1. 概要
小川脳病院とは茨城県小美玉市にある古い精神病院の廃墟である。「脳病院」とは今で言う精神病院のことで、太宰治の小説など大戦前後の古い文献にその呼び名が残っている。また、正式名称を「聖仁会小川病院」という。
人里離れた山奥というロケーション──窓という窓は頑丈な格子で塞がれ、重症患者を「閉じ込めておく用」の座敷牢(隔離病棟)も完備という、まさに至れり尽くせりの内容。
「病院の地下で患者の死体や脳のホルマリン漬けを作成していた」「戦時中の頃は繰り返し人体実験が行われた」などここには恐ろしい噂が絶えない。そして実際に年季の入った設備や陰鬱な閉鎖病棟を目の当たりにし、この当時の精神科医療における時勢のことも考えると、その全てがまったく根も葉もない世迷いごとだとは決して思えなくなるのであった……
2. 実際に足を運んでみた
(▲ この写真は360度自由に動かせます)
建物の中に入ると、そこには長年風雨にさらされてほぼ骨組みだけになってしまった廃墟の姿があった。
このあたりはロビーや診察室・宿直室など主に職員用の区画だったと思われる。トイレや浴室も小さいながらここに設けられており、患者用とは完全に分かれていたようだ。

薄暗い廊下を奥へ奥へと進んでゆく。床板はとうに無く、視界の悪い中わずかに残された梁の上をフラフラと綱渡りせねばならなかった。
なにせ今日ここには自分ひとりで来ているので、緊張で否が応にも足が震える。もし足を踏み外して運悪く骨折でもしようものなら、それだけでこの山奥の廃病院から脱出できなくなってしまうのだ。

先ほどの大部屋からは、ひどく狭い通路を介してこの浴室へとつながっている。
これは通称「ホルマリン風呂」と呼ばれ、この浴槽を使って患者の死体のホルマリン漬けを作成していたとされる。しかしさすがにその真偽のほどは定かではない。
構造的には、浴室を挟むようにして前後に2つある大部屋の中を通らなければここには来られない造りになっている。したがってこの浴場は男女共用で、先ほどの大部屋は脱衣所だったのではないかと思う(女子トイレ側なので恐らくは女性用)。
しかし入院が必要なほどの精神病患者を入浴させるには職員の監視や介助が必要なことは容易に想像され、そもそも一度に大勢を入浴させること自体リスクが高いように思えるのだが……あんなに広い脱衣所は不自然といえば不自然である。
また、浴場の床がコンクリ打ちっぱなしで特に防水加工されているようには見えない点も気になる。

その理由がこちら。床に溝が掘られていて、そこに向かって傾斜がつけられている。つまりここには「大量の液体を排出する仕組み」が必要だったということだ。
これは一説には、戦中から戦後にかけてこの病院では人体実験が行われており、その患者の脳のサンプルを作成する際に噴き出す大量の血液を処理するためのものだったと言われている。屠殺場の床にも同じ理由からこれと似たものが設置されるので、さもありなんといった話ではある。

探索開始時に通り抜けた廊下まで戻ってきた。廃院からすでに何十年もの時が経ち、壁や床板がことごとく崩壊した今もなお、この極太の格子だけは全く朽ちる気配が無い。これがヘタに鉄格子だと錆びて逆に持たなかっただろう。一体どんだけ頑丈なんだ……

かつては精神病患者の書いた意味不明の手紙や日記のようなものが見つかったそうだが、時は令和の今、ここが病院であったことを物語る遺物はもはや数少ない(写真は水剤を保管するのに広く用いられていた型のビン)。
(▲ この写真は360度自由に動かせます)
病室とは名ばかりの「牢屋」内部。壁には天井付近に採光用の小さな窓があるのみ。その様子は完全に刑務所の独居房だ。

これまでに見てきた「普通の」患者用の病室は、入口が普通のドアになっていて個室であればプライベートは保たれていたと思われる。だがしかし、ここは明らかに違う。
ドアだったと思われる所の横の部分が格子になっており、発狂した患者が部屋の中で勝手に何かしでかさないよう常に外から監視できる状態になっている(トイレまでもが外から覗ける造りである)。
ここに入れられた患者にプライバシーは一切無い。しかしこんな所に閉じ込められるような病人の重篤な脳に、そもそもそんな概念が存在したかどうかすら疑わしいといえばそうであろう。

この小川脳病院は建てられてからかなりの年月が経っているとみられ、数ある廃墟の中でもかなり崩壊が激しい部類に入る。当時最も堅牢に造られていたはずの閉鎖病棟の部屋のひとつも、今ではご覧の通りだ。
心霊的な噂としては、ここには「出せ」と呻く中年男性の霊が出るそうだが、勝手に出てけよと思うのは私だけだろうか……
自分には霊感がまるで無いので霊のことはよく分からないのだが、死んでこの場所に囚われてしまった地縛霊の類だとしたら、まぁ、かわいそうではある。
(▲ この写真は360度自由に動かせます)
今でこそこういった隔離病棟はとても非人道的な物のように映るが、昭和の中頃までは「精神病患者を人目のつかない場所に一生閉じ込めておく」というのはむしろ普通のことだった。それは全くの合法であり、沖縄県などに今も残る私宅監置用の施設跡はその当時を雄弁に物語る時代の証人と言えよう。
そもそもまともな抗精神病薬が世界で初めて発見されたのがようやく1950年代に入ってからの事であり、それまでは目のすき間から頭にメスを突っ込んで脳の一部を切り取るだの、患者をわざとマラリアに感染させて高熱のショックで治すだの、現代の我々からみればおよそ医療とは呼べない人体実験まがいの方法がまかり通っていた時代なのだ。
精神異常者が騒いで暴れまわる。しかし治療する方法がない。かといって殺すこともできない。ならば閉じ込めておくしかない──というのは致し方ない当然の流れのようにも思える。土蔵や掘っ立て小屋に鎖でつなぎ、糞尿は垂れ流しという例も珍しくなかったそうで、それに比べればこの小川脳病院はまだ近代的で人道的な施設だったと言える。

(▲ 国土地理院「小美玉市倉数」付近の地図データを元に、ブログ筆者が作成)
なお、この廃墟は到達難易度がやたらと高いことでも有名である。意気揚々と現地に向かってみたはいいものの、結局病院を見つけられずに途中で探索を断念してしまったというケースはこれまでも後を絶たない。
病院までのアクセスの概要は上の地図に示した通りだが、この廃墟は山深い森の中を不安になりながらやぶをかき分けて進むドキドキ感も含めての「小川脳病院」だと思うので、ネタバレを避けるために詳細は一応別の記事とした。
「どうしても行き方がわからない」という場合は、ぜひ本記事を参考にされたい。
(→「小川脳病院への詳しい行き方」へ続く)
【廃墟Data】
状態:健在
所在地:
- (住所)茨城県小美玉市倉数1336
- (物件の場所の緯度経度)36°08'41.7"N 140°24'51.8"E
- (アクセス)常磐自動車道「千代田石岡」ICを降りて国道6号線→国道355号線経由で約30分(21km)。現地での廃墟までの詳しい行き方は次回更新記事にまとめてあるので、そちらを参照。