリアを後にして今度は「神子元」エリアへ向かおう。その途中には、無残にも焼け落ちた写真の大宴会場跡がある。

現役時の大広間と、芸妓にお酌される宿泊客の様子(ホテルの公式パンフレットより)

現役当時の大宴会場の様子がこちら(部屋の撮影方向も同じはず)。ここまでくると廃墟になる前後というよりは、もはや爆撃される前と後といったレベルである。

焼け残った座椅子の山

実は最初この空間が何なのか私には分からなかったのだが、この焼け残った大量の座椅子を見て「あ、ここ前は宴会場だったのか」と気が付いた。

大宴会場跡から見上げたホテルの4階

座椅子の所からホテルの奥の方を見上げると、4~5階の「神子元」エリアが見える。

灰と瓦礫で埋め尽くされた3階から4階へと続く階段

この下田富士屋ホテルに来た以上、有名な神子元エリアにはぜひとも行ってみたい。しかしそのためにはこの階段を上らなければならない。というかもはや「段」など消え失せ、ただのガレキと灰の坂になっている。

火事で完全に焼失した下田富士屋ホテルの4階の様子

崩れる急斜面をどうにかよじ登って、ついにここまで来た。これがかの有名な「神子元38号室」があったはずの4階だ。

しかし現在ではごらんの通りの焼け野原。出るとされるワンピースの女性の霊も、この野ざらしではきっともうどこかへ行ってしまっただろう。不気味な足音がするという怪異も、これではもはや起こりようもない。

火事で炭になったソファー

不審火の火勢はかなりのものだったようで、火災の中心地から少し離れたこの部屋でもソファーが炭になっていた。その距離のおかげで完全に灰にはなっておらず、まるでこういう現代美術の作品のようだ。

大展望風呂と木造客室棟へと続く廊下

崩れる灰の急斜面をなんとか降りきった。最後に、ホテルの浴室のエリアを見ていきたい。実はこの先にはお風呂だけではなく、かつては客室の一部もあった。

崩落した下田富士屋ホテルの客室棟の図解(2019年7月のGoogleストリートビューより)

(▲ 崩落した下田富士屋ホテルの客室棟 - GoogleMapの2019年7月のストリートビューを元にブログ筆者が作成)

その当時の客室エリアの姿が、昔のGoogleストリートビューに残っている。写真中央の赤丸で囲った部分がそれなのだが、実はこの客室棟、令和2年(2020)7月に経年劣化で丸ごと倒壊し、写真右下の一軒屋を損壊する被害を出している。

倒壊した木造の客室棟の解体を報じる新聞記事

(▲ 倒壊した木造の客室棟の解体を報じる新聞記事 - 伊豆新聞より引用 ※著作権保護のため本文をモザイク修正済)

これは当時の新聞記事だが、四角い客室棟がぽっかりと無くなっているのが見て取れる。被害者は保険に入っていたためそのお金で家は修理できたそうだが、廃墟の持つマイナス面が現実のものとなった形だ。

倒壊した客室棟と浴室棟との境目と展望大浴場へのルート

その後、倒壊した木造の客室棟(写真左)は丸ごと撤去された。しかし、鉄筋コンクリート製の浴室棟(写真右)は、解体費用の問題からそのまま残された。

その境目を見た写真がこちらなのだが、大浴場へ行くには赤矢印で示したルートを通るしかなく、外から目立つ事この上ない。そこのバス停にいる老夫婦は、バスよりも先に私の姿を目にすることになるだろう。

そのため、大浴場の探索は断念せざるを得なかった。読者の皆様には大変申し訳ない。

現役時の展望大浴場の様子(ホテルの公式パンフレットより)

その代わりに、現役当時の大浴場の写真を載せておこう。「展望風呂」の名の通り、ここからは南伊豆の青い海が見渡せたようだ。

婦人風呂の前室

そしてその展望風呂の真下にも浴室がある。写真はその前室(着替え場)だ。

婦人風呂の浴槽

奥の浴室がこちら。先ほどの展望風呂とは打って変わって、展望などまるで望めない暗~い浴場だ。そしてここの名称は、何を隠そう「婦人風呂」。つまりあの展望風呂は男性様専用で、時間帯による入れ替えもなかったと推測できる。

この凄まじい男尊女卑は、こうした古い時代のホテルには非常によく見られる構造だ。かの有名な鬼怒川のかっぱ風呂でも、状況はまったく同じであった。のぞき見を意識してのことだとは思うが、それにしたってあんまりなのがこの時代のホテルの特徴である。


──以上で今回の探索を終える。この廃墟は他にも「地下室で嫌な視線を感じる」などと語られることがあり、実はその入口もフロントの裏手に見つけてある。

しかしそこへ降りるハシゴが木製なのを見て、私は踏み抜きからの遭難リスクを考えてこれ以上の探索は行なわなかった。火災後の現状のレポートとしては、ここまでの内容でも十分だと自負している。

3. 余談

普段は記事で撮影の裏側を見せる事はほとんどないのだが、この廃墟ではいくつか紹介しておきたい事があるため、以下に少し触れておく。

廃墟そのもの以外に興味のない方は、本章を読み飛ばして頂いてまったく構わない。

3-1. 廃墟周辺の状況

下田富士屋ホテルの前を通り過ぎるおばさん達

まず、この廃墟は幹線道路沿いにあり、しかも道の駅のバス停のまん前にあるので、ひっきりなしに人が行き交っている。

そのためこんなガチンコの廃墟の目の前を主婦が談笑しながら散歩するという、なんとも不思議な光景をここでは目にすることができる。

下田富士屋ホテルの前に路駐して入口に向かっていく外国人

ただ、やはり観光客にとっては珍しいのか、この廃墟を見て驚いてスマホで写真を撮っている人の姿もある。

写真の外国人などはこの衆人環視のもと規制線をこえて廃墟の中までガッツリ入っていくという傍若無人ぶりだが、それよりもまずバス停の前に駐車をするなwww日本の交通ルールを知らんのか? 本当にビックリするわ。

3-2. 下田バーガーについて

道の駅「開国下田みなと」内のハンバーガー店「Cafe&Hamburger Ra-maru」店内の様子

さて、廃墟の周りはあのような状況なので、朝の早いうちに道の駅に車を駐めて、それからゆっくりと廃墟を楽しむのがいいだろう。

そしてその道の駅では、写真のお店のご当地グルメ「下田バーガー」が名物である。私もそれを食べにここへ来たら、たまたま目の前に廃墟があっただけなので仕方がない。

下田バーガー

下田バーガーはごらんの通りのガッツリ系。下田の港はキンメダイの水揚げ量で日本一を誇り、そのキンメダイをカリカリに揚げた逸品がこれだ。

ひと口かじれば、白身魚の上品な味わいとソースのジャンクな香りが口の中で不思議な化学反応を起こし、ふた口、さん口と止まらなくなる。

男のバイク乗りたちにはやはり人気で、店外のスペースでこのバーガーを楽しむライダーの姿をこの日は多く見かけた。

下田バーガーが登場するゆるキャンの1ページ

しかしこの下田バーガー、某ゆるキャン△では小柄な少女たちが満面の笑みでほお張っており、「なら言うほどデカくはないだろw」とタカをくくっていた私はいい意味で裏切られた。

ガッツリ系が好きな方、下田にお越しの際はぜひ食べてみてはいかがだろうか。

【廃墟Data】

状態:半焼半壊

難易度:★★★★☆(高)

駐車場:「道の駅 開国下田みなと」駐車場を利用(→地図

所在地:

  • (住所)静岡県下田市柿崎3-15
  • (物件の場所の緯度経度)34°40'31.8"N 138°57'06.1"E
  • (アクセス・行き方)
    【自家用車】伊豆縦貫自動車道の下田側の終点より、国道414号線経由で約20分(13km)。
    【公共交通機関】伊豆急行線「伊豆急下田駅」にて下車、駅前よりバスで約5分。バス停「道の駅 開国下田みなと前」にて下車すると、すぐ目の前に廃墟がある。系統は次のいずれの系統でもよい。S05「白浜海岸・河津駅」経由「稲取高校上」行き、S30・31・32「白浜海岸」経由「坂戸一色」行き、S40・41・43「須崎海岸」経由「爪木崎」行き。